「表現の民主化」は是か非か…クリエイターの肉声で検証する生成AIの可能性
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制作現場におけるAIの波紋
近年、AI技術がさまざまな分野に応用されるようになった。その波は「ビジュアル表現」の分野にも及び、誰でも簡単にクオリティの高い画像を生成できるサービスが各社より公開されるようになっている。
AIを使えば、高度な技術が必要だった表現が、誰にでもできるようになる。つまり「ビジュアル表現の民主化」が進む、という期待があるいっぽうで、「クリエイターの職を奪う」という危惧や、著作権の問題を指摘する声もある。
(公表はされていないものの)大手出版社の中には、寄稿家に「画像生成AIを使用しないように」と要請しているところもすでにあるといわれ、また「AIを使った」という疑惑をかけられた“だけ”で、イラストレーターが炎上してしまう「事件」も起こり、激しい論議を呼んでいる。
創作者へのリスペクトと“革命”の可能性が渦巻くこの分野について、実際のところ、第一線のクリエイター、特に日本で盛んなマンガ分野の人たちはどのように感じているのだろうか。この記事ではその肉声をお届けしたい。
「AIの絵はクオリティも高い。すごい作品を公開する人も出てきている。ただ、ダイヤモンドも数が少ないからこそ希少価値があるわけで、簡単に出力されるようになると『絵の価値も暴落してしまう』という懸念はあるでしょうね。
ただ、たとえばデジタル作画が普及しはじめたときに、それまでアナログだけでやってきた人は複雑な思いをしたことでしょう。同じようなことはたとえば写真や、映画が現れた時にもあったはずです」
と語るのはマンガ家の森田崇(たかし)氏。
森田氏は1997年、小学館「少年サンデー超」にてデビュー。2011年より講談社「イブニング」誌にて連載を開始した『アバンチュリエ 新訳アルセーヌ・ルパン(現・怪盗ルパン伝アバンチュリエ)』を、現在は電子出版を駆使し、自分自身で公開するという、従来の枠にとらわれない活動を行っているクリエイターだ。
『怪盗ルパン伝アバンチュリエ』は、あのモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」をマンガとして描く作品。22年には「ルパン」の母国フランスでも、その名も『ARSÈNE LUPIN』のタイトルで翻訳版があらためて刊行され、22年12月の時点で10万部を突破する異例のヒットを記録。全世界累計で40万部という大きな実績を残して、現在は「813」編を連載している(作品情報の詳細は森田氏のnoteでも読める)。
森田氏は「技術というものは、それまで限られた人しかできなかったことを、多くの人ができるようになる方向で進歩してきた」と指摘する。
実際に「新技術の登場」はこれまでも表現の世界を大きく変えてきた。たとえば、かつて先人が膨大な時間とコストをかけて集めた資料が、現代ならば国会図書館のデジタルアーカイブを検索するだけで手に入ってしまう。こうした時代でなければ、自分などは記事などひとつも書くことはできないと自覚しているが、まさにデジタル技術によって「書くことの民主化」が実現しているわけだ。同じ流れはもちろん音楽など、他の分野にも起こっている。
AIによる画像生成が登場した結果、これからは誰でもカジュアルに自分の体験や知識をマンガにしたり、動画コンテンツにしたりすることができるようになるだろう。それによってビジュアル表現の裾野は広がるはず。
「ただ僕も興味を持っていろいろ操作してみたのですが、AIには「思っていたよりも、限界があるな」と感じるところも正直、ありますね。これはあくまで現時点の話ですが」
現時点でのAIの限界。それはそもそも「表現とはなにか?」という根幹に関わる領域だ。
AI絵のクオリティは技術的には、極めてレベルが高い。しかし人の心を動かすのは「技術」だけなのだろうか。AIであっても手描きであっても、それはあくまで「手段」であって、大事なものは「目的」。その「目的」を生み出すものはあくまで「人」であり、自分の場合は「描いている人」が感じられる作品が好きだと森田氏も語る。
森田氏は23年3月にフランスに招待され、そこで多くの取材を受けたそうだ。そこで最も多く聞かれた質問は「なぜ遠い日本のマンガ家が、ルパンにそこまで思い入れを持ってくれるのか?」だった。つまり「ルパンをマンガにした」という事実だけではなく、森田氏の表現者としての「目的」、言葉を変えると「作家性」に興味を持たれたわけである。
AIの恩恵と限界
しかしAIは宿命的に既存の絵を学習して出力するツール。クリエイターの個性は、その出力の調整に発揮されるが、まだ偶然性に左右される部分が大きい。望む絵が出るまで出力を繰り返すことになる。その人の個性を出すためにはかえって膨大な手間がかかってしまう。
──しかし森田さん、ルパンのライバルだったシャーロック・ホームズの母国イギリスは、現代でもしたたかにロイヤルワラント、王室御用達みたいなブランディングを打ち出したりして商売を行っています。しかしルパンは革命の祖国フランスのヒーロー。特権階級への反逆児でもあるわけで……。
「そうすると僕は『表現の民主化』を支持しないわけにはいかないですね!
冗談はさておき自分自身、これまでいろんな技術の恩恵を享受して暮らしてきました。だから、いざ新技術が自分の領分に足を踏み入れてきたからといって、否定するわけにはいかないでしょう。業界の地図は書き換わっていくと思いますが、むしろ自分を含めて広く活用されるようになって、より豊かな世界になってほしいですね」
実際のところ「AIがクリエイターの職を奪ってしまう」という危惧については、どうだろうか? 名門マンガ誌出版社の現役編集者D氏は「すでに現在、プロとして活動していて、きちんと固定ファンを持っている人には、影響は少ないだろう」と語る。
D氏は、日本最大の同人誌頒布会「コミックマーケット」にも古くから参加するベテランで、繰り返しアニメ化が行われるヒット作をプロデュースしてきた実力派だ(所属会社、編集部を代表する発言ではなく、あくまで個人の意見であるため匿名を希望)。
D氏の受け止め方も森田氏と似ている。D氏がコミックマーケットの会場で見たAI作画作品は非常にレベルが高く、もし10年前であれば「この絵師を紹介してくれ」と頼んでいただろうと語る。
しかしプロのマンガ家の目指すものは、究極的には「誰も見たことのない絵」。いっぽうAIの絵は、その性質上どこか既視感がある。そのためフリー素材としてはものすごく便利だが、人の心の深いところにまで届き、現在活動しているクリエイターの職を奪うほどまでに成長するのは、まだもう少し時間がかかるだろう。
未知なる表現の可能性
ただ編集者として感じる危惧は未来にあるそうだ。どんなハイクオリティなビジュアルでも簡単に生成されるとなると、わざわざ苦労してまで「描く技術」を身につけようとする人は、激減してしまうのではないか?
志望者がたくさんいることは、そのジャンルの活気に直結する。だから、確かにそれは現実的なリスクだ。しかしそのいっぽうで、D氏にはワクワクするところもあるそうだ。
「大きな変化、パラダイムシフトの中で、今までまったく想像もできなかったような新しい才能が出てくる可能性はある。とんでもない組み合わせを学習させて、ギリギリのところを突いてくる。そんな才能が出てくるかもしれない。そこは実は、ワクワクする部分でもあるんですよ。だからAIの登場は面白いと感じています」
──AI時代にクリエイターを目指す人にアドバイスをするとしたら?
「AIは、作業を効率化する手段としてはすごく使える。便利に使えるものは、ぜひ使っていいと思いますが、でもやっぱり自分という個性のリアリティは保っていてほしいです」
昔から言われてきたように、本を読み、映画を見る。いろんな経験をして積み重ねていくことはやっぱり変わらず大事だとD氏は指摘する。人の作品の模写も重要。しかしいつも「では自分だったらどうするか?」と考えることを忘れないようにする。
「それと、あともうひとつ付け加えるとしたら……」
──付け加えるとしたら?
「道具はうまく使ってください。現実社会には曖昧な領域がある。その曖昧さをあまりに厳密に割り切ってしまうと、ジャンルの活気もなくなってしまう。だからといって奔放に使うと、批判を浴びることになる。プロを目指すのなら、その辺のところはきちんと見極めて、便利な道具はうまいこと使ってねと思います」
AIが出力するといっても、それは手段の話。大事なのは「なにを人に伝えたいか」という目的。この点で、マンガ家も編集者もその価値観は一致していた。
画像生成は非常に便利なツールだ。作中に登場する小道具のデザインなどに活用して作業を効率化し、すでに手放すことのできないツールになっているクリエイターもいる。
しかしもし今後、本当にそうしたAIが人の職業を奪うとしたら、そのときはAIが「個性」を持った瞬間。言わば「作家性」を持つようになったときだろう。それはもう少し先かもしれないし、もしかすると1カ月先かもしれないが、そのときは表現の世界も大きく変わることになるだろう。
森田氏もこのように言う。
「つまり、AIが自分の意思を持つということですよね。でもその時は、表現だけじゃなく世界そのものに大変化の波がやってくるでしょう。そうしたらもうワクワクして、新しい時代を楽しむしかないですね」
バナー画像:有料の画像素材サイトPIXTAで、「生成AI」で検索をかけて表示される画像の数々。圧倒的に女性の画像が多いが、さまざまなタッチのものがあり、いわゆる「プロ」の作品と遜色ないクオリティがある(PIXTAの画像をニッポンドットコム編集部でコラージュ)