日本がアフガン支援の中心的役割を : アブダリ駐日大使インタビュー

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タリバンが政権に復活してから2度目の冬を迎えたアフガニスタン。国際社会から孤立し、国民の生活は窮乏を極めている。前政権から駐日大使に任命されたシャイダ・モハマド・アブダリ氏(43)は東京でなお大使業務を続けている。このほどインタビューに応じ、アフガンの全民族を代表する政権樹立の実現に向け、日本が国際社会の中心になって支援してほしいと訴えた。

シャイダ・モハマド・アブダリ Shaida Mohammad Abdali

1978年、カンダハル生まれのパシュトゥーン人(イラン系民族)。米国国防大学とインドのジャワハルラル・ネール大学で学び、オックスファムなど国際NGOでの勤務を経て2001年、カルザイ政権の大統領特別補佐官に就任。2012-18、駐インド大使。2019年にはアフガニスタンの大統領選挙に立候補したが、最終的にはガニ大統領の支援に回った。2021年5月に駐日大使として東京に赴任。

タリバン復活で大使館の予算途絶える

アブダリ氏は2021年5月に駐日大使として東京に赴任した。ところが、その年の8月、イスラム主義組織タリバンが首都カブールを実効支配し、9月には暫定政権を発足させた。日本政府はこの政権を承認しておらず、アブダリ氏は依然としてアフガンを代表する大使として認められているが、本国からの大使館運営予算の送金は途絶えた。

ビザ発給手数料や寄付金など限られた資金を頼りに、避難民の支援や在住者の世話など一部の領事業務などを続ける一方、日本の外務省幹部や政治家らと頻繁に接触し、対アフガン人道支援の強化と、東京におけるアフガン支援国会議の開催を働きかけている。

業務縮小に追い込まれ、7割の職員を減らした港区麻布台の閑散とした大使館で、アブダリ氏に話を聞いた。

アフガン再建、もう一度東京で支援国会議を!

―母国の現状をどう見ていますか。

アフガンは2021年8月のタリバンの復帰で、国際社会から切り離されたため、貿易は停滞、経済状況は一層困難になり、失業率は上昇し、貧困層が増えている。人々は今も国外に脱出を続けている。

干ばつや洪水に見舞われ、22年6月にはアフガン東部の大規模地震で多くの人が被災した。冬を迎えてさらに深刻な苦境にある。特に都市部の住民には手厚い支援が必要だ。私は現在のタリバン政権を代表していないが、アフガン国民を代表して東京で活動している。それは、国民に少しでも多くの支援が必要だからだ。

―日本は2001年のタリバン政権の崩壊以来、アフガンと密接な関係を結んできました。

私たちは、アフガン支援の継続に指導力を発揮できる国の中で、日本を最も高く評価している。日本の援助は政治、軍事と関係なく、友好的な理由で進められる。この局面で、日本はすでに多額の人道援助を表明し、国連などを通じて実施されている。

日本は過去21年間、アフガン支援において非常に重要な役割を果たしてきた。2002年と2012年には東京でアフガン支援国を集めて国際会議を主催し、それぞれ数十億ドルの国際社会による支援をまとめた。そして日本の支援で、多くの学校や社会インフラが建設された。

アフガニスタン復興支援会議でスピーチをするコフィ・アッタ・アナン国連事務総長(左端)。右ヘ小泉純一郎首相、アフガニスタン暫定行政機構のハミド・カルザイ議長、コリン・パウエル米国務長官(2002年1月21日、東京・港区の高輪プリンスホテル)(時事)
アフガニスタン復興支援会議でスピーチをするアナン国連事務総長(左端)。右ヘ小泉純一郎首相、アフガニスタン暫定行政機構のハミド・カルザイ議長、コリン・パウエル米国務長官(2002年1月21日、東京・港区の高輪プリンスホテル、肩書当時)(時事)

中でも、NGOペシャワール会の指導者、故・中村哲医師の貢献は、日本の真の価値観を示すものだった。彼は快適な日本を離れ、世界が背を向けていた最も貧しい人々の中で暮らすことを選んだ。

当初は医師として多くの命を救ったが、その後、深刻な干ばつに直面して、「病は後で治せる。まず生き延びなければならない」と、農業支援にシフトした。彼は故郷の福岡県を流れる筑後川に江戸時代に築かれた山田堰(やまだぜき)の工法を参考に、全長27キロメートルに及ぶ用水路を建設した。

素朴な人柄は、人の心を強く動かした。労働者らとともに、自ら背中に石を背負って用水路を建設し、何百万本もの木を植え、「死の砂漠」を「命の砂漠」に変えた。

彼がまいた種は世代を越えて受け継がれ、実を結んでいくだろう。間違いなく、アフガン国民一人一人の心に残るだろう。残念ながら、彼はもう私たちと共にはいないが、彼のレガシーは生き続けるに違いない。

中村哲医師の遺影(仙波理撮影)
中村哲医師の遺影(仙波理撮影)

―日本にどのような役割を期待しているのですか。

中村さんらが残した設備は、国民の暮らしに役立っているが、今後、国際社会がアフガンに関心を失えば、これらの成果も消え失せてしまう。

今までの成果を活かすためにも、アフガン再建に今一度、新たな展開が必要だ。日本は、国際社会に呼びかける絶好のポジションにいる。10年前、20年前のように、東京でアフガン支援国会議をもう一度開き、タリバンが全民族を包摂した政権を樹立するよう呼びかけてほしい。2001年12月にドイツのボンで開催された国際会議が全民族の結集を促したような、「第2ボン会議」とも言える。

日本はかつての戦争体験を踏まえ、平和の大切さを知っており、アジアと欧米を橋渡ししてくれる。2023年からは2年間、国連安全保障理事会の非常任理事国になり、重要な国際的取り組みを担う上で最適な国だ。日本のように私心なく、アフガンの平和と安定、発展を考えてくれる国の意見を国際社会は聞いてくれると、私は確信している。

―日本は過去20年間、アフガンに対して米国に次ぐ多額の経済援助をした。背景には同盟関係にある米国への協力があります。ところが、その米国がアフガンから撤退した今、日本は独自に動きにくい状況です。確かに、日本の立ち位置は悪くないし、能力もありますが、重要なのは政治的意志です。日本政府の反応はいかがですか。

外務省も真剣に検討してくれているが、明確な答えはまだない。この場合、米国の役割が重要だ。米国はアフガン担当のトーマス・ウエスト特別代表(米国務次官補)が世界を回り、主要国と政治対話を続けている。彼は2022年12月初めに日本を訪問し、日本政府関係者と会談したほか、アフガン問題で重要な貢献をしている笹川平和財団とも接触した。

私は駐日大使に任命された時から、日本でアフガン支援国による大規模な会議の開催を働きかける任務を負っていた。米国とタリバンの間で和平合意がなされたため、全民族で構成する「和平後」のアフガン政府樹立に向けてドナー国の会議が必要になると考えたからだ。

ところが、残念ながら事態は全く異なる方向に動いてしまった。米国とタリバンの和平協議からアフガン政府が除外されたため、信頼関係を築けていなかった。

ガニ前大統領はタリバンの首都進攻に伴い、国外に逃亡しました。アブダリ大使は誰と連携しているのですか。

ガニ氏は、ブラヒミ元国連アフガン担当特別代表の紹介で送り込まれた人物だ。カルザイ政権で財務相も務めたが、大統領としては多くの過ちを犯し、われわれが期待した指導者ではなかった。

現在、ハミッド・カルザイ元大統領がタリバンとの対話を進めており、日本での支援国会議の開催案についても彼と連絡をとっている。私は過去20年間、カルザイ氏のもとで働いてきた。彼は対日外交について非常に力強い支えとなっている。また、アフガンには危機的状況を打開しようとする人材がいる。

シャイダ・モハマド・アブダリ 駐日アフガン大使(撮影 : 仙波理)
シャイダ・モハマド・アブダリ 駐日アフガン大使(撮影 : 仙波理)

―タリバン内部の穏健派の動向はいかがですか。

タリバンの勢力は非常に大きく、考え方は一様でない。だが、指導部の決定とヒエラルキーに従っている。女子教育についても異なる意見があるが、平和的決定はハッピーでないと考える強硬派が指導部にいる。このため、タリバンの現実と付き合わなければならないが、なんとか穏健派を支えていくことが重要だ。

彼らに言いたいのは、国際機関にはアフガンのために確保されている多額の基金があり、政権が国際社会から承認されれば使えることだ。どんな国も、国際社会の承認なしでは国家運営をしていけないし、持続的ではない。とはいえ、ことを急いでも長続きしない。新しいプロセスは熟慮をしながら進めていく必要がある。

米国撤退後のアフガンで日本が果たすべき役割

インタビューを終え、改めて日本は何をしうるのか考えてみたい。

タリバンの暫定政権は発足後、議会を解散し、前政権時代の憲法を停止し、女性の教育・労働の権利を奪った。このタリバン政権を公式に承認した国は、まだない。

日本政府は2021年までの約20年間、アフガンに約69億ドルの援助を注ぎ、米国に次ぐドナー国となった。現在はタリバンの政権経由では援助ができないため、国連機関やNGOを通じた人道援助を講じている。

閉鎖されていたカブールの日本大使館は、治安状況を確認しながら2022年秋に一部業務を再開した。岡田隆・駐アフガニスタン大使ら幹部が交代でカブールに滞在し、人道援助や在留邦人のための情報収集などを続けている。

日本はタリバン側との対話にも取り組み、女性の権利尊重などを促しているとみられる。1990年代後半のタリバン政権時代にも、内戦で敵対する北部同盟との和平交渉を働きかけた経緯がある。また、2012年には同志社大学で催した平和構築のシンポジウムにタリバン幹部2人が来日し、広島の原爆資料館も訪問した。タリバンの中には「被爆国・日本」に一定の共感を抱く人がいる。

ただ、日本が過去2回の東京会議を開催したのは、いずれもカルザイ政権時代のことだ。米国を中心に先進国の足並みがそろっていた。ところが、タリバン政権が女性の権利も保障しない現状では、「支援」を前提にした国際会議の開催は容易でない。

ましてや、ウクライナ戦争や、ミャンマーなど他の問題が深刻な状況では、日本も国際社会もアフガンに資金や時間を投入する余裕がない。また、日本のアフガン支援には、日米の同盟関係を重視した国益が働いていたが、米国も撤退してしまった。

日本はこの機会に、自国の国益にとってアフガン支援の意義を根本的に問い直す必要性がある。その上で、タリバンを含むアフガンの人々との対話を深めながら、国際社会における適切な枠組み構築に貢献していくべきだろう。

バナー写真 : シャイダ・モハマド・アブダリ駐日アフガニスタン大使(撮影 : 仙波理)

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