日経台湾特集の何が問題だったのか?:現地で反発招いた報道の落とし穴
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「日本経済新聞」が2月28日から4日連続で掲載した特集「台湾、知られざる素顔」特集が台湾で大きな反発を引き起こした。特に問題となったのは、台湾の軍について取材した第1回目である。あまりの抗議に、日本経済新聞社は3月7日の紙面で「混乱を招いたことは遺憾です。公平性に配慮した報道に努めて参ります」という「お知らせ」を掲載、事実上の謝罪と受け止められた。
日本人が陥りやすい落とし穴
長年台湾政治を研究してきた者として、日経の特集には、台湾に関心がある日本人が陥りやすい落とし穴にはまった印象がある。それは、①特定の人の意見を聞いて「台湾全体がこうです」と描いてしまう傾向、②台湾が抱える問題を「本省人と外省人」という属性で解釈してしまう傾向、③「台湾はどうせダメなのだ」と見下す傾向である。研究者の視線でこれらの問題を解説したい。特集全体の批評は、東洋経済の劉彦甫記者の論考を参照していただきたい(※1)。
特集の1回目は、台湾軍(正確には中華民国国軍)の関係者に取材をし、「軍幹部の9割ほどは退役後、中国に渡る。軍の情報提供を見返りに金稼ぎをし、腐敗が常態化している」、「そんな軍が有事で中国と戦えるはずがない」という匿名の発言を掲載した。そして結論は「蔡総統は軍を掌握できていない」であった。
前後の文脈は、台湾軍の幹部は中国ルーツの外省人が牛耳っていると指摘し、外省人であるから中国に協力しスパイになると読めるようになっている。「それでも中国が好きだ」という見出しも、その印象を強める効果を持っている。
台湾側の感情的反発
この特集記事はすぐに台湾で報道され、台湾政府の国防部(防衛省に相当)、退役軍人組織は強く反発した。理由は、日経新聞が「退役軍幹部の9割が中国のスパイだと決めつけ軍を侮辱した」と受け止められたためである。
特集の意図が、台湾を複合的に見る視点を提供しようとしたことは評価できる。海外メディアの中には「台湾全体が反中」とする論調もあるが、実際の台湾は「反中」も「親中」も「中間派」もいる。中国の台湾への浸透工作もしっかり見ておく必要がある。中華民国国軍への共産党の浸透工作は国共内戦の時期から長い歴史がある。中国が仮に台湾に侵攻した場合、軍がどう戦うのかは非常に重要なテーマで、そこに潜在する問題を探った特集の意図は十分理解できる。ところが、特集は取材で得た「9割」という発言を検証せずに掲載したことで炎上してしまい、問題提起の意義も吹き飛んでしまった。
筆者の台湾取材の経験からすると、答える人が自説を力説するあまり数字を誇張するのはよくあることだ。そこを綿密な取材で真相に近づいていくのが記者の仕事であろう。単純に考えて、退役幹部の「9割」が本当に中国のスパイであるなら台湾はとっくに終わっている。「蔡総統が軍を掌握できていない」というのが本当なら、習近平の強圧を前に7年間持ちこたえるのは無理だ。少し考えれば「おかしい」と思うはずだ。
しかし、台湾の事情に詳しくない日本の読者の中には記事を読んで「そうだったのか」と納得した人もいたであろう。そこから飛躍して、「日本は台湾に肩入れすべきでない」と考えた人もいるのではないか。結果として、この記事は、中国が日頃から行なっている台湾をおとしめる宣伝戦にぴったりはまっているし、悪いことに、中国発の記事であれば注意して読むが、日経であるから真に受けてしまった人もいる。
実際のところはどうであろうか。事実の問題として、台湾軍の中に中国のスパイとなって軍の情報を渡して捕まった軍人が何人もいる。その中には外省人も本省人もいる。退役軍幹部で中国との交流がある人も少なくない。しかし、中国と交流があることとスパイになること(機密情報を渡す)の間には大きな距離がある。
筆者は4月に訪台し、台湾の国防関係者、識者、ジャーナリストらとこの記事について意見交換をした。スパイの数については推測にならざるを得ないが、「ある程度いる」というのは共通する感覚であった。「9割」は論外であるが「1割」なら実態に近いかもしれないという感想を漏らした人もいた。一部の退役幹部の親中的言動が大きな影響力を持つことはないとしつつ「警戒を高めるべきだ」という見方が多かった。
台湾軍の中に中国スパイが入り込んでいることを日米から指摘されることは、軍にとって面子にかかわり非常に敏感な問題だ。痛い所をつかれた感がある。だからこそ、足をすくわれないようしっかりした取材が求められる。
台湾は多様な意見が混在し、それぞれに一定の根拠がある。日本の記者が現地取材で聞く話の1つ1つは事実だ。だが、その話が台湾の世論の分布のどのあたりに位置するのかを常に意識して聞く必要がある。そのためには、台湾の議論の歴史的脈絡を知っておく必要がある。それをしていないと思い込みで台湾を語ることになるし、極論が日本で増幅されることになりかねない。台湾の日本通や日本語ができる人に聞くだけでは状況を見誤ることがある。研究論文も参照して取材の成果を客観化してほしい。
本省人と外省人
「本省人と外省人」のステレオタイプの分類は、一部の日本人評論家が好んで用いる台湾描写法だ。以前の文献に、台湾社会の特徴として「本省人と外省人の対立」が描かれているものが多い。1990年代の台湾はまさにそうであったし、94年の台北市長選挙はそうした省籍感情が爆発した選挙であった。
「外省人=中国統一支持」「本省人=台湾独立支持」という分類は、日本から見ると分かりやすかった。しかし、それから30年が過ぎた。台湾社会はゆっくりとであるが確実に変化している。台湾の民主化は、選挙権にとどまらず、少数派の権利の尊重にまで拡大してきた。「族群融和」を内包する多文化主義の方向に動いてきた。
外省人といっても、いまや第二世代、第三世代に移っている。1945-49年に台湾に渡ってきた外省人は、当時16歳以上とすると、いまはほとんどの人が90歳以上で、社会の一線からはとうに退いている。第二世代は台湾で生まれ育ち、民主化の道を歩んできた人たちだ。
外省人第二世代のアイデンティティは複雑で、日経の記事にあるように中国大陸に心のふるさとを感じる人がいる一方で、実際に先祖の墓参りで中国に行って親戚に会ったりして、中台両岸の違いを体感し統一不支持になった人もいる。外省人第三世代になると、「ひまわり学生運動」に参加する人も出てきている。
逆に、本省人の若者の中に、中国にあこがれを抱いたり、発展する中国での経済活動を考えたりする人も少なからず存在する。つまり、いまの台湾を伝えるためには、「本省人と外省人」の構造で語るのは時代遅れなのである。
世論調査のデータからは、若い世代ほど統一への支持が減っていて、ゆるやかな台湾アイデンティティが広がっていることが確認できる。これは軍においても同じだ。部隊の兵隊は40歳以下で、台湾の自由と民主の価値観の中で育ってきた。台湾軍は常に中国の浸透を警戒しなければならないが、中国の籠絡によって部隊が反乱を起こすというシナリオは現実離れしている。
省籍の問題がなくなったわけではない。台湾にはいまでも「本省人と外省人」の視点で議論する人がいる。その痕跡は、軍を含む台湾の社会構造の中に色濃く残っている。一方で、省籍による社会の亀裂を癒したいと考えてきた人もいる。こちらが多数派だ。外国人が知ったかぶりをして「本省人と外省人」を強調することに、内心で反感を抱く台湾人がいることは留意しておいた方がよい。
「台湾はダメ」という決めつけ
特集は「台湾の知られざる素顔」を伝えるというコンセプトだが、結局は「台湾はどうせダメなのだ」という決めつけがベースにあるように見える。これは珍しいことではない。「台湾が中国に統一されるのは歴史の流れ」というご宣託は、1950年代以来、日本の知識人、言論人が入れ代わり立ち代わり唱えてきたことだ。筆者は、底流には台湾への見下しがあったと考えている。このような見下しは一部の日本人読者には好んで受け入れられる。ここにも陥穽(かんせい)がある。
1980年代は鄧小平の改革開放で中国の国力増大が注目され、著名な評論家や学者が以前にも増して「台湾統一は時間の問題」という説を語った。そうした認識は検証されることなく受け入れられた。中国の大きさや勢いのみを見て、中台関係の複雑さには目もくれない人もいる。その後、中国に対する警戒感が広がり日本社会の台湾への見方は大きく変わった。しかし「台湾はどうせダメ」のロジックで語る人がいまも続いている。
台湾は自説に都合のよい材料がいくらでも転がっているので、聞きたい話をしてくれる人を見つけるのがたやすい。「台湾ダメ」論だと取材も手軽ですむ。見えにくい一面を描き出すためには丁寧な取材が欠かせない。
日本の読者の側にも問題がある。台湾社会にしても中台関係にしても複雑な話よりも、単純化した対立構造で説明される方が分かった気になりやすい。中途半端な理解の方が拡散しやすい。
台湾有事が議論される中、台湾を知らずしての議論が増えてはプラスにならない。だからこそ日本メディアの役割は重要になる。「複雑な歴史」を踏まえて深く掘り下げる台湾報道は研究者の側からも期待したい。
バナー写真:台湾南部嘉義県の軍工兵部隊を訪問した蔡英文総統=2023年3月25日(AFP=時事)
(※1) ^ 劉彦甫「日経の連載はなぜ台湾から抗議と批判を受けたか」『東洋経済オンライン』2023年3月11日