「五輪と万博」の幻想にとらわれる日本―低成長時代に見合う発展とは
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札幌での五輪開催は2034年も困難に
10月11日、東京都内で日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長、札幌市の秋元克広市長による記者会見が開かれた。口火を切ったのは山下会長だった。
「JOCと札幌市は昨今の状況を踏まえ、2030年の冬季大会招致を中止し、34年大会以降の可能性を探ることにした。20年大会の一連の(不祥事)事案を受け、大会運営の見直しやガバナンス体制の検討を進めてきたが、住民の理解を得ているとは言いがたく、私から秋元市長に提案した」
その翌日からはインドで国際オリンピック委員会(IOC)の理事会・総会が開かれた。「34年以降を目指す」と宣言した札幌の意に反して、IOCは30年と34年大会の開催地を同時決定することを決めた。30年大会は、スウェーデンやスイス、フランスの都市が候補に挙がり、34年大会は02年に開催実績のある米国のソルトレークシティーが有力視されている。年内にも絞り込まれる見通しで、2大会一括で決まるのであれば、札幌が体制を立て直す余地はない。事実上、34年の招致も絶望的になったのだ。
IOC総会後の札幌市議会で、秋元市長は「スケジュールありきではなく、これまで以上に市民との対話を積み重ねて、招致の実現に向けて取り組んでいく」と答弁した。38年大会を目指す考えはまだ明言していないが、招致レースからの完全撤退も含め、戦略の見直しは必至だろう。
地元では市民団体が住民投票条例の制定を求めて署名活動を展開している。賛否が分かれる問題であるだけに、住民の意向を無視して先に進めることはできないはずだ。
物価高や人件費の高騰を読めず、予算は膨張
大阪市の人工島、夢洲(ゆめしま)で開かれる国際博覧会、大阪・関西万博は、2018年当初、1250億円で各国のパビリオン会場を建設する計画を進めていた。しかし、その2年後には予算が1850億円に膨らみ、さらに最近になって2350億円規模にまで上振れする計画が示された。物価上昇による資材高や人件費の高騰を予測しきれていなかったというが、このままの経済状況が続けば、建設費は当初予算の2倍に膨らむことも懸念される。
収入面でも苦戦が予想されている。前売りチケットの購入を関西経済連合会(関経連)の会長、副会長を輩出している企業16社に依頼したものの、反応が芳しくないという。チケットは1枚6000円で、1社当たり15万~20万枚。金額にすれば1社9億~12億円という計算になるが、開催の準備遅れが表面化する中、どの企業も二の足を踏んでいるようだ。
財政的な懸念が高まる中、政府は警備費の20億円を国庫負担とする方向で調整に入った。当初は民間資金のみで運営経費を賄う予定だったが、結局は国民の税金が費やされることになる。岸田首相は政府主導で準備を進める考えを示し、経産省や財務省の局長級幹部を現地に派遣する方針も打ち出した。
毎日新聞社の世論調査によれば、万博の開催について「規模を縮小して、費用を削減すべきだ」との回答が42%で最も多く、「万博をやめるべきだ」も35%。五輪と同様、万博も国民の厳しい目にさらされている。
繰り返す「成長神話」への期待
池田勇人内閣の下、「所得倍増計画」に躍った1960~70年代の高度成長期。その頃の「成長神話」を追うかのように、日本では大規模イベントの誘致が繰り返されてきた。戦後復興の象徴とされた1964年の東京五輪以降の足跡をたどってみたい。
東京五輪後の流れはこうだ。70年大阪万博、72年札幌冬季五輪、75年国際海洋博覧会(沖縄海洋博)、85年国際科学技術博覧会(つくば科学万博)、88年名古屋五輪(招致失敗でソウルに決定)、90年国際花と緑の博覧会(大阪花博)、98年長野冬季五輪、2005年愛知万博、08年大阪五輪(招致失敗で北京に決定)、16年東京五輪(招致失敗でリオデジャネイロに決定)、20年東京五輪(新型コロナウイルスの影響で21年開催)、25年大阪・関西万博、30年札幌冬季五輪(招致断念)──。
開催を踏みとどまった例もある。国内の地方博として、東京臨海副都心で1996年に計画された世界都市博覧会は、開催10カ月前に中止が決まった。中止を公約に掲げて当選した青島幸男知事の判断だった。しかし、これによって宙に浮いた東京のウオーターフロント開発は、石原慎太郎知事時代に東京五輪の招致という形で再燃することになる。
大阪は2008年の五輪招致で北京に敗れたが、会場予定地は大阪市の人工島、舞洲(まいしま)だった。万博が開催される夢洲の隣の島であり、湾岸開発という点で五輪と万博はここでも連動している。
開発利益にすがる時代遅れの発想
札幌五輪の招致は、北海道新幹線の札幌までの延伸とともに地元経済を潤すと期待され、万博会場となる大阪の夢洲では、日本初のカジノを含む統合型リゾート(IR)が開業する予定だ。大規模イベントの開催は、常に開発利益や商業主義と密接に結びついている。
しかし、今や右肩上がりの発展を望むのは難しく、少子高齢化の低成長時代に入っている。国際的なイベントを日本で開催し、世界における存在感を高めようという発想自体、もはや時代に即していないのではないか。
五輪は商業主義が渦巻く中で不正がはびこり、国際平和や青少年教育といった本来の意義が薄れている。各国の科学技術や文化を披露する国際博覧会も、世界中の情報が簡単に手に入るインターネット時代で目新しさを欠いている。
米国の政治学者、ジュールズ・ボイコフ氏は、大勢の人々が祝福するイベントの陰で巨額の資金が動き、開発に伴う利益ばかりを追い求める風潮を「祝賀資本主義」と批判的に表現する。コロナ禍で開催された2年前の東京五輪はその象徴でもあった。
国立競技場が全面改築され、それに続いて計画される明治神宮外苑の再開発には反対運動が繰り広げられている。外苑内の樹木伐採は大きな非難を浴び、工事は暗礁に乗り上げた状態だ。五輪招致をきっかけに進められた開発は、大会が終わった今も逆風にさらされている。
持続可能な「光る国」に
五輪や万博の問題を研究してきた吉見俊哉・国学院大教授(社会学)は「1990年代以降、21世紀の日本が生きているのは緩やかな収縮の時代である。そんな時代に『お祭りドクトリン』の継続は幸せをもたらさない。むしろ、もう成長しない経済のなかで、人々が生活を豊かにしていく方法が求められているのだ」(『検証 コロナと五輪 変われぬ日本の失敗連鎖』)と述べている。
「お祭りドクトリン」とは、五輪や万博といった「お祭り」に依拠した戦後日本の発展政策を指す言葉だ。「祝賀資本主義」と意味するところは共通している。
秋元市長は、今の時代に札幌で五輪を開催する意義を「外からおカネを稼いでいくための社会システムに変えていくには、海外へ向けての発信が必要。こういう大会を使って街を変えていく意識を市民と共有しなければならない」と強調する。人口減少が続く中、地方都市が外国からの観光客に期待する気持ちも分からなくはない。起爆剤としての五輪という位置づけなのだろう。
バブル経済が崩壊した90年代半ば、『小さくともキラリと光る国・日本』という、政治家・武村正義氏(元新党さきがけ代表、昨年死去)の本が話題になった。経済大国、政治大国、軍事大国ではなく、日本はもっと違う形での発展を目指すべきではないか、という内容だ。自民党を離党し、新党を結成した当時をのちにこう振り返っている。
「バブル経済の残像が残る中で、まだ大国主義に酔いしれている政治家や国民に冷水を浴びせ、変革を促したかった。小さくてもキラリと光っている国を目指す、それを質実国家(質が高く、実のある国家という意味)として表現もした」(毎日新聞滋賀版「きらり・武村正義物語」2005年4月9日)
今も示唆に富む言葉だ。高度成長期とは異なる時代に日本は何をなすべきか。かつての夢を再び追いかけるのではない。環境や福祉、教育といった人々の暮らしに密着した地道な分野で、持続可能な「光る国」を追求すべきではないか。
バナー写真:札幌市中心部に掲げられた2030年冬季五輪・パラリンピック招致のポスター。だが、市民の間で招致活動は盛り上がらなかった(2023年10月11日、札幌市中央区) 時事