トラス新政権の誕生と英国のデモクラシー
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嵐の中の英国政治
エリザベス二世が亡くなった。享年96、在位70年。戦後英国を象徴する存在だった。伝統の維持と革新の受容。対外的には開かれた英国を、国内的には連合王国の一体性を体現した。エリザベス二世の死去は時代を画することになるのか、それとも時代は継承されるのであろうか。
2022年も英国は激動に見舞われた。新型コロナ感染症との共存路線を取ろうとする中で、ロシアによるウクライナ侵攻が発生した。ボリス・ジョンソン前首相はウクライナ支援とロシアに対する強硬姿勢で主導的役割を果たしたが、そのジョンソン氏も7月には首相辞任に追い込まれた。1987年以来の大勝を保守党にもたらしてわずか2年半余りのことだった。
民主主義を支える制度への攻撃?
ジョンソン政権は2019年7月、英国のEU(欧州連合)離脱をめぐる混乱のなかで誕生した。EU離脱という課題と英国社会の分断という背景を抱えていたこともあり、政権運営にあたって、多くの伝統的な制度(institution)との緊張を生み出した。
まずは議会である。支持母体である保守党が下院の過半数を持たない状況で成立したジョンソン政権は、EU離脱問題が山場を迎える中で議会との対立が先鋭化すると、突然、議会の閉会を宣言し、議会を黙らせようとした。この決定は、司法の判断によって覆されたが、ジョンソン氏が議会主権の擁護・回復を掲げてEU離脱を訴えたこととは真逆の動きであった。
ジョンソン政権は司法に対しても攻撃とも言える批判を加えた。議会閉会を違法とした最高裁の判決にはさまざまな大臣が批判やけん制をしたが、他にも、移民・難民、テロリズム、デモ参加者の行為など具体的な問題について、また司法の役割一般について政治家からの批判は続いた。デモクラシーと国制に関する超党派議会グループは2022年6月、報告書を発表し、「政府による司法への攻撃の多くは、国制上適切なこと、有益なことの範囲を超えている。…大臣たちの攻撃は、司法の政治化という理解を作り出し、一般の人々に誤解を与える」と強い懸念を表明した(※1)。
ジョンソン政権は官僚たちとも強い緊張関係にあった。政権誕生後、官僚トップの内閣官房長を退任させ、その後、外務、内務、教育などの事務次官、政府法務局の長官らが次々と辞任に追い込まれた。親EU的姿勢を問われた人々もいれば、政府の提案する法案が国際法違反になるとして辞任した人もいる。内務省事務次官の場合には、内相による「いじめ」が原因で訴訟にまで発展した。教育省の場合は、政策上の問題が生じた際に首相が担当閣僚を擁護し、責任は次官が取ることとなった(※2)。首相は問題のある閣僚をかばい、官僚がしわ寄せを受けた。
報道機関としてのテレビ局にも厳しい姿勢を取り、公共放送BBCの受信料を2年間凍結する決定をした(※3)。独自のビジネス・モデルを持ち、公的に所有されるテレビ局Channel 4の民営化方針も示された。BBCとともにChannel 4は独自の報道で知られるが、ジョンソン政権は、両局の経営基盤を揺さぶった。ジョンソン氏は、2019年の総選挙を前に、Channel 4での気候変動をめぐる党首討論会に欠席した。番組では代理出席を認めず、首相の姿勢を問うべく氷の彫刻を席に置いた(※4)。Channel 4の民営化方針は、こうしたことの意趣返しのようにも映る。
ジョンソン政権は、選挙で勝利した自身の民主的正当性を強調して、自らの方針と対立する諸制度に対し攻撃することを厭わなかった。だが、前首相は、最後には(問題のある大臣に関する)説明が事実に反すると前外務事務次官に指摘され(※5)、政権から大量の辞職者を出し、支持基盤であったはずの院内保守党からも事実上不信任を突きつけられた。党からの不信任は、補欠選挙での連敗、支持率の低下という、首相自身が拠って立っていたはずの民意の離反を受けた結果であった。
ようやく国内エネルギー危機の対応へ
ジョンソン前首相は、最後の議会質問で「ミッションはほぼ達成した」と強調したが、後任のトラス首相に残された課題は多い。喫緊の課題は、国内のエネルギー危機である。
トラス首相は就任時、減税、エネルギー危機対策、国民保健サービスの改善を課題に挙げた。党首選でも、大規模減税こそが危機対策、成長戦略、中長期的なエネルギー戦略になると主張していた。エネルギー危機対策としては、電気やガスの家庭用料金を2年間、ビジネス用料金は6カ月間、政府がエネルギー会社に補填する形で凍結する計画を発表している(※6)。いずれも増税でなく借入でまかなうようで、国内の諸政策は財政赤字を増やすことになる。また、防衛費の大幅増額も約束している。
トラス首相の政策は、物価高騰が光熱費以外でも生じる中でインフレを促進するものが多く、成長戦略を重視するにもかかわらず、政策金利の上昇を促しうる。新首相の政策がどのような帰結をもたらすか楽観視できない。
ジョンソン首相・トラス外相の置き土産
もちろん、トラス新政権が直面する問題は緊急対策だけではない。ジョンソン政権の二枚看板は、国際的な舞台で飛躍する英国をイメージしたグローバル・ブリテンと国内向けのレベリング・アップ(地域間の経済格差是正)だったが、控えめに言ってともに道半ばである。いずれも、ジョンソン氏の言葉の魔術で取り繕われてきたところが大きい。
英国はEUから離脱したが、その恩恵を得るまでには至っていない。そして、完全な意味でのEU離脱を完了できずにいる。最大の障害は、北アイルランド議定書である。ジョンソン前政権は、一度は合意したはずの北アイルランドをめぐる国境管理のあり方に不満を強め、その変更を主張してきた。トラス氏の外相時代、英国は強硬な態度を示してEUとの交渉は停滞した。業を煮やしたプロテスタント系の民主統一党は自治政府への参加を拒否し、その結果、自治政府は現在も発足できずにいる。さらに当時のトラス外相は、EUとの交渉が行き詰まると、同議定書を一部否定する国内法を制定して問題を一方的に解消しようとした。当時の北アイルランド担当相は、この法案の一部が国際法違反となることを認めている(※7)。
同議定書は、英国によるEU離脱とともに、1998年に北アイルランド和平をめぐって実現した聖金曜日合意(ベルファスト合意)とを両立させるべく設けられていた。英国が一方的に議定書を否定すれば、北アイルランド和平の基盤を害する恐れがある。EUはもちろん、この合意に深く関与しアイルランドに深いつながりをもつ政治家も多い米国も、強い関心と懸念を表明している。バイデン政権は、トラス首相就任2日目に、貿易交渉と北アイルランド議定書に関係は公式にはないが、同議定書を取り消そうとする試みは貿易交渉の助けにはならないとの強いメッセージを送っている(※8)。
EU離脱にあたり、英国にとってもう一つの期待の国は中国であったろう。しかし、メイ政権誕生以降、(経済)安全保障問題とともに新疆ウイグル自治区や香港の人権問題もあって、対中警戒の主張が特に保守党内で強くなっていた。トラス氏は外相時代から対中強硬派として名を馳せ、中国をルールに基づく国際秩序に対する脅威とみなしてきた。
トラス首相は、西側が台湾の自衛を確かなものにしなければならない、とも強調する。英国政府は、安全保障上の懸念から、例えば、英国内の原発への中国の関与を制限し、中国による英国内への投資にいっそう慎重になっている(※9)。EU離脱派は、EUから離脱することで自由に貿易協定を各国と結び、経済発展を遂げられる未来を主張した。しかし、その未来はまだ見通せない。
他方、英国の対中警戒は日本との結び付きを強める。日本には重要な絆で益も多い。東アジア安全保障への英国のコミットは象徴的な意味にとどまろうが、政治、経済、文化の交流がいっそう活発になると期待される。
EUとの関係で言えば、英国は、人の往来の管理などで対立を続けている。EU側は、英国にある金融機関をどのように扱うのかまだ重要な判断を示しておらず、英EUの緊張関係はこの問題にも影を落とす。
トラス首相は、ロシアに対しても強硬な姿勢を取り、ジョンソン前首相同様、ウクライナ支持で一貫している。ロシアに付け入る隙を与えないという意味で重要だが、米国とともに欧州諸国との協調も今まで以上に重要となる。ロシアや中国のみならずEU、フランスなどに対しても強硬姿勢に終始してきたトラス首相がどのような対応をとるのか注目される。
国内政策は減税と財政支出に頼る?
最後に国内政策について触れておきたい。ブレグジット(英国のEU離脱)後、ジョンソン前首相は2019年総選挙で新しい「連合」を作ることに成功した。ブレグジット完遂を旗印に離脱派をまとめ、南部などの比較的豊かな、従来からの保守党支持基盤と、これまでは労働党の支持基盤とされてきた旧工業地帯で経済的に停滞する地域(いわゆる「赤い壁」)の両方で支持を得ることができた。ただ、両者の求める経済政策はまさに対照的であった。ジョンソン政権は、後者の求める大型の公共投資などを積極的に発表したが、経済振興を求める地域にとって期待通りであったとは言い難い。他方、保守党の伝統的支持基盤では、増税の可能性をはらむ公共投資には否定的である。ジョンソン氏は、この両立困難な「連合」を、政治的なパフォーマンスを駆使することも含め、どうにか維持しようと努めてきた。
ジョンソン氏が去っても、保守党政権がこの「連合」を維持できるのか。トラス首相は党首選では保守党の伝統的支持基盤に訴えの照準を合わせてきたが、2024年までには一般有権者を対象とする総選挙を迎えることになる。
リズ・トラスの英国
トラス氏の政治スタンスは、首相就任以前には国内受け(ドメスティック・コンサンプション)を狙ったものが多かった。また、トラス氏はこれまでは強硬な姿勢で人気を博してきた。しかし、今後、トラス首相の姿勢と判断は、閣僚時代とは比較にならないほど、英国の行方を左右し、人々の暮らしに直結することになる。そして、スコットランド独立問題がくすぶり続け、北アイルランド自治政府が依然として機能不全にある中で、エリザベス二世が心を砕いた連合王国の一体性の行方もまた、トラス首相の姿勢にかかっている。
追記:トラス政権は9月23日、本稿で説明した政策を盛り込んだ大型の経済対策を発表した。
バナー写真:英バッキンガム宮殿でチャールズ国王(左)と言葉を交わすトラス首相=2022年9月9日、ロンドン(AFP=時事)
(※1) ^ All Party Parliamentary Group on Democracy and the Constitution (2022), An Independent Judiciary - Challenges since 2016, p.37. https://www.jonathandjanogly.com/sites/jonathandjanogly.com/files/2022-06/sopi_report_final.pdf. All webpages referred to in this article were accessed on 12 September 2022.
(※2) ^ BBC News, ‘Boris Johnson asks Foreign Office chief to stand down’, 19 June 2020, https://www.bbc.com/news/uk-politics-53111095; BBC News, ‘Philip Rutnam: £340k payout to official after Priti Patel bullying claims’, 4 March 2021, https://www.bbc.com/news/uk-politics-56281781; HUFFPOST, ‘PM Sacks Top Education Official After Exams Fiasco - While Gavin Williamson Keeps Job’, 26/08/2020, https://www.huffingtonpost.co.uk/entry/coronavirus-exams-education-williamson-dfe_uk_5f466efbc5b64f17e137025b; BBC News, ‘Senior government lawyer quits over Brexit plans’, 8 September 2022, https://www.bbc.com/news/uk-politics-54072347.
(※3) ^ BBC News, ‘BBC licence fee to be frozen at £159 for two years, government confirms’, 17 January 2022, https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-60027436.
(※4) ^ BBC News, ‘General election 2019: Row over Boris Johnson debate “empty chair”’, 29 November 2019, https://www.bbc.com/news/election-2019-50596192.
(※5) ^ BBC News, ‘Chris Pincher: No 10 not telling the truth, says ex-senior civil servant, 5 July 2022, https://www.bbc.com/news/uk-politics-62047883.
(※6) ^ BBC News, ‘Energy bills to be capped at £2,500 for typical household’, 10 September 2022, https://www.bbc.com/news/business-62831698.
(※7) ^ Reuters, ‘UK bill will break international law ‘in limited way’, minister says’, 8 September 2022, https://www.reuters.com/article/us-britain-eu-lewis-law-idINKBN25Z1ZS.
(※8) ^ The Guardian (UK edition), ‘White House warns Truss over efforts to ‘undo’ Northern Ireland protocol’, 8 September 2022, https://www.theguardian.com/politics/2022/sep/08/white-house-warns-truss-over-efforts-to-undo-northern-ireland-protocol.
(※9) ^ Reuters, ‘New British PM Truss brings tougher UK stance on China’, 7 September 2022, https://www.reuters.com/world/new-british-pm-truss-brings-tougher-uk-stance-china-2022-09-06/.