日銀が長期金融操作を修正:日本経済ヘの影響は?

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日本銀行(日銀)は7月の金融政策決定会合で、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)の修正を決めた。植田和男総裁の就任以来、初めての政策修正をどう見るのか。第2次安倍内閣のアベノミクス策定で内閣府事務次官として関わった筆者が、アベノミクス開始時から見た現在の金融政策を分析する。

金融政策修正でYCC の運用を柔軟化

日銀は7月28日の金融政策決定会合で、YCCの基本を維持すると同時に運用の柔軟化を進めることを決定した。長期金利の上限0.5%を「程度」としていたのを「めど」として幅を持たせ、その一方で1%を事実上の上限としたのである。

植田和男日銀総裁は、決定の狙いを「金融緩和の持続性を高めるため」であると説明した。今回の措置は、昨年12月の、「市場機能の改善の為に」長期金利の上限を従来の0.25%から0.5%程度に拡大したのに続くもので、金利上昇圧力が強まって市場が混乱する「将来のリスクへの対応」だという。それは、デフレ状態にあったわが国の経済が、そこから脱却して正常化していく際には当然金利が上がっていくが、それを無理に抑え込もうとすると混乱が生じるのでそうならないようにするということであろう。植田総裁は、金利が今回事実上の上限とした1%に近づいていく可能性は低いとしながらも、根拠のない投機的な変動に対しては「機動的にオペを打つ」として抑え込む姿勢を明らかにした。今後の物価見通しについては、不確実性が極めて高くマイナス金利の解除については「まだ大分距離がある」としながらも、「目標へ到達できる確率を高め」るために基本的に金利の動きを市場に委ねるとした。そして、近い将来のYCC撤廃の可能性について聞かれたのに対しては「その時点で適切な対応を考慮していきたい」とした。

以上のような植田総裁の発言は、最終的なマイナス金利の解除に向けて、その過程で混乱が生じないようにすることによって、日本経済を支えていく姿勢を明らかにしたものと言えよう。それは、足元では日本経済の現状に配慮して「粘り強く金融緩和を継続する必要がある」として市場の安心感を確保しながら、将来的には世界がゼロ金利や非伝統的な金融政策という緊急避難的な状態から脱却しつつあることに平仄(ひょうそく)を合わせていこうとするもので、適切なものと評価することができる。

日銀が、いつまでもグローバル化した世界の金融市場の政策と平仄を合わせなければ、諸外国の金融政策との違いからいたずらな円安や物価高に拍車が掛かり、日本経済に悪影響を及ぼすことになるからである。それは、アベノミクスを立案した時の教訓でもある。

アベノミクスとリーマン・ショックの影響

アベノミクスは3本の矢で有名だが、その1本目が大胆な金融政策だった。大胆な金融政策の考え方は、それまでわが国独自のものだった日銀の金融政策を世界の金融政策に合わせていくというものだった。2008年のリーマン・ショックの後、米連邦準備制度理事会(FRB)バーナンキ議長は、このまま手をこまねいていては百年に一度の大不況に陥りかねないとして、非伝統的な金融政策(思い切った量的金融緩和)に踏み切った。いわゆる、QE1(Quantitative Easing 1)である。その後も同様のQE2、QE3が打ち出され、リーマン・ショックの影響を大きく受けていた欧州中央銀行(ECB)も同様の政策を採用していった。ところが日銀は、わが国の金融機関がリーマン・ショックの影響をあまり受けていなかったこともあり、同様の政策を採用しなかった。すると、米国がQE1、QE2といった政策を打ち出すたびに、わが国の円はその実力を超えて大きく上昇していった。それは、国内のデフレ基調を強めるとともに、わが国産業の著しい空洞化を招くことになった。デフレ基調が強まる中で、少子化が進んで本来なら人手不足にならなければならないのに有効求人倍率は0.5前後という状況を続け、若者の就職難が深刻化していった。そこに付け込むブラック企業の存在が社会問題化するといった事態にまでなり、若者の自殺率も上がっていった。

2010年卒業予定の学生向けに催された合同企業説明会では、厳しい雇用情勢に学生たちが危機感を募らせた=2009年01月11日、東京都江東区の東京ビッグサイト(時事)
2010年卒業予定の学生向けに催された合同企業説明会では、厳しい雇用情勢に学生たちが危機感を募らせた=2009年01月11日、東京都江東区の東京ビッグサイト(時事)

そのような事態を前に、内閣府からは日銀に対して量的金融緩和策についての問いかけを行ったが、大方のエコノミストが日銀の独自の政策を支持していた中で政策変更は行われなかった。主な議論は、量的金融緩和策などやっても「ブタ積み」になるだけで、政策効果は見込めないというものだったが、政策効果がありすぎてハイパー・インフレーションになってしまうという議論もあった。すぐにハイパー・インフレーションにならないとしても、突然そうなるという「岩石理論」も唱えられた。当時の日銀の当座預金残高からして、10兆円を超えての国債買い入れのリスクは計り知れない、そんなことをすると日銀のバランス・シートが棄損されて円の暴落を招いて大変なことになるといった議論も行われた。

今となっては、忘れられてしまった議論ばかりであるが、何かというとリスクにばかり着目するエコノミストが多い日本の特性がそこに現れていたと言えよう。そのような議論が、まだ強かったにもかかわらず、深刻な日本経済の現実を前に、国際的な金融政策と平仄を合わせて経済を活性化していかなければならないとしたのがアベノミクスの大胆な金融政策であった。

市場との対話を密に慎重な運営を

今日、世界は非伝統的な金融政策からの「出口戦略」に取り組んでいる。新型コロナ・ウィルスの影響などから経済が立ち直り、ウクライナ戦争によるインフレという新たな事態に直面して当然のことと言えよう。ただ、日本の場合、経済の立ち直りが今一つで、本格的に「出口戦略」に取り組むのはまだ早いのが実情だ。とはいえ、グローバル化が進んでいる金融市場で、日本だけがいつまでも特殊な金融政策を続けることのリスクは、リーマン・ショック後の経験が教えているところである。ちなみに、米国の「出口戦略」による金融引き締めについても、わが国ではそれによるリセッションの恐れといったことばかりが取り上げられるが、米国の金融引き締めは中長期的な経済成長を目指してのものである。ケインズ経済学は、不況の時に積極的な財政・金融政策を行うとするが、景気が過熱した時には引き締めるともするものだ。そこから当然に出て来るのが「出口戦略」なのである。わが国も、かつての高度成長期には、必要に応じて日銀は引き締めを行って長期的な成長の実現に貢献してきたのである。

日銀の今回の政策決定は、日本経済の立ち直りがまだこれからとはいえ、日本経済に変化の芽が生まれてきていることを踏まえてのものである。今年の賃上げ率は30年ぶりの高水準となった。コロナ禍から立ち直って街には人出が増え消費は底堅い。企業の設備投資計画にも相当の伸びが見込まれている。日本経済は、アベノミクスの第3の矢である成長戦略が掲げた賃金と企業収益の好循環を、いよいよ実現することができる局面に差し掛かっている可能性が高い。

記者会見での植田総裁の「変化の芽を大事に育てていくことが重要だ」との発言は、日本経済のそのような実態を踏まえてのものであろう。とはいえ、長年低成長を続けてきた日本経済が、本当にそこから脱却できるかにはまだまだ不透明な部分が大きい。ここで、せっかく芽生えてきた変化の兆しを確実なものにしていくためには、日銀には市場関係者との対話に十分注意を払いながらの慎重な政策運営が求められる。

最後に、金融政策が正常化して金利が上昇していった時の日銀保有国債の評価損を心配する向きがあるが、そんな心配は必要ないということを述べておきたい。なぜなら、国債についての日銀の評価損は国の評価益だからである。英国では、そのような場合、中央銀行の評価損を国が補填(ほてん)することになっている。ちなみに、日銀による民間銀行からの国債購入は、民間銀行の国債保有リスクを日銀が引き受けるもので、日銀が固定利付国債を実質的に変動利付国債に変換してやっていると見ることができる。金利上昇局面になれば、日銀は預金準備率を超える当座預金に付利をすることになり、日銀の国庫納付金がその分減少していくことになるが、国に生じる国債の評価益を考えれば、それを甘受しても国庫にはおつりがくるはずなのだ。

バナー写真:金融政策決定会合を終え、記者会見する日銀の植田和男総裁=2023年7月28日、東京・日本橋本石町の同本店(時事)

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