財政の構造問題に切り込むべきだ:前財務事務次官、矢野康治氏に聞く

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日本の財政事情は、世界で最も深刻な状況にある。これに対し、国家は家計とは異なるのだから、心配する必要はないと論陣を張る政治家やエコノミストも存在する。財務省の前事務次官で神奈川大学特別招聘教授の矢野康治氏に話を聞いた。(聞き手 : ニッポンドットコム常務理事 谷定文)

矢野 康治 YANO Kōji

1962年生まれ。山口県出身。一橋大学卒。大蔵省入省、小樽税務署長、国家戦略室参事官、社会保障改革担当室参事官、内閣官房長官秘書官、主税局長、主計局長、財務事務次官など重要ポストを歴任する。退官後、神奈川大学特別招聘教授、日本生命保険特別顧問。

矢野氏は財務省きっての財政規律論者として知られ、歴代の政権幹部にも臆することなく直言してきた。次官在任中の2021年10月、月刊『文芸春秋』に寄稿した『財務次官、モノ申す「このままでは国家財政は破綻する」』では、自民党総裁選や衆院選をめぐる政策論争を「ばらまき合戦」と批判。日本の財政を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているよう」とたとえ、改めて危機感を表明した。

内閣をサポートする側である省庁のトップが、内閣が編成する補正予算を「ばらまき」と表立って批判するのは異例中の異例で、一部の政治家からは更迭論まで飛び出した。

悪化の一途をたどる日本の財政

―日本の財政を「ワニの口」にたとえていますね。

日本は半世紀にわたって財政赤字が続き、一度も黒字になっていない。「景気対策で税収が伸びれば、収支が改善する」という楽観論が先進国で最も旺盛な残念な国です。真っ赤な嘘ではありませんが、根本的に間違いです。日本は人口が減っているのに、歳出は増えている。それは高齢者が増えて医療・介護費、年金などの社会保障費が毎年8000億円も増えているからです。一方で、税収の多くを支える生産年齢人口(15~64歳)が減っているので、なかなか税収は伸びない。

社会保障における受益(給付)と負担の構造

―財政の悪化に拍車がかかったのは、大規模災害やコロナ禍なども影響している。

それは事実ですが、10年間たつと景気や大災害によるうねりは消えます。江戸後期の農政学者・二宮尊徳の歴史的な功績は、いくつもの藩の財政を建て直したことです。彼は一時的な水害や景気変動という要因を除いて、100年さかのぼって藩の財政の根本を分析しました。この目線がないと財政改革はできません。

財政の持続可能性を論じる上で大事なのはストックです。債務残高の対GDP比の国際比較を見ると、同じデータを公表している約180カ国の中で日本はワースト1位。しかも、この30年間、借金は急増するか微増するかで悪化の一途をたどっています。

各国は経済が好調な時には借金を返してきたが、日本はやっていない。どの国もコロナ対策で財政出動しましたが、収束後に米国、英国は財源を手当てしたし、ドイツ、フランスは増税しないまでもコロナで積み上がった債務の返済計画を立て実行している。日本はどちらもしていません。

崩れた受益と負担のバランス

―少子高齢化が進めば財政は悪化する。

米国は低福祉・低負担、北欧は高福祉・高負担、英国は中福祉・中負担。どれを選ぶかは国民の選択です。ただし、受益と負担が釣り合っていなければなりません。

多くの国は、受益と負担が釣り合う水色でハイライトしたゾーンに分布する。現在の日本はこのバランスソーンからははみだし低負担で中福祉を享受しています。このままでは、2060年にはかなり上に突き抜けていくと予想されます。

これをバランスさせるには、「給付をカットする」「負担を増やす」「その合わせ技」のどれかを選ぶしかありません。

社会保障における受益(給付)と負担の構造

高齢者の就労増で痛みが緩和する

―福祉カットも負担増も国民にとっては痛み。

ポケットからハトが出てくるような楽観論は、ことごとく論理破綻しているか、桁がいくつも違う、無いものねだりです。現実を直視しないといけないのですが、なんとか痛みを少しでも和らげるすべはないのかと考えると、「今より、長く働きましょう」ということになる。

長く働く分、税金と保険料を追加的に取られますが、手取りのお金も増える。就労で健康が維持されるなら医療と介護費の伸びを抑えられます。各種のアンケートでは、高齢になっても働きたいという人が日本では多い。雇用者の高齢者に対する求人も常に旺盛です。そうやって元気に働き続ける明るい長寿社会をつくれば、本人にとっても、社会全体にとってもハッピー(ウィン・ウィン)です。

―いったい何歳まで働けばいいのか?

21世紀初めの男女合わせた平均寿命は80歳でした。現時点で85歳まで延び、今世紀末には100歳になると言われています。1世紀で20年延びて4分の5長く生きるようになるのだから、60歳で仕事を辞めていた多くの人が75歳まで働くということになる。一見“老人いじめ” だと叱られるかもしれないけれど、本人が望むなら健康寿命近くの年齢まで、今よりも、もうちょっと働くこともできると思います。

寿命の延びに合わせて、高齢者の定義を変える

―65歳で年金受給開始、75歳から病院で1割支払いという制度については。

「65歳以上が高齢者、75歳以上が後期高齢者」という定義を見直さないと、毎年、小手先の社会保障改革をあれこれやっても、焼け石に水です。年金受給年齢を60歳から65歳に引き上げましたが、その後、誰も65をいじる議論をしていません。ここに手を付けないと根本的に立ち行きません。

年齢3区分別人口の推移

100歳以上の高齢者は、統計を取り始めた1963年は153人でしたが、81年に1000人、98年に1万人を突破し、23年時点では9万人になりました。医療の進歩で、平均寿命は着実に伸びている。なのに、従来と同じように65歳から年金をもらい始めていいのか、という話です。長寿は祝うべきことですが、高齢者を支える環境が厳しくなっているのは間違いありません。

―医療費も膨張しています。

75歳になると医療費の窓口負担が1割で済みます。元気で貯金が5億円あっても、年収がゼロなら1割で済むなんて馬鹿(ばか)なことをやっている国は他にありません。

平均寿命が延びたら、それ相応に高齢者の定義をじわじわと上げていく。できれば、自動的に上がるよう制度に組み込めばいい。物価スライド、賃金スライドがあって、寿命スライドができないことはありません。タイムラグや一定の周知期間が必要かもしれませんが、寿命が延びれば、遅ればせながらでも、少しずつ高齢者年齢を上げていくという感覚です。理屈の上で否定できる人はいないはずです。

いずれ高齢化率で日本を追い抜く中国や韓国は、日本がどう失敗するか成功するか、見ています。失敗すれば、自分たちはうまくやろうとするでしょう。いつまで65歳75歳の高齢化の定義にしがみついているのか。課題先進国、日本がやるべきことは明白です。

「それは無理だ」「非現実的だ」「空論だ」…などと言うのなら、過酷な給付カットや増税ないし保険料引上げを選択(甘受)するしかありません。あれもイヤ、これもイヤ、は成り立たないからです。元気に働き続ける明るい長寿社会をつくればよいのです。

矢野康治氏
矢野康治氏

増税するなら消費税+α

―増税をするとしたら、富裕層の税率を上げるべきだという議論がある。

税のグローバリゼーション(国際化)が進んでいる中で、日本の所得税は高い方です。これをさらに上げるのは現実的ではありません。法人税も同じです。日本は、高齢化率が高いのに消費税率が低い特異な国です。消費税だけ上げるということは、絶対にないですが、世代間の公平、少子高齢化という構造問題、国際的な税の動向、国際競争力を勘案すると、消費税を中心にせざるを得ません。

―消費税には逆進性があり、インボイスの事務負担の問題もあります。

所得が10倍になっても消費は6倍にしかならないから、残りは消費税のかからない貯蓄に回る逆進性については、きちんと考えなければならない。だから、野田佳彦政権の時に軽減税率か給付付き税額控除という緩和策を検討した。デメリットを無視してはいけませんが、進むことをためらうのが正しいとは思いません。

確かにインボイスは面倒ですが、軽減税率がある以上必要です。なぜなら、それがないと売り上げには安い税率、仕入れには高い税率で申告できてしまうから。そうすると、正直者が馬鹿を見ることになってしまいます。

財政再建派はオオカミ少年?

―財政危機に警鐘を鳴らし続けていますが、今のところ破綻には至っていません。

いつかは正確に予測できませんが、今の財政を放置していたら、ウサギだと思っていたのがオオカミだったという日が必ず来ます。財政が極まると金利が必ず上がります。歴史上どの国も逃れられなかったことです。

―日本国債は外国人保有比率が低いから、心配しなくていいという人もいます。

その議論は日本人が97%持っていたころの話で、今は85%程度まで減っています。フローでは外国人が現物の3~4割、先物の6~7割を取引している。楽観論者は勇ましいですが、首都高速を時速180キロで走る暴走族のようなもの。5周、10周回って「俺は不死身だ」と言っているのと一緒。いずれ死にます。

日本国債市場という池に日銀というクジラがいて、水(国債)の半分以上を吸い取っていますが、物価が上がったら、水(国債)を吸い取ることはできなくなる。クジラが徐々に退場したら、誰が国債の大洪水を処理するのか。物価高と円安という通貨価値の下落が現に起こり始めているのです。

「まだオオカミは見えない」というのは、愚者は経験に学ぶというのと同じ。賢者は史実からやってはならないことを学びますが、愚者は自分が痛い目にあって初めて分かるのです。でも、もう座礁は始まっています。

矢野氏はインタビュー中、「不都合な真実」から目を背け、選挙前にばらまきに走る政治家に対する不信感を隠すことはなかった。退官後、直接国民に語り掛ける全国行脚を続けているのは、政治家を選ぶ有権者こそが政治を変える力を持つと信じるからだ。減税、助成金、経済対策―選挙のたびに繰り返される甘い言葉に惑わされず、国民が事実に基づいた理性的な議論に参加することで、日本が「変わる」チャンスは残されている。

インタビュー写真撮影 : 土師野幸徳

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