敵対国を内側から攻撃する影響工作:中国が「語らないもの」の政治性

国際・海外 政治・外交

習近平体制下の中国で、ネットなどの言説空間を通じて自国の影響力を高め、あるいは敵対国に混乱を引き起こそうとする「影響工作」の規模が拡大している。筆者は、中国からの偽情報のみならず、情報の取捨選択によって拡散しようとするナラティブを分析する重要性を指摘する。

国際社会の主なアクターは国家であり、国家が利益と捉えるのは自国の生存やパワー追求であり、そして国益追及の主な手段は軍事力である―。今日までの国際政治学においては、こうした国家中心主義的で物理的な前提理解が主流だった。

この前提がいま、二つの意味で突き崩されている。国家が権威主義的指導者およびその政権の維持というサブナショナルな目的を達成すべく、非国家主体や個人を用い、敵対国ではなく敵対国の社会を内部から弱体化させることで、敵対国の外交・安全保障を麻痺(まひ)させようとする影響工作の行使が常態化しているのである。国家行動だけを見ていては見落とす要素が深刻になった。

そして第二に、それまでは軍事力や経済力など可視化しやすい資源の動きに着目して国際政治を読み取ることができると考えられていたのに対して、情報の恣意的な取捨選択で構築されたナラティブが与える影響が強まった。こうして非物理的な情報というものが占める戦略的重要性が高まったうえ、何が伝えられているかという可視的情報のみならず、何が伝えられていないかを読み取ることがさらに重要になった。

特に中国共産党(以下、CCP)が仕掛ける影響工作は、ロシアのそれと異なり、長期的視野を見据えてこうした手段を駆使する。短期的に目に見える効果が出なくとも、これを分析・理解し、これに正しく対処していくことが求められる。本稿では、中国による影響工作の近年における手段・規模の拡大と、主な目的について論じる。

習近平政権下における影響工作

習近平が国家主席になって以来、CCPは影響工作を徐々に拡大してきた。2013年8月に「中国の物語を上手く伝える」よう、対外宣伝を強化すると習近平が明言すると(※1)、CCPのプロパガンダや、中国のイメージを改善するようなナラティブの積極的な発信が強化された。海外メディアとの連携強化や買収が進み、中国に関する情報源を国際的にCCPに一元化しようとしてきた。

19年に香港で反逃亡犯条例デモが拡大し、中国政府による抑圧が世界の目にますます晒されるようになると、CCPの影響工作はさらに攻撃的になる。オックスフォードインターネット研究所のサマンサ・ブラッドショーとフィリップ・ハワードは、この過程でCCPが対外偽情報を本格的に利用し始めたと指摘する(※2)。中国国内においては、CCPはそれまでも微博(Weibo)、微信(WeChat)、QQといった中国国内のプラットフォームを用いて偽情報を頻繁に発信し、CCPを美化するメッセージで国内の情報空間を満たそうとしていた。しかし香港が中国の「グレート・ファイアーウォール」と呼ばれる情報検閲システムの外部にあり、情報空間上国際社会と繋がっていることから、Facebookやツイッター(現X)など、中国国内では禁止されているプラットフォームからも偽情報の発信を活発化させたのである。デモ参加者が外国からたきつけられ、金銭を受け取ってデモに参加しているなどの偽情報が拡散された。

武漢を震源とする形で新型コロナウイルスが始まり、CCPの不透明性が国際的に非難を浴びる中、同様の傾向は続いていった。20年2月3日に習近平は、「インターネット空間が常にポジティブなエネルギーで満たされるよう」管理強化をするよう指示を出している(※3)。オーストラリア戦略政策研究所のエリス・トーマス、アルバート・ジャン、ジェイク・ウォリスによれば、その目的は主に、中国政府がコロナを巡って国際協調を行っているとのポジティブなナラティブを拡散し、他方で米国のコロナ対応は利己的であり失敗していると喧伝することであった(※4)

日本語でのCCPメディアによる発信にも、この傾向が見て取れる。例えば中国国際放送局(CRI)日本語は、「新型肺炎との戦い」と題するシリーズの動画を20年2月8日にYouTubeで配信し始めている(※5)。タイミングから見ても明らかに、2月3日の習近平の指示を受けたものであろう。内容はCCPのコロナ対応を礼賛するものが多いが、米国政府を批判するものもまま見られる。

予算拡大

こうした流れに沿って、予算も拡大している。2022年と比較すると、23年におけるCCPの「外交努力」用予算は12.2%増加して540億元(79億ドル)になっている(※6)。中国の影響工作について調査を続けている米国のNGOフリーダム・ハウスによれば、これには対外宣伝経費が含まれており、増加率としては国防費(7.2%)、公安費(6.4%)、科学技術費(2%)などよりも高い(※7)

このうち実際どれくらいの金額が影響工作に使われているか完全には分からないが、ジョージ・ワシントン大学のデイビッド・シャンボー教授は年間約100億ドルと推計している(※8)。米ジェームズタウン財団のライアン・フェダシウク氏が出した19年の推計では、統一戦線工作部への支出だけを見ても26億ドルで、外交部への支出よりも多い。(※9)

自国安定のため敵対国側を弱体化

2023年8月に日本語訳が出版された『中国の情報侵略』(東洋経済新報社)において、米ジャーナリストのジョシュア・カーランツィックは、CCPが影響工作を行う上での目的について、CCPの支配維持、他国の中国イメージ形成、台湾の正当性否定、国際組織・ルールの形成、米国の影響力減少、そして国際的な民主主義の後退などであると論じる。

手段としては、民主主義社会で論争となっているイシューを巡る分断を加速させたり、公的機関への信頼を損なわせたりすることで、民主主義国を内側から弱体化させようとする。また、民主主義国連携や同盟にくさびを打ち込み、中国への対抗網に亀裂を走らせようとする。

23年に開始された処理水の海洋放出は、その典型例となった。台湾や韓国など、日本と外交・安全保障上の関係を強めている国々において見られる放水反対の声を日本語で取り上げ、日本人読者に揺さぶりを掛けるとともに、台湾・韓国に対する日本の親近感を低下させようとした(※10)。同様のことは、台湾や韓国などにおいても行われた。

恣意的に捨象される情報

処理水放出を巡る偽情報が問題となってからというもの、日本で偽情報に関するニュースに接する機会が各段に増えた。偽情報に対する認知が拡大したことは悪くないが、ここに光が当たり過ぎると、認知がより困難で、より深刻な問題が忘れられてしまう危険性がある。情報を政治的に取捨選択して流布することで、CCPの望むナラティブを拡散しようとしているという問題である。何が報じられているかのみならず、あるいはそれ以上に、何が報じられていないかが重要なのである。

処理水放出に関しては、実際に各国に放出反対の声があったため、これらの情報を取り上げること自体には正当性がある。他方でCCPメディアは、IAEAが処理水放出を支持した科学的根拠についても、韓国や台湾などの政府が処理水放出を支持した事実についても報じなかった。

政治的かつ選択的情報伝達は、処理水問題に特有なものではなく、CCPが一般的に用いる手段である。例えば、筆者(市原)が2020年にアジア民主主義研究フォーラムの論文集で発表した研究成果によれば、統一戦線工作部の影響下にあって日本語で中国関連記事をネット配信しているレコード・チャイナ(Record China)は、韓国に関することになると、政治性が高く日本と対立するイシューばかりを取り上げ、それ以外のトピックについてはほとんど記事を配信していなかった(※11)

レコード・チャイナの記事タイトルで使用される単語の対応分析(2019年)

図1はその研究で行った対応分析の結果を示したものである。関連して使用されている単語は近接して配置されている。これを見ると、「韓国」や「日韓」の単語付近には「政府」「首相」「大統領」など、政府間関係を想起させる単語が並ぶほか、「批判」「問題」などの単語が使用されていることが分かる。

これを「中国」に連関して用いられている単語と比較すると、「中国」の単語は「選手」や「サッカー」などスポーツに関する単語、「中国人」は「観光」「客」などの単語と連関して使用されていることが分かり、非政治的コンテンツを集中的に報じていることが読み取れる。つまり、中国については政治的なコンテンツを報じず、逆に韓国については非政治的なコンテンツを報じないことで、親中・嫌韓ナラティブを醸成していたのである。なお、この結果は、2021~2022年のレコード・チャイナ記事を分析した呉東文氏の研究結果でも裏付けられている(※12)

ターゲットはわれわれ個々人

恣意的に流布される情報は、ほとんどの場合情報自体は正しい。そのため不正なナラティブだと一刀両断することができず、世論にじわじわと浸透する。CCPのこうした影響工作の手法は、今後も重大な安全保障・外交案件に関して使われていくであろう。

ターゲットにされているのは、われわれ個々人である。伝えられる情報をそれ単体として捉えるのみならず、情報の束の中に規則性を見出し、情報発信者の政治性を意識したうえで情報を摂取したい。

バナー写真:東電福島第1原発処理水の海洋放出開始について報じる中国各紙=2023年8月25日、北京(共同)

(※1) ^Telling China’s Story Well,” China Media Project (April 16, 2021).

(※2) ^ Samantha Bradshaw and Philip N. Howard, “The Global Disinformation Order,” Oxford Internet Institute, University of Oxford, 2019. 

(※3) ^在中央政治局常委会会议研究应对新型冠状病毒肺炎疫情工作时的讲话」『求是』(2020年2月15日)。

(※4) ^ Elise Thomas, Albert Zhang and Jake Wallis, “Covid-19 Disinformation and Social Media Manipulation,” International Cyber Policy Center at the Australian Strategic Policy Institute, (October 2020).

(※5) ^ CRI日本語「新型肺炎との戦い」YouTube。

(※6) ^ Ministry of Finance of China, “Report on the Execution of the Central and Local Budgets for 2022 and on the Draft Central and Local Budgets for 2023,” First Session of the 14th National People’s Congress of the People’s Republic of China (March 5, 2023), p. 42.

(※7) ^ Sarah Cook, ““Two Sessions“ Takeaways, Tibet clampdown, TikTok debates,” China Media Bulletin 169 (March 2023).

(※8) ^ China is spending billions to make the world love it” The Economist (March 23, 2017).

(※9) ^ Ryan Fedasiuk, “Putting Money in the Party’s Mouth: How China Mobilizes Funding for United Front Work,” China Brief, Vol. 20, Issue 16 (September 16, 2020).

(※10) ^ 例えば、CGTN「台湾の複数の団体 日本の放射能汚染水放出計画に抗議」AFPBB News(2023年6月15日)。;「韓国市民団体代表が訪日、11万人超の核汚染水海洋放出反対の署名を提出」CRI日本語(2023年7月28日)。

(※11) ^ Maiko Ichihara, “Influence Activities of Domestic Actors on the Internet,” in Asia Democracy Research Network, Social Media, Disinformation, and Democracy in Asia: Country Cases (December 2020), pp.9-17.

(※12) ^ 呉東文「構造トピックモデルを用いたレコード・チャイナの分析」GGR Working Paper No. 5(2023年12月13日)。

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