自民党総裁選2024

シリーズ・総裁選~新政権 (3)中道争奪の「2024年体制」になるか

政治・外交

日本政治の顔が新しくなった。2024年9月、自民・公明の与党と、野党第1党である立憲民主党のトップがそろって交代した。自民はかつてない9人が立候補した総裁選を勝ち抜いた石破茂、公明は15年ぶりの代表交代で石井啓一、立民は野田佳彦の登板である。人が変われば政治も変わる。(文中敬称略)

石破は自民党内では、ほぼおわったと思われていた政治家である。それが派閥の政治資金パーティーの裏金問題に伴う党の危機でよみがえった。野田も12年、首相として断行した衆院解散・総選挙で大敗を喫し民主党代表の座をおりてからのカムバックである。その2人による、来るべき衆院選でのぶつかり合いをにらみ、日本政治に新たな化学変化がおきようとしている。

オワコンを復活させた自民の「振り子」

本命視されていた小泉進次郎が脱落した結果、高市早苗との上位1、2位の決選投票を制して当選した石破総裁の誕生をどうみるのか。

麻生派以外が解散した「脱派閥の総裁選」だったが、派閥的なまとまりや人間関係で票が動いた面があったのはそのとおりだ。感情と欲望がないまぜになった権力闘争である政治の世界では、ある意味であたりまえだ。ここ10年の自民党内の権力構造からは、よくぞ決選投票での逆転で石破総裁が誕生したというのが率直な感想だ。

もう少し距離をおき、引いたところから見ると風景はやや異なってくる。いつもの自民のお家芸ともいえる「振り子の論理」がまたも働いたからだ。右に左に揺れる時計の振り子のように顔を変えながら政権を維持してきたやり方そのものである。

安倍晋三とも麻生太郎とも折り合いが悪く、安倍政権の途中から一貫して党内野党的な存在だった石破。2015年に旗揚げした自らの派閥も21年末には安倍の力に屈するかたちで解散を余儀なくされていた。党内では、おわったコンテンツ=オワコンとみる向きもあった。

安倍、その後継である菅義偉、安倍の影響力から抜け出せなかった岸田とつづいてきた政権の権力構造のもと、石破はここ10年、ずっと非主流派だった。石破政権は非主流が主流の側に揺れる振り子そのものである。まさしく疑似政権交代だ。

今回の裏金問題だけでなく、その他の政治テーマでも党内が快く思わないのを忖度することなく、石破なりの正論を吐きつづけてきた。だから党内の評判は芳しくなかった。逆に有権者には好感が持たれ、世論調査で次の首相の上位にランクされてきた。それが政権の座につながったのだから、政治はわからないものだ。

それは自民党という政権を維持することを最大の目的とする政党のしぶとさでもある。生きながえるためなら社会党とも組んだ「何でもあり」の融通無碍の政党の知恵というか、自民の「生存本能」から来るものなのだろう。

しかし石破政権がうまく回るのかどうかには大いに疑問符がつく。派閥解消によって党を構成する単位がなくなった。バラバラな国会議員をいかにまとめていくのか、権力のヘソが見えない。その答えは今後動きながら求めていくしかないとして、来年で結党70年を迎える自民党政治にとって壮大な実験がはじまる。

中道立地で政権めざす野田立民

「政権交代前夜」をかかげ、「今のままでは死んでも死にきれない」と語る立民新代表の野田が思いえがくのは09年の政権交代の夢よ再びである。戦略ははっきりしている。ひとことで言えば、政治の横軸を左(リベラル)―右(保守)とみた場合、立民の立ち位置をリベラルから中道にもっていくことだ。

共産寄りの左から自民寄りの右に動いて、有権者の分布でいちばん多い山の部分にあたる真ん中を取りにいくねらいだ。裏金問題をつうじて自民離れをおこしている弱い自民支持や、穏健な保守・中道保守の無党派層を引き寄せることでもある。

これは学問上も実証されている考え方だ。米政治学者のアンソニー・ダウンズ(1930~2021年)の理論によると、左右両極にかたよった主張をもつ有権者は少なく、多くは中道に集まっている。政党が得票の最大化をめざすには、いちばん票の多い中道に寄っていくという説である。政権をめざすには、立民は「全体、右向け右」である。

ただ代表選での決選投票をみると枝野幸男との国会議員票の差はわずか9票しかない。選挙をみても共産の支援を得ることで勝ち抜いている小選挙区議員がいる。党内のリベラル色は濃く、左に寄りがちな傾向は否めない。中道シフトの執行部人事には、さっそくリベラル派から批判が出ている。

野党体質がしみこんだ議員にはダウンズ理論はすんなり受け入れられそうにないが、あわせて野田がめざすのは野党の連携だ。野党がバラバラでは自民に漁夫の利を得られてしまう。そこで可能な限り小選挙区で与党と野党が一対一の対決の構図に持ち込んで与党過半数割れの状況をつくりたいというものだ。

野田はしばしばニホンミツバチを野党に、天敵のスズメバチを与党にたとえる。「一対一ならニホンミツバチはスズメバチに食べられてしまう。ところが、数多くのニホンミツバチが1匹のスズメバチに襲いかかり、胸の筋肉をふるわせて熱をおこす『熱殺蜂球』という集団行動に出るとスズメバチを蒸し殺すことができる。蜂球の内部は47~48度になる。致死温度はスズメバチが45度で、ニホンミツバチは50度近く。最初にかみ殺される10数匹以外のニホンミツバチは生き残る」

ニホンミツバチのように野党がひとつの塊となって、はたして自公に立ち向かうことができるかのどうか。日本維新の会と候補者が重複した選挙区の調整や国民民主党との協力関係の強化などが実現できるのか。維新、国民民主ともそれぞれ党内事情をかかえ応じる考えはなく、一方で共産は立民と競合する候補者の擁立に動いている。

もういちど政権の座につくためには、考え方を異にする安全保障や憲法問題で党内の足並みをそろえる必要がある。今のままでは立民は昔の社会党と同じく万年野党のままだ。境家史郎・東京大教授がいうように自民一強の「ネオ55年体制」がつづく。そこをふり払って政権をめざそうとする野田の挑戦は党分裂の危機さえはらんでいる。

24年型政治の先に来るものは

野田の中道保守志向が、党内野党的で穏健な保守層に親和性があるとみられている石破総裁の誕生につながった面がある。強い保守信条を打ち出している高市では中道を取り逃がしてしまうおそれがあるとの判断からだ。中道寄りの石破をぶつければ、野田の色合いが薄まるのは確実だ。

石破自民と野田立民で党首間の政治立地の距離は縮まる。真ん中・中道をめがけた政策競争が繰り広げられることになれば、新たな2024年型の政治になる。

これまでは立民がリベラルに寄っていたうえに、保守層の自民離れもなかったから、自民はそれほど意識しなくても済んだが、こんどは穏健な保守・中道保守の層をうまく取り込んでいかないと厳しい選挙となるのは必至だ。

自民には、靖国神社の参拝や選択的夫婦別姓、女系天皇の問題などに強いこだわりを持つ保守勢力が一定程度いる。立民でも憲法や安全保障など共産と親和性のある議員がいる。それぞれ価値観や思想の違いによる対立で、両党ともそれぞれに深いミゾがある。

富士山型の有権者分布の場合、2大政党制のもとでの政策は中道に寄って似てくるというのが政治学の教えだ。しかしSNSによる極論の拡散、中間層の弱体化で、有権者が両極に寄っていって、急進的なリベラル―穏健な中道―過激な保守の3連峰型に近づいていってはいないのか。そうなれば政党の内部を含めて政治的な対立が先鋭化し、世の中をまとめていく政治の統合機能が弱くなり、社会は不安定になる。

今回の党首交代と来るべき衆院選をつうじて、新しい政治の型が定着するのか、それとも対立・分断含みになるのか、ここが日本政治の分岐点である。

(注)政党立地については拙著『政治をみる眼 24の経験則』(2008年刊・日経プレミアシリーズ021)、熱殺蜂球については日本経済新聞24年3月25日付朝刊「核心」欄の拙稿をそれぞれ参照しました。

バナー写真:自民党総裁選出後に開催された両院議員総会で、健闘をたたえ合う(左から)高市早苗氏、岸田文雄首相、石破茂新総裁=2024年9月27日午後、東京・永田町の同党本部(時事)

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