福島第1原子力発電所からのALPS処理水海洋放出-その正確な理解に向けて-
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ALPS処理水の海洋放出は果たして問題なのか
2023年8月24日から18日間に渡り、東京電力福島第1原子力発電所から1回目の多核種除去設備等処理水(ALPS処理水)の海洋放出が行われた。その後、同10月5日より18日間、同11月2日から18日間と、同様にALPS処理水が放出された。
ALPS処理水は福島第1原発の事故処理や廃炉作業において発生し、敷地内のタンクで保管しているものである。汚染水の発生は今なお継続しているためにタンクによる貯蔵は限界に達しつつあり、政府は2021年4月13日に、海洋放出の方針を決定した。
ALPS処理水は、セシウム吸着装置と多核種除去設備(ALPS)によりトリチウム以外の62種類の放射性物質を法令に定められた基準を満たすレベルにまで浄化処理したものである。海洋放出の際には、規制基準を厳格に遵守するのみならず、風評被害を最大限に抑制するため、トリチウムを除く核種の告示濃度限度比総和が1未満になるまで二次処理を実施し、その後大量の海水で100倍以上に希釈している。
これは、規制基準の1/40、世界保健機構(WHO)飲料水基準の1/7の水準である。なお、トリチウムは自然界にも広く存在し、飲料水などを通じて人間の体内にも取り込まれるが、排泄され、特定の生物や臓器に濃縮されることはない。
放出に先立ち、2022年に原子力分野の専門機関である国際原子力機関(IAEA)が処理水安全レビューおよび規制レビューを実施し、ALPS処理水の安全性、規制プロセスの妥当性、処理水のサンプリング分析結果についての報告書を公表した。
報告書では、ALPS処理水放出関連設備の設計と運用手順には的確に予防措置が講じられており、ALPS処理水の放射性物質の分析に関しては東京電力が高水準の測定に関する技術的能力を有することが証明された。
さらにIAEAのグロッシ事務局長も、放出は国際基準に完全に適合した形で実施され、環境にいかなる害も与えることはないと確認できる、と明言した。
放出中および放出後もモニタリングは定期的に行われており、現在のところトリチウム濃度は全て検出下限値未満(7~8Bq/L未満)であって、人や環境への影響がないことが確認されている。
また、放出後最初のIAEAによる検証報告書が2024年1月30日に公表され、そこでは、安全性に関して「国際安全基準の要求と合致しない点は確認されなかった」としている。なお、来日して調査を行ったIAEAの調査チームは、中国・韓国の出身者を含む国際専門家で構成されていた。
ところが、放出開始後、中国は日本産の全ての水産品の輸入を停止し、また、中国からの発信と思われる海洋放出についての苦情の電話や嫌がらせが日本国内において多数発生した。また香港やマカオも、10都県産の水産品または生鮮食品等の輸入禁止措置をとった。実体的にも手続的にも上記のとおり問題のない海洋放出に対して、このような措置がとられることに対し、わが国は関係各所に反論や申し入れを行っている。
ロンドン議定書遵守グループおよび締約国会合における論争
ところで、この問題は、わが国政府が海洋放出に言及するようになった2019年頃から既に、ロンドン議定書遵守グループ会合(筆者が委員を務める)や同締約国会合において、韓国やグリーンピースインターナショナル等により安全性への懸念が示されたり、抗議がなされたりしてきた。韓国については、一時、国際海洋法裁判所への提訴も検討しているとの報道も見られた。海洋放出という基本方針が決定されると、議論はさらに激しさを増した。
そもそも、このロンドン議定書は、「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」(以下、ロンドン条約)を強化するために締結されたもので、海洋投棄による海洋汚染を防止するために、廃棄物の船舶・航空機・人口海洋構造物からの海洋投棄および洋上焼却を原則として禁止する国際条約である。遵守グループ会合や締約国会合において、韓国、中国、グリーンピースインターナショナルが主張したのは、第1に、議定書の2条が、「締約国は…汚染のすべての発生源から(※1)(from all sources of pollution)海洋環境を保護し、及び保全し」と規定しており、ALPS処理水の海洋放出はこれに違反する、第2に、ALPS処理水に含まれるトリチウムは、通常の操業によるものではなく事故によって発生したものである、ということであった。はたしてこれらの主張は妥当かどうかが問題となる。
第1の点については、議定書は船舶等からの投棄を規制する条約であり、陸上からパイプラインを経由して行われる放出は規制していない。このような議論を受けて、ロンドン条約及びロンドン議定書事務局(国際海事機関:IMOに置かれている)は、海洋放出のロンドン議定書上の法的位置付けについて、2022年に「法的助言」を出すに至ったが、そこにおいても、パイプラインは「人工海洋構築物」に該当せず、パイプラインを経由した廃棄物の投棄は本議定書の規制対象外と述べられている。
第2のトリチウムを含む液体放射性廃棄物の取扱いについては、日本のみならず原発等を有する国に共通する事項であり、各国の原発事業者は国際放射線防護委員会の基準に基づき策定された排出基準に従ってトリチウム水を排出しており、本件のみについて条約違反を問う法的根拠はない。
日本が負っている国際義務は何か
もとより、いずれの国家も海洋環境を保全する義務を負っていることに異論はない。
ALPS処理水の海洋放出についても、これを規制する国際法はある。まず、国連海洋法条約(UNCLOS)は海洋環境保護に関する様々な一般的な義務を規定している(192条)。これに続いて、海洋環境の汚染を防止し、軽減し及び規制するための措置をとる義務や、環境影響評価を行う義務等が規定されているが、これらのために国家がとるべき具体的な措置やその基準の設定は各国の裁量に委ねられている。
その際、その裁量は無制約ではなく、国際的に法的な非難を浴びることのないよう、国際的な権威のある専門機関が定める基準に合致する措置を定めることになるが、今回のような海洋放出であれば、IAEAが設定している安全基準や指針がこのような基準に該当することになる。今回は、ALPS処理水がIAEAの基準に合致していることや、放出の手続についても安全性が確保されていることがIAEAの調査でも証明済みであり、問題になることはない。
地道な外交努力こそ
2023年の第1回海洋放出後の9月末~10月初旬にかけて開催されたロンドン議定書各種会合では、やはり韓国、中国、グリーンピースインターナショナルが従前の抗議と同内容の見解を述べた。
このような状況の下で、ロンドン議定書の事務局は、非公式であると念を押した上でIAEAによる調査報告の機会を会期中に設けた。この報告と日本の発言は多くの国に支持され、多くの政府代表が「日本の透明性のある報告とIAEAの調査結果を全面的に信用する」との発言をし、最終的には前年まで韓国等の意見に同調していた国々までもが次々に日本への支持を表明するに至った。
とりわけ米国政府は、この問題は科学的な見地から判断しなければならず、IAEAの調査結果を踏まえれば、日本の報告に全幅の信頼を持つことが当然であると強く述べた。
この論争は、おそらく放出が行われている間は繰り返されるかもしれない。しかしながら、地道な日本の外交努力は国際社会の支持を得ており、筆者はその瞬間を目の当たりにしたのであった。
バナー写真:東京電力福島第1原発から出る処理水を希釈するため海水をくみ上げるポンプ(2023年8月27日撮影、時事)
(※1) ^ 傍点は筆者