日本スポーツ界は「電通依存」から脱却できるのか―揺らぐ札幌五輪招致活動
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「1業種1社」の慣例を破った東京大会
電通が東京大会組織委員会の「専任代理店」に指名されたのは、2014年4月17日のことだ。電通からは次のような広報文が発表された。
「当社は、これまで長年にわたり培ってきたスポーツ事業における知見やノウハウを生かし、2020年に開催される第32回オリンピック競技大会および第16回パラリンピック競技大会の成功に向けて、グループの総力を挙げて貢献してまいります」
組織委が電通を通じて集めた国内スポンサーは計68社。契約金額に応じ、上位の「ゴールドパートナー」(15社)から「オフィシャルパートナー」(32社)、「オフィシャルサポーター」(21社、うちパラリンピックのみ1社)の順で分類された。協賛金は総額3761億円にのぼり、過去最高額と呼ばれた2012年ロンドン五輪の3倍ともいわれる。元首相、森喜朗・組織委元会長が推し進めた「オールジャパン」の掛け声のもと、多くの企業がスポンサーに名を連ねた。
今回の特徴は、スポーツビジネスの鉄則でもあった「1業種1社」の慣例が破られたことだ。「商業五輪」の幕明けとなった1984年ロサンゼルス五輪以降、この原則に従って協賛金はつり上げられてきた。その業界で1社しか選ばれないとなれば、ライバル会社に負けないよう、企業は無理をしてでも高額のスポンサー料を支払う。その構図がスポーツビジネスの規模を拡大させた。
東京大会においても、企業側はそのようなルールになると構えていたはずだ。56年ぶりに開かれる国内での夏季五輪である。スポンサーに選ばれなければ、自社のブランドイメージは低下する。今回の事件を考えても、ライバル社に敗れる危機感が根底にあったのかもしれない。
一方、スポンサーを集める立場からすれば、協賛企業が多いに越したことはない。このため、東京大会ではスポンサーのカテゴリーを細分化したり、新聞、銀行、旅行サービス、印刷など、業種によっては複数の同業者を参加させたりすることも認めた。このようにして、巨額の協賛金をかき集めた。
制御困難となった世界最大のイベント
2008年に出版された五輪ビジネスに関する書籍がある。国際オリンピック委員会(IOC)の初代マーケティング部長、マイケル・ペイン氏の『オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか』(サンクチュアリ出版)だ。
長きに渡って五輪のビジネスを担ったペイン氏だが、同書には興味深い記述がある。1984年ロサンゼルス五輪組織委員会の協賛社選びの駆け引きを巡る回想だ。ロスの組織委では、地元米国のイーストマン・コダック社とスポンサー契約を結ぶ寸前だった。ところが、コダックはなかなか契約書にサインしない。少しでも契約を先延ばしにして、協賛金の支払い額を減らそうという狙いも透けて見えていた。
そこで組織委会長、ピーター・ユベロス氏が頼ったのが日本の広告代理店、電通だった。交渉したのは、電通の五輪ビジネスの先駆け的存在であり、ロス五輪の責任者だった服部庸一氏と当時の若き社員、高橋被告である。電通はユベロス氏の要請を一手に引き受け、わずか1週間で富士写真フイルム(現・富士フイルム)との契約を締結させた。富士にとって、五輪が米市場開拓につながることを電通は見抜いていた。逆にコダックにとっては、地元五輪でのまさかの敗北だった。
ペイン氏は高橋被告について、原書の注釈でこう記している。
「高橋治之は、のちに電通スポーツ文化局の総責任者に昇進した。日本のスポーツやイベントに関し、彼は最も影響力のある企業幹部であろう」
この大会をきっかけに、五輪は商業的に成功を収め、名実ともに世界最大のイベントと化した。しかし、ペイン氏には苦い記憶もある。96年アトランタ五輪である。五輪の協賛に長く関わってきたコカ・コーラ本社のお膝元で行われた大会は「コカ・コーラ五輪」などと揶揄(やゆ)され、五輪に便乗した商売が街にあふれた。観光客目当ての露店や行商人がひしめき、市内は大混乱に陥った。商業化の波を食い止められず、コントロールが困難となったのだ。
その大会でIOCが得た教訓は、いかに五輪のクリーンなイメージを保つか、ということだった。五輪では競技会場に広告看板の掲示を許可していないが、それ以外の場所でも注意が必要だった。そうしなければ、五輪で一儲けしようとする業者が次から次へと乗り込んでくる。
M・ペイン氏が指摘した「グレー領域」
ペイン氏は、自分が仕えたサマランチ会長時代を振り返り、「オリンピックの8つの教訓」を挙げている。
その6番目に「グレー領域の管理を徹底せよ」という項目がある。「どうしても違法すれすれの、グレー領域が発生する」という指摘だ。その上で、「オリンピック・ブランドを守るためには、ブランドを管理する機関が必要だ。それを怠るのは責任放棄である」と強調する。
今回の五輪汚職が示すように、スポンサー契約を巡ってまさに「グレー領域」が発生した。契約書に載らないアンダーグラウンドのカネが高橋被告らの周辺で行き来し、「コンサルタント料」という名目で賄賂性の高い資金提供が行われた。もし組織委理事が「みなし公務員」でなければ、この事件は立件されなかったかもしれない。
こうして水面下の交渉は全て電通サイドに託されていた。高橋被告と同様、逮捕されたコンサルティング会社の社長も電通出身。組織委にも多くの電通社員が出向という形で送り込まれた。結局、マーケティングに絡む案件は多くが電通任せであり、そこに厳正なチェック機能が働く余地はなかったのではないか。
組織委だけではない。多くの中央競技団体が電通をはじめとする広告代理店にスポンサー集めやテレビ放映権の交渉を依存している。複雑な権利関係が絡むだけに、専門的な会社に業務を依頼する方が信頼できる取引ができる。しかし、今回の事件を機にマーケティングのあり方を考え直すべきではないのか。日本ではまたも五輪招致を目指しているからだ。
中止となった札幌市長のIOC訪問
汚職事件が拡大する中、2030年冬季五輪の招致を目指す札幌市の秋元克広市長のIOC本部訪問が中止になった。姉妹都市提携50周年事業の一環で、9月中旬、ドイツ・ミュンヘンを訪問するのに合わせてスイス・ローザンヌのIOC本部を訪ね、バッハ会長との会談を申し入れていた。しかし、「日程調整がつかない」との理由で取りやめとなったのだ。
五輪招致情報に詳しい海外のウェブサイト「インサイド・ザ・ゲームズ」はこのように報じた。
「秋元氏の訪問中止は、東京 2020組織委員会の著名なメンバーである高橋治之氏が賄賂を受け取った疑いで逮捕されたという、贈収賄スキャンダルの展開を背景にしている」
札幌のライバルは、ソルトレークシティー(米国)、バンクーバー(カナダ)。カタルーニャとアラゴン(スペイン)の共催は招致断念となったものの、カタルーニャがなお単独での可能性を模索しているという情報もある。各都市はそれぞれに課題を抱えているが、とりわけ札幌の痛手は大きい。
札幌は大会運営費を民間資金のみで賄う計画を立てている。電通元幹部の逮捕が札幌のスポンサー集めにも影響を与えることは必至であり、日本の五輪招致に対するIOCの見方も変わってくるに違いない。
IOCは12月の理事会で候補地を一本化し、来年5~6月の総会(インド・ムンバイ)でIOC委員の承認を得て正式決定する予定だった。しかし、このほど総会の時期を来年9~10月に延期すると発表した。表向きの理由はインド・オリンピック委員会の内紛などだが、一方で開催地決めにまだ時間がかかるとも考えているのではないか。
五輪の価値を取り戻すために
ペイン氏が語る「オリンピック・ブランド」は地に落ちたと言わざるを得ない。五輪の価値を取り戻すには、まず透明性の確保が欠かせない。広告代理店やマーケティング会社にすべてを任せるのではなく、公正なスポンサーの入札制度導入や第三者によるチェック機関設置など、さまざまなアイデアで「五輪マネー」の流れを監視できる体制を整備しなければならない。
電通などが築いてきたスポーツビジネスは、テレビでの露出を前提に広告出稿を仲介し、スポンサーを集める手法だった。しかし、今は代理店を通さなくてもインターネットで直接広告を出すことが可能な時代。スポーツ界も新たなビジネスモデルを構築していくべきだ。
競技団体内にマーケティング部門を設けたり、専門知識にたけた職員が直接スポンサー集めに関わったりする必要が出てくるかもしれない。国際的な団体ではそういう例もみられる。人材養成にも取り組んでいくことが不可欠だ。
札幌市と日本オリンピック委員会(JOC)はこのほど、招致活動の透明性や公正性の確保を宣言し、マーケティング事業について「どのような体制が適切か、広告代理店の役割や組織委の意思決定プロセスのあり方等について検討する」との声明を発表した。
今回の事件を単に個人や企業の犯罪と位置付けることは許されない。スポーツの商業化を突き進んだ約半世紀の歴史を振り返り、教訓と課題を明確にする必要がある。スポーツ界としての反省がない限り、失った五輪の価値やスポーツの信頼を取り戻すことはできない。
バナー写真:IOC総会で東京五輪開催が決まり、大喜びする招致関係者。スポンサー選びを巡って逮捕者が相次ぐとは誰も想像していなかったに違いない(2013年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレス) 時事