トミー・ジョン手術に潜むスポーツの危険性 ―大谷翔平の右肘は「部品」ではない

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米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が19日(日本時間20日)、ロサンゼルス市内の病院で2度目となる右肘の手術を受けた。自身のインスタグラムに「早朝に手術を受け、無事成功した。一日でも早くグラウンドに戻れるように頑張る」と記した大谷。来季の登板は困難となるものの、2025年には「二刀流」の復活が期待される。だが、2度目の手術は復帰の確率が下がるともいわれる。投手の肘の靱帯を機械の部品のように取り換えてしまう現代の医療は、アスリートの身体にとってどういう意味を持つのか。

酷使したエンゼルスの責任は重い

大谷が右肘を痛めたのは、8月23日のレッズとのダブルヘッダー第1試合のことだ。二回途中で違和感を訴え、降板して画像診断したところ、右肘内側側副靱帯の損傷が判明した。

大谷が「トミー・ジョン手術」と呼ばれる1度目の手術を受けたのは、2018年10月だった。翌年はリハビリに努め、投手としての復帰は20年となったが、それ以降は160キロ台の速球に磨きがかかり、ホームベースを掃くように曲がる高速スライダー「スイーパー」も習得した。しかし、手術から5年で右肘が再び痛み出したのだ。

春先のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本優勝の立役者になった大谷は、休む間もなく米大リーグのシーズンに突入。8月には「二刀流」で2年連続の2桁勝利、2桁本塁打を達成した。しかし、疲れは徐々に大谷の体をむしばんでいた。右肘に続き、打撃練習中に右脇腹も負傷。過密スケジュールの中で長距離移動も続き、投打の出場で体を休める時間はほとんどなかったのではないか。

大谷は今季でエンゼルスとの契約が終了し、フリーエージェント(FA)で他球団に移籍する可能性がある。手術は当然、契約にも影響し、投手としての復帰が成功しなければ、「二刀流」の価値も途絶える。エンゼルスのミナシアン・ゼネラルマネジャーは「この球団に長くいて、チームをけん引していってほしい。ただ、健康面などでも、望んだ1年は過ごせなかったと思う」と語ったが、メジャーリーグの看板選手である大谷を酷使した責任は重い。

革命起こした手術、日本の名投手も次々と

トミー・ジョン手術は1974年、米国の整形外科医、フランク・ジョーブ博士によって考案された。ドジャースの左腕投手、トミー・ジョンに対して行われた肘の靱帯再建手術が野球界に革命を起こし、その投手の名が冠せられて呼ばれるようになったのだ。

トミー・ジョンは1982~85年にはエンゼルスに所属、そのほかヤンキース、ホワイトソックスなどにも在籍し、26シーズンで288勝を挙げた。その半分以上の164勝が手術後にマークしたものだ 共同
トミー・ジョンは1982~85年にはエンゼルスに所属、そのほかヤンキース、ホワイトソックスなどにも在籍し、26シーズンで288勝を挙げた。その半分以上の164勝が手術後にマークしたものだ 共同

ジョーブ博士は2014年、88歳でこの世を去ったが、日本の投手も村田兆治(元ロッテ)や荒木大輔(元ヤクルトなど)、桑田真澄(元巨人、パイレーツ)といった名投手がジョーブ博士の手によって復活を果たした。この手術を担う医師は増え、松坂大輔(元西武、レッドソックスなど)の他、現役投手ではダルビッシュ有(現パドレス)や前田健太(現ツインズ)も肘にメスを入れた。

日本人として3人目となるトミー・ジョン手術を受けたのが荒木大輔さん。ヤクルト時代の1988年に渡米、計3度の手術と4年のリハビリの末、一軍復帰を果たした 時事
日本人として3人目となるトミー・ジョン手術を受けたのが荒木大輔さん。ヤクルト時代の1988年に渡米、計3度の手術と4年のリハビリの末、一軍復帰を果たした 時事

手術は、損傷した肘の骨に穴を開け、靱帯の代わりに手首付近にある長掌筋腱を移植してつなぎ合わせるのが一般的だ。1度目に手首の腱を切除すれば、2度目はもう片方の手首からというケースが多い。手首の腱が手術に向かない時は、膝の裏などにある腱を使う場合もある。

肘の治療に関しては、PRP注射という保存療法もある。患者自身の血液から抽出した「多血小板血漿(PRP)」を注射する治療法だ。トミー・ジョン手術に比べて復帰は早いが、損傷が大きい場合、完治は難しく、「延命措置」と呼ぶ関係者もいる。手術するか、保存療法を選ぶか、判断に迷う選手は少なくない。

死体の腱を移植した例も

トミー・ジョン手術の実態を描いた『豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品』(ジェフ・パッサン著、棚橋志行訳)というノンフィクションには、驚くべき例が紹介されている。死体の腱を移植する場面だ。

ドジャースのトッド・コッフィーという投手が2度目の手術を受けた時の話だ。1度目はマイナーリーグ時代の2000年だった。その時は右手首や左手首の腱では手術に適さず、結局、左膝裏の太い腱が使われた。それから12年後、2度目の手術に踏み切ることになった。

2度目も左脚に残っていた最後の腱を使おうとしたが、長さや太さに欠け、断念せざるを得なかった。そこで医師が手にしたのは、死体の腱だった。交通事故で亡くなった24歳男性の半腱様筋腱という大腿部の腱だ。代金は3000ドル(約44万円)。真空冷凍パックで病院に運ばれてきた腱が湯で解凍され、4時間近くをかけてコッフィーの肘に移植された。

この手術を担当した医師は、ロサンゼルスのカーラン・ジョーブ整形外科クリニックに勤めるニール・エルアトラッシュ博士だ。大谷の2度目の手術も行った、トミー・ジョン手術のスーパードクターの一人である。

リハビリを経てコッフィーは再びマウンドに立った。マイナーリーグやメキシカンリーグ、独立リーグを渡り歩いたものの、メジャーの舞台で脚光を浴びる機会は訪れなかった。それほど2度目の手術からの復帰は簡単ではないのだ。

人工の腱を組み合わせた「ハイブリッド手術」も可能

大谷の2度目の手術の詳細はまだ明らかにされていないが、従来のトミー・ジョン手術に人工の腱を組み合わせた「ハイブリッド手術」の可能性も指摘されていた。その方が強度は増し、復帰する確率も高くなるのだという。

一般的な臓器移植などを考えれば、人工の部位が用いられるのに、医学的な問題はないのだろう。しかし、競技力に関わるスポーツ選手の身体であるだけに、どこまで許容されるのかは議論の余地もあるはずだ。手術前よりも強い腱が移植され、以前よりも速い球を投げられるようになった場合、手放しで喜んでいいものかどうか。競技力が飛躍的に向上するのであれば、負傷しなくても手術を望む選手が出てきたりはしないか──。

かつて、両脚義足のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)という陸上選手が健常者の国際大会でも好成績を収め、2012年のロンドン五輪に出場して議論を呼んだことがある。高反発性能の義足がアスリートの競技力を高め、健常者の記録を上回るようになれば、従来の陸上競技は成立しなくなるのではないか、という懸念だ。

2012年ロンドン五輪の陸上男子400m、オスカー・ピストリウスは両脚が義足の選手として史上初めて五輪に出場。予選で45秒44をマークして2着となり準決勝に進出した。4×400mリレーでも決勝でアンカーを務めた 時事
2012年ロンドン五輪の陸上男子400m、オスカー・ピストリウスは両脚が義足の選手として史上初めて五輪に出場。予選で45秒44をマークして2着となり準決勝に進出した。4×400mリレーでも決勝でアンカーを務めた 時事

アスリートの身体の一部が「部品」のように取り換えられ、生身の本人以上に高い競技力を発揮する。それが現実のものとなれば、アスリートは「サイボーグ化」されていくかもしれない。トップ選手の商業的価値が上がれば上がるほど、そういう危うさはつきまとう。大切なのは選手の健康を守り、スポーツを行う上でどのように競技の公平性を担保するかという視点だ。

3度の手術に「ドーピングではないのか」……

ヤクルトのエースとして活躍し、3度の手術を経験した館山昌平さん(現野球解説者)が興味深い感想を述べている。

日本大学からヤクルトに2003年に入団した右腕投手だが、04年、13年、14年に相次いで手術を受けた。1度目は右手長掌筋、2度目は右脚内転筋、3度目は左手首橈側(とうそく)手根屈筋からの移植だった。

ややサイドから腕の“しなり”をフルに使って150キロ近くのストレート、シュート、スライダーを投げ込んだ館山昌平さん。右肘の靭帯には常にかなりの負担がかかっていた 時事
ややサイドから腕の“しなり”をフルに使って150キロ近くのストレート、シュート、スライダーを投げ込んだ館山昌平さん。右肘の靭帯には常にかなりの負担がかかっていた 時事

09年に最多勝投手となるなどの実績を収め、19年に現役を退いた。プロ通算15年で279試合に登板し、85勝68敗10セーブという成績を残した館山さんは、自著『自分を諦めない 191針の勲章』の中で、「医療の力を借りなければ僕は投げられなかった」と振り返っている。その一方で、常に後ろめたさもつきまとっていたというのだ。

「これは、形を変えたドーピングではないのか?」

手術することはもちろんドーピングではない。だが、手術によって従来のようなパフォーマンスが復活したことは明らかだ。館山さんは、性転換手術によって女子の試合への出場が認められたトランスジェンダーの重量挙げ選手のように、自分自身の中では葛藤を抱えていたと打ち明けている。

競技の場以外での行為によって、競技力が高まることは公正なのか。自分の身体の一部が機械の部品のように交換されてしまうことに危険性はないのか。それらはアスリートが抱く本質的な問いなのかもしれない。

手術より予防にもっと目を向けなければ

米国では既にトミー・ジョン手術を受ける選手の低年齢化が問題になっているという。若い世代の方が復帰できる確率は高いとされ、リハビリにかかる期間を短縮するような研究も進められている。

痛みから解放され、再び強い肘を取り戻せると期待する選手は多いだろう。将来が有望な若手選手ならなおさらだ。しかし、手術は決して機械の部品交換ではない。失敗すれば復帰できないリスクもある。もっと肘を痛める原因と予防にこそ目を向けるべきだ。

米大リーグは2014年、「ピッチスマート」という球数制限などのガイドラインを発表した。8歳以下、9~12歳、13~14歳、15~18歳、19~22歳というカテゴリーに分け、年齢に応じた投球数や休養期間の基準を示したものだ。

日本でも、近年は高校野球や少年野球の各団体が球数制限を導入するようになった。しかし、まだ障害予防の第一歩だ。負担の少ない投球フォームはどういうものか、どんなトレーニングを積むべきか、休養日をどれだけ設けるべきか、など課題は多い。医科学の専門的知見を取り入れ、選手が健康に長くプレーできる環境を整えなければならない。

バナー写真:8月9日(日本時間10日)のジャイアンツ戦で今季10勝目を挙げ、史上初の「2年連続2桁勝利・2桁本塁打」を達成した大谷翔平。だが、23日(同24日)のレッズ戦で右肘靭帯を損傷し、今季残り試合には登板しないことが決まった 時事

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