なぜ日本ではお客さまがエラくなったのか:カスハラの現状と法整備への課題

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顧客による悪質な苦情や嫌がらせなどのカスタマーハラスメント(カスハラ)について、政府は法律の改正を含む対策強化に動き始めた。日本でカスハラが深刻化した背景や法整備に向けた課題を、消費者の苦情行動に詳しい専門家が解説する。

カスハラ防止へ対策急務

近年、顧客などからの著しい迷惑行為を指す「カスタマーハラスメント」が社会問題化している。具体的には、苦情に伴う「ボケ」「カス」などの暴言や「物の投げつけ」といった暴力、不当な金品要求、執拗(しつよう)なクレームや長時間の拘束、土下座の強要、SNSへの暴露などが該当する。従業員の就業環境を害して心身に大きな不調をもたらすだけでなく、企業にも重大な時間的・経済的損失を与えることになる。カスハラ対策は企業経営において最重要課題の1つといえる。

カスハラが注目を集めたのは、2017年に流通、サービス業などの従業員らで組織する産業別労働組合「UAゼンセン」が実施した悪質クレーム(迷惑行為)に関する実態調査が契機となった。この調査では、組合員約5万人のおよそ7割が来店客から何らかの迷惑行為を受けた経験のあることが明らかになり、メディアでも大きく取り上げられた(※1)。その後、さまざまな業界におけるカスハラの実態が次々と報道され、対策を求める声が次第に大きくなっていった。

事態を重く見た厚生労働省は、2022年2月に「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を作成し、23年9月にはカスハラを精神障害の労災認定基準に加えた。同年12月には「旅館業法」を改正し、迷惑客の宿泊を拒めるなどの対策に乗り出した。また、今年7月に東京都が全国初となるカスハラ防止条例を9月の都議会に提出すると発表。さらに政府・与党も法制化に向けて動き始めた。

カスハラ増加の心理的・社会的背景

本来、客と従業員の関係は対等であるはずなのに、なぜ日本では法整備が必要となるまでカスハラが深刻化したのであろうか。

日本でカスハラが増加した背景には、さまざまな要因が複合的に絡んでいるが、ここでは次の3点に整理する。

1. 顧客第一主義と消費者の権利意識

日本は、古くから「消費者主義」や「顧客第一主義」の経営理念を掲げている企業が多い。こうした理念は、高度経済成長期が終わり、企業が市場競争で勝ち抜くためには、まず顧客の視点に立つことが何より重要との考え方から生まれたとされている。また、1995年の製造物責任法(PL法)の施行や2004年の消費者基本法(旧消費者保護基本法)の改正、さらには09年の消費者庁の設置など、消費者の保護や自立のための環境が段階的に強化された。

消費者保護基本法が制定された1968年ごろは、消費者は企業に比べて知識も力もない弱い立場にあった。しかし、上記のように社会全体が消費者優位に動いた結果、企業と消費者の立場が逆転し、一部の消費者に「お客は神だ」「店員は~して当然」といった無意識の偏見や思い込み、すなわち「アンコンシャスバイアス」を浸透させたと考えられる。

2. 過剰サービスによる過剰期待

おもてなし精神に基づく日本のサービスは、極めて高水準であるため客に高い満足度をもたらす半面、苦情を生み出す一因にもなっている。そのメカニズムは、メディア環境の変化も絡めると以下のように整理できる。

概説すると、まず(1)苦情生起の前提には不満があるが、(2)不満が苦情として顕現化した場合、(3)近年ではSNSなどで瞬時に不特定多数に情報が拡散される可能性がある。それを恐れた企業は、消費者の要望に応えようと過剰なサービスを提供するようになる(4)1社が過剰サービスを始めると他社も追随せざるを得なくなり、業界全体の標準的なサービスが過大となる(5)その結果、消費者の期待水準がさらに高まり、やがて期待を超えるサービスの提供が難しくなり、(1)それが新たな不満につながる、といった循環モデル(苦情生起の負のスパイラル)で説明できる。

苦情生起の負のスパイラル

つまり、サービスが手厚くなるほどに消費者の「やってもらって当たり前」の期待を高め、皮肉にも不満、ひいては苦情やカスハラが生じやすい社会を作り上げたといえる。

3. 疲労やストレスに起因する不寛容社会の到来

日本は今、多くの人が人間関係や仕事上の悩みなど多様なストレスを抱えて生活している。そのため、集中力や判断力が低下し、怒りのコントロールが難しくなってしまう。怒りを抑制できない人が増えると、社会全体が他者の小さなミスさえも許せない「不寛容社会」になる。筆者自身の調査でも「釣り銭の渡し方が悪い」「商品の入れ方が悪い」など、ささいなことがきっかけで発展したカスハラの増加が示唆されている。

実効性ある法整備のために

冒頭で触れたように政府はカスハラ対策の法整備に動き出した。厚労省は2019年に労働施策総合推進法を改正し、パワーハラスメント防止措置を講じることを企業の義務としたが(通称・パワハラ防止法)、今回も同法を改正する方向と報じられている。政府は今年6月に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」に「法的措置を視野に入れ、対策を強化する」と明記し、厚労省は7月にカスハラから従業員を保護する対策を企業に義務付ける方針を示した。来年の通常国会にも法律の改正案が提出される見通しである。

しかし、法制化にあたりいくつか課題もある。最も大きな論点としては、「カスハラの定義付け」、すなわちどこまでが客の正当な要求で、どこからが不当かの判断基準の明確化が挙げられる。既に旅館業法の改正により、宿泊施設は迷惑客を拒否できるようになったが、その基準が不明確なため、実運用にまで至っていない施設が多いという。実効性を伴う法律にするには、対応現場が判断に困らないよう、まずはカスハラの線引きを明示することが求められる。

また、カスハラの予防には従業員が安心して働ける就業環境の整備が不可欠であり、これを怠ると安全配慮義務違反や使用者責任が問われる可能性がある。従ってパワハラ防止法と同様に、指針の中で企業が取るべき措置を具体的に示すことも必要といえる。

例えば、「対応マニュアルの作成」や「専門窓口の設置」「従業員教育の強化」などの義務化が挙げられる。指針では、該当行為の類型や事例の明示も求められるが、このあたりは提供するサービスの内容によってかなり異なるため、企業ごとに、可能ならば業界や業種ごとに、実情に沿ったガイドラインの策定が望ましい。

何よりも重要なのは、法制度が形骸化せずに、実際に現場で機能することであろう。そのためには、企業は対策を講じただけで安心するのではなく、従業員一人ひとりが内容をきちんと理解できるよう周知すること、そして被害を訴えた従業員が心理的・精神的に孤立しないような組織風土を構築することが不可欠だ。

パワハラとは違い、カスハラは社外の人間が引き起こす問題であるため、企業側は予防や対策が難しい面がある。真にカスハラの根絶を目指すには消費者側の意識改革も必要である。ただ、法制化によって今度は消費者が声を上げにくくならないように注意しなくてはいけない。

【引用文献】

  • 池内裕美(2020)「なぜ「カスタマーハラスメント」は起きるのか:心理的・社会的諸要因と具体的な対処法」『情報の科学と技術』70,486-492.
  • 厚生労働省(2022)「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」カスタマーハラスメント対策企業マニュアル作成事業検討委員会
  • UAゼンセン(2017)「悪質クレーム対策(迷惑行為)アンケート調査結果」全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟

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(※1) ^ UAゼンセン流通部門・総合サービス部門が2024年6月に報告した調査結果では、「直近2年以内に迷惑行為被害にあったことがある」という回答は46.8%となった(2020年調査では56.7%)。減少傾向にあるのは、この間の世論喚起や労使の取り組みの成果と推測されている。https://uazensen.jp/2024/06/05/100876/(2024年7月30日検索)

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