幕内最年長優勝・玉鷲の快挙の裏に潜む角界の「危機」とは

スポーツ

今年9月の大相撲秋場所では、平幕力士の玉鷲(モンゴル出身、片男波部屋)が史上最年長優勝を果たして話題を呼んだ。力士4人の小部屋、37歳という年齢的なハンディをものともせず、地道に稽古(けいこ)に励む姿には頭が下がる。だが、玉鷲の快挙を別の視点で捉えると、それだけ角界に“生きのいい”若手が育っていない証左でもある。“少子高齢化”が進む大相撲が抱える問題について考察する。

創意工夫で若さを保つ「鉄人」

先の秋場所では、ふがいない横綱・大関陣を尻目に、幕内最年長の前頭3枚目・玉鷲(たまわし)が13勝2敗の成績で、関脇だった2019年初場所以来2度目の優勝を飾った。夏場所の照ノ富士、名古屋場所の逸ノ城(いちのじょう)に続くモンゴル勢3連覇。ちなみに、2場所連続で平幕力士が賜杯を手にしたのは実に31年ぶりのことだ。

37歳10カ月での優勝は、12年夏場所の旭天鵬(当時前頭7枚目、現・大島親方)の37歳8カ月を上回り、昭和以降の最年長優勝記録を更新した。

初土俵からの連続出場は、秋場所終了時点で史上3位の1456回。順調にいけば、2年後には青葉城の1630回を抜き史上1位となる。「鉄人」の異名を取るゆえんだ。

今年秋場所、千秋楽で大関経験者・高安を押し出しで破って優勝を決めた玉鷲(2022年9月25日、東京・両国国技館) 時事
今年秋場所、千秋楽で大関経験者・高安を押し出しで破って優勝を決めた玉鷲(2022年9月25日、東京・両国国技館) 時事

特に称賛されるのは、コロナ禍にあっても幕内トップクラスの力を維持し続けたことだ。

新型コロナウイルスの感染が拡大すると、共同生活を送る相撲界では集団感染が多発した。他の部屋に飛び火するのを避けるために、20年3月からは自分が所属する部屋以外に出向いて稽古をする、いわゆる出稽古が禁止。今年6月、約2年ぶりに解禁されたものの、出稽古前日のPCR検査を義務付け、日数が長期の場合は抗原検査も実施するなど徹底した感染予防策が講じられたため、実際のところは自粛状態に近く、力士の間では不満の声が高かった。

横綱・照ノ富士が所属する伊勢ヶ浜部屋のように、関取が多い部屋では、コロナ禍以前と同様に充実した稽古がこなせる一方で、関取が少ない部屋では質的に十分な稽古はできない。強い者同士で切磋琢磨しないと地力アップは図れないからだ。

その点で、玉鷲はコロナ禍で最も被害を受けてもおかしくない1人だった。

所属する片男波部屋は関取が玉鷲1人、あとは幕下、序二段、序ノ口に1人ずつ。力士は全部で4人しかいない。

ところが玉鷲は、稽古の質を補うために、若い力士を2人まとめて相手に相撲を取ったり、ぶつかり稽古では部屋付きの熊ヶ谷親方(元幕内・玉飛鳥)に胸を出してもらったりして鍛錬に励んだ。

「コロナで稽古環境が整わない」などと愚痴をこぼす小部屋の力士が多い中、創意工夫次第ではベテランであっても、体の張りや馬力を維持して本場所に臨むことができることを実証してみせた。

優勝を決めた千秋楽から一夜明け、記者会見で笑顔を見せる玉鷲(2022年9月26日、東京都墨田区=日本相撲協会提供) 時事
優勝を決めた千秋楽から一夜明け、記者会見で笑顔を見せる玉鷲(2022年9月26日、東京都墨田区=日本相撲協会提供) 時事

ちなみに、年6場所制がスタートした1958年以降の年長優勝では、玉鷲、旭天鵬に続いて36歳4カ月の横綱白鵬(現・間垣親方)が3位にランクインしている。いずれもモンゴル出身で、この10年間に達成されたものだ。

最近の力士は現役生活の寿命が延びている、と感じている年配の相撲ファンは多い。

もちろん力士にとって長く競技生活を続けられるのはいいことだ。ところが、別の視点で捉えると、相撲界にとって大きな危機も見え隠れしている。

2012年夏場所で初優勝し、賜杯を手に後援者らと喜ぶ旭天鵬。玉鷲に破られるまで10年にわたり最年長優勝記録を保持した(2012年5月20日、東京・両国国技館) 時事
2012年夏場所で初優勝し、賜杯を手に後援者らと喜ぶ旭天鵬。玉鷲に破られるまで10年にわたり最年長優勝記録を保持した(2012年5月20日、東京・両国国技館) 時事

2000年代以降進む力士高齢化

江戸時代から昭和の初期まで、大相撲は基本的に年2場所だった。終戦後、生活サイクルのスピードアップに呼応するように漸次、場所数が増えていき、年6場所制が始まった1958年初場所の幕内力士の平均年齢は29・7歳だった。

場所数が増えれば有望な力士はスピード出世が可能になる。事実、同年秋場所では、いずれも10代の富樫(のち柏戸)、若秩父、豊ノ海が新入幕を果たし「ハイティーン・トリオ」と大きな話題になった。

その後も続々と有望力士が台頭し、ベテランが番付を維持することは難しくなっていく。69年九州場所で32歳の明武谷(みょうぶだに)が引退すると、翌70年初場所では30代の力士はいなくなった。同場所の幕内平均年齢は25・6歳。わずか12年で4歳も若返ったのだ。こうした傾向はしばらく続き、「若貴人気」が沸騰した93年初場所の幕内平均年齢は26・7歳だった。

ところが2000年頃から徐々に力士の高齢化が進み、昨年秋場所では64年ぶりに幕内平均年齢が30歳を超え、続く九州場所では30歳2カ月まで上昇。玉鷲が優勝した今年秋場所でも29・3歳と、年6場所制のスタート時に戻った形だ。

スポーツ医学の発達や、体調管理に努める力士が増えたことが要因の一つであることは間違いない。

ところが、若い親方たちの中には、こうした状況を喜ぶどころか「このままでは10年後、20年後の相撲界は持たないのではないか」と、将来を憂える声の方が多い。というのも、慢性的な新弟子不足で、ベテランを駆逐するような生きのいい若手が台頭しないことが、高齢化の一番の原因と考えられるからだ。

“新陳代謝”があった昭和時代

かつては相撲人気が高まるとお相撲さんに憧れる若者も増え、多くの新弟子が集まった。

「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語を生んだ1963年には、年間で史上最多の375人が新弟子検査を受けている。合格者数も年間最多で250人。当時は受検すればほぼパスする現在と異なり、落第する者もかなりいたが、それでも中学卒業と同時に多くの若者が角界を目指した。

若貴人気が沸騰していた92年は223人、93年も221人と2年連続で新弟子の数は200人を超えた。

1992年初場所で史上最年少優勝を果たし、藤島部屋に戻り地元ファンに笑顔で手を振る貴花田(のち貴乃花、右端)。左から若花田(のち若乃花)、藤島親方(のち二子山親方)夫妻(1992年1月26日、東京・中野区) 時事
1992年初場所で史上最年少優勝を果たし、藤島部屋に戻り地元ファンに笑顔で手を振る貴花田(のち貴乃花、右端)。左から若花田(のち若乃花)、藤島親方(のち二子山親方)夫妻(1992年1月26日、東京・中野区) 時事

1955年から2005年までの半世紀の間で、年間の新弟子数が100人を切ったのはわずか3回。逆に150人以上の年は21回もある。それが06年以降は17年連続で100人割れの状態が続いている。それも新弟子検査のハードルを下げたにも関わらず、である。

2000年まで体格の合格基準は身長173センチ以上、体重75キロ以上。それが新弟子不足を受けて、若者の大型化に逆行するかのように01年からは現行の身長167センチ以上、体重67キロ以上と大幅に緩和された。

しかも春場所での中卒者の新弟子に限っては、特例として身長165センチ、体重65キロ以上で合格としたのだ。昨年の年間新弟子数は61人だが、2000年までの基準では、34人しか新弟子が集まらなかったことになる。

新弟子が集まらない一方で、相撲部屋の安定経営のためにはある程度の力士数が必要だ。

相撲部屋は主な収入を日本相撲協会からの補助金で得ている。「力士養成費」「稽古場経費」などの名目で、力士1人当たり年間180万円程度が各部屋の師匠に支給される。このため、もう出世の見込みのない力士でもできるだけ現役生活を続けさせる傾向に拍車がかっている。

こうしたことから最近では、30代、40代の幕下以下の力士が激増。中には、今年1月まで現役を続けた華吹(はなかぜ、立浪部屋)のように、序二段で50歳を迎えた力士もいる。平成(1989年〜2019年)の約30年間で、幕内だけでなく十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口の各段全てで平均年齢がアップした。

新弟子がたくさん集まっていた時代には、「初土俵以来30場所(5年)を経過しても幕下に昇進しない力士は養成費を打ち切る」といった制度も存在した。当時の幕下以下は、ほぼ20代、10代の力士で占められていた。もし養成費打ち切り制度を復活させたら、現在の番付はスカスカの状態になってしまう。

プロ、アマの垣根を越えて相撲の普及活動を

新弟子の「数」だけではなく、「質」の低下も著しい。理由は様々あるが、少子化とスポーツの多様化が主な要因だろう。

以前は体の大きな若者がスポーツで身を立てようとすると、野球か相撲ぐらいしか選択肢がなかった。

「土俵には金が埋まっている」──名横綱・初代若乃花の故・花田勝治さんは、師匠の二子山親方時代、こう言って若い力士たちを叱咤激励したものだ。

他のスポーツでもオリンピックに出場できそうな逸材が相撲界には数多く集まっていた。

例えば、初代貴ノ花(大関、のち二子山親方)は競泳100mバタフライで中学新記録を作り、1968年メキシコ五輪の有力候補だった。しかし当時は、たとえ金メダルを取っても経済的に恵まれるような状況ではなかった。

貴ノ花も自伝の中で「水泳では将来が不安だ。そして出した結論が、相撲のプロの道を選ぶということだった」(『当たって砕けろ』講談社)と吐露している。

だが時代は大きく様変わりし、今やサッカー、ラグビー、バスケットボールなどもプロ化され、水泳や陸上などのアマチュアスポーツでも、実績を残せばそれなりの報酬を得られるようになってきた。

日本相撲協会は、プロ野球などに比べてあまりにもお粗末すぎる力士への待遇をアップすることも視野に入れるべきだろう。だが、それ以上に取り組まなければいけないことがある。

国技と言われながらも、地面に円を描いて取っ組み合いをする子供の姿はめったに見かけなくなった。アマチュア相撲の競技人口も5000人を切っている。

日本相撲協会は営利を目的とせず、「相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与する」ことを目的に掲げた公益財団法人である。各学校に土俵を設置するなどして、実際に子供たちが相撲競技に親しむ環境を整えていかないと、大相撲の未来は見えてこない。

相撲協会は近年、大相撲ファンクラブを立ち上げ、感謝祭などのイベントを開催するなどファンサービスに力を入れ始めた。もちろん、それはそれで大切なことだが、本当のファンサービスとは「土俵の充実」、すなわち本場所の土俵で白熱した相撲を一番でも多く提供することだ。

大相撲はスポーツと伝統文化がうまく融合した、世界に誇るべき興行と言っても過言ではない。次世代に継承し、発展させていくためには、スポーツとしての相撲の普及が不可欠。プロ、アマの垣根を越えてもっと議論を深めていく必要がある。

バナー写真:幕内最年長優勝を飾り、オープンカーの上で笑顔を見せる玉鷲(右)=2022年9月25日、両国国技館 時事

少子化 大相撲 高齢化 玉鷲 新弟子 日本相撲協会 最年長優勝