「フレンチ・ウェイ」貫いたパリ五輪開会式

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パリで7月26日に行われた第33回夏季オリンピックの開会式は、フランスのエスプリ(機知)にあふれた壮大な演出で、見どころ満載の内容となった。これは今後のオリンピックの開会式の在り方にも大きなインパクトを与えるように思われる。

街に飛び出した開会式

雨の中、約6800人の選手団がパリ東部のオステルリッツ橋から順次、船に分乗し、セーヌ川を西に約6キロ、会場近くのエッフェル塔のたもとのイエナ橋まで下った。この間、両岸ではフランスの歴史、文化遺産、芸術、偉人、ファッション文化などが、歌や踊りやパフォーマンスを交えて絵巻のように展開された。

東京大会の後、パリ大会組織委員会(トニー・エスタンゲ会長)がセーヌ川でのパレードを発表した時、反対や再考を求める声が相次いだ。

まず、テロ対策だった。閉鎖空間の競技場ならまだしも、開けたセーヌ川の両岸の警備は難しい。川沿いの建物の窓から狙撃手がテロを実行しようと思えば不可能ではない。二つ目は市民生活への多大な影響だ。準備期間を含め川沿いのカフェ、本屋、商店などは長期間、閉店を余儀なくされる。しかも開かれた大会のため、歴史的建造物や公園、広場など、街の至るところが競技会場となり、大会期間中、街中が大混乱するリスクもあった。

しかし、こうした課題をものともせず実行に移すところがいかにもフランスらしい。順応主義、先例主義、追随主義を嫌い、常に新しいやり方を希求するフランスならではだ。

外交でもそうだが、フランスは新しい局面を打開するため、大方の合意を得た既存の流れにあえてあらがうことも厭(いと)わない。「フレンチ・ウェイ」(フランス流)と米英などはやゆするが、フランスは頓着しない。これがうまくいくこともあるし、逆に頓挫することもある。

革命の意義を今日的に演出

「街に飛び出した開会式」構想は、第1回大会から至極当然とされてきた「競技場での開会式」に新局面を開こうというフレンチ・ウェイだ。今回、これは壮大な演出と相まって見事に成功した。 

セーヌ川を望む歴史的建造物であるパリ市庁舎の屋根では、アフリカ系で初めてパリ・オペラ座バレエ団の最高位エトワールになったギヨーム・ディオップさんがダンスを披露。米国の歌手レディー・ガガさんはキャバレーをイメージした羽の衣装で登場し、右岸の川岸の階段を舞台に、ダンスとともに歌をフランス語で熱唱した。並びの岸壁では、キャバレー「ムーランルージュ」の踊り子85人が足を揃えてスカートを跳ね上げるフレンチカンカンでガガさんに呼応した。

パリ五輪開会式では、フランス革命で斬首された王妃マリー・アントワネットを想起させるドレス姿の女性が「生首」を手にする演出が議論を呼んだ=2024年7月26日、パリ(ロイター)
パリ五輪開会式では、フランス革命で斬首された王妃マリー・アントワネットを想起させるドレス姿の女性が「生首」を手にする演出が議論を呼んだ=2024年7月26日、パリ(ロイター)

フランス大革命で処刑されるまで、王妃マリー・アントワネットが最後の日々を過ごしたセーヌ左岸の牢獄コンシエルジュリーでは、窓からアントワネットの人形が自分の首を抱えて登場し、フランス革命の模様が光と紙吹雪で再現された。フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーの「カルメン」もオペラ歌手によって歌われた。

少し川を下って、1900年のパリ万国博覧会に建てられたグランパレの屋上からは、国歌「ラ・マルセイエーズ」がオペラ歌手によって歌い上げられた。開かれた大会の一環として、グランパレはフェンシングとテコンドーの会場となる。

途中から激しくなった雨にもかかわらず、暮れなずむパリは光と音響で興奮の度合いをさらに高めた。事前に出演のウワサが広がり、人種差別の中傷を受けたアフリカ系女性歌手アヤ・ナカムラさんが、自身の歌とシャンソン歌手の故アズナブールさんの歌を披露し、共和国軍の軍楽隊が演奏で共演した。アバンギャルドなナカムラさんと、いかめしい軍楽隊の取り合わせが絶賛を浴びた。実験的な試みにもあえて取り組むのが、いかにもフランスだ。

パリ五輪開会式でパフォーマンスを披露するフランスの人気歌手、アヤ・ナカムラさん(中央)=2024年7月26日(ロイター)
パリ五輪開会式でパフォーマンスを披露するフランスの人気歌手、アヤ・ナカムラさん(中央)=2024年7月26日(ロイター)

フランスに大きな足跡を残した故シモーヌ・ベイユさんら女性10人の銅像が順繰りに川から登場する演出も秀逸だった。ナチス・ドイツによるアウシュビッツ強制収容所から生還し、政治家として妊娠中絶の合法化に取り組んだのがベイユさんだ。これらの銅像はパリ市内に設置される。男性の銅像に比べ女性の銅像が極端に少ない現状を是正する象徴的な取り組みでもあった。

普遍的な人権への自負心

個々の出し物や演出には、歴史、伝統、文化、連帯、寛容、多様性といったメッセージが込められ、それらを全体として自由、平等、博愛のフランス大革命が打ち立てた理念が包み込むという仕掛けだった。

歴史的にフランスは世界に対する使命感に燃えた国である。17世紀の絶対王政の時代から、「フランスの偉大な文明をあまねく伝え、未開の地を文明の地にしていく」との使命の下、北米やアフリカ、さらには中東へ植民地を広げ、フランス語とフランス文化の移植に努めた。

フランス大革命(1789年)後は、ナポレオンが力でもって自由、平等、博愛の理念を周辺の国々に広げていった。これは各国で封建制度を崩壊させ、新しい国家統一への足がかりを与えた。しかし、逆にこれが各国の民族意識を目覚めさせ、フランスへの反抗に駆り立て、ナポレオン没落のきっかけとなったのは史実が示している。

いまもフランスは自由、平等、博愛の理念に基づく普遍的な人権概念を打ち立てたのは自分たち、との自負心を持つ。世界が見守る五輪の開会式は、フランスにとってこの人権の理念の重要さを、今日的な意味合いの中で改めて示す格好の場でもあった。

エッフェル塔を彩るレーザー光線が美しく交錯するなか、トロカデロ広場前の会場でパリ大会組織委員会のエスタンゲ会長は「五輪は全ての問題を解決できるわけではない。しかし、この夜、みんなが一つになれば人類はどれだけ美しいかを思い出させてくれた」と語った。「結束こそ力」とのメッセージだった。

クライマックスには、筋肉などが硬直する難病「スティッフパーソン症候群」と闘うカナダ出身のセリーヌ・ディオンさんが、エッフェル塔展望台の特設舞台から、フランスのシャンソン歌手、故エディット・ピアフさんの「愛の賛歌」を感動的に歌い上げた。ガガさんやディオンさんら海外のアーティストもバランスよく起用し、フランス至上主義に陥らない演出も目についた。

存在感乏しかったマクロン大統領

セーヌ川を舞台にした開幕式の成功は、「テロにひるんで縮こまらない」「警戒は怠らず堂々と最良のことを実行する」という大会組織委員会の姿勢のたまものでもあった。前例踏襲を嫌い、新局面を切り開こうというフレンチ・ウェイの成果と言ってもいいだろう。

開会式には、ドイツのショルツ首相、英国のスターマー首相、米国のジル・バイデン大統領夫人らも参列した。一方、開会宣言こそしたものの、開催国を代表するマクロン大統領の存在感は薄かった。マクロン氏はウクライナや中東で戦闘が続く中、五輪休戦を提唱したが、聞き入れられなかった。

そもそもマクロン氏は内政、外交で大きな袋小路にあり、発言力を大きく落としている。特に内政では、自ら敢行した下院の解散・総選挙で与党が大きく議席を減らし、3週間たった今も新首相を決められないでいる。五輪後に改めて取り組む予定だが、五輪開催は政権の追い風になりそうもない。

しかし、開会式は目先の政治を超えるものを残した。国力では中級国家になったとはいえ、ソフトパワーではフランスはまだ世界のリーディング国家であることを、開会式の演出によって改めて見せつけた。フランスの歴史、文化、芸術などの奥深さも再認識させた。一時は古いヨーロッパと見られていたフランスだが、開会式で提示した社会の多様性、斬新さ、先見性などを通じて、そのイメージを払拭したことは間違いない。

「パリに行ってみたい」「フランスを旅行してみたい」「セーヌ川下りをしたい」。フランスが生み出す新たな魅力を体現させた開会式は、世界の多くの人にそう思わせたことだろう。

バナー写真:セーヌ川上で行われたパリ五輪の開会式=2024年7月26日、パリ(ロイター)

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