インドにとってのクアッド:日本からの視点
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2022年5月、対面方式では2回目となる日米豪印4カ国(クアッド)首脳会合が東京で開催された。07年に発足したもののいったんは頓挫し、17年に再始動したクアッドはいよいよ話し合いの場としての意味を超えて、4カ国の具体的な協力枠組みとして姿を現しつつある。
4カ国のうちインドが従前に採用してきた国際政治における戦略は、他の3カ国と異なるものであった。冷戦時代は「非同盟」を掲げながらもソ連との密接な協力関係を築き、昨今のロシア・ウクライナ戦争においてもロシアへの名指しの非難を避けて関係を維持している。他方で国境紛争を抱える中国への脅威認識を強めてきたインドは、近年、米国や日本、オーストラリア、ベトナムなどの対中脅威認識を共有する国々との安全保障協力を強めてきた。
インド太平洋やクアッドにコミットしつつ、ロシアとの関係も維持するといったインド独自の対外戦略への関心が、日本国内でも高まっている。そこで本稿は、クアッドに対するインドの政策について論じる。
クワッドとインド:年表
2004年12月 | スマトラ沖地震対応のコア・グループ結成 |
2007年5月 | マニラで初のクアッド非公式実務会合(第1次クアッド) |
9月 | 海軍共同演習マラバール07-02(クアッド+シンガポール) |
2014年5月 | インド、モディ政権発足 |
2017年6月 | ドクラム危機(ブータンでの印中対立) |
11月 | マニラで初のクアッド局長級会合(第2次クアッド) |
年末ごろ | インド政府、「インド太平洋」の使用開始 |
2018年6月 | モディ首相「インド太平洋」政策演説 |
2019年9月 | ニューヨークで初のクアッド外相会合 |
2020年6月 | 印中国境ガルワン渓谷での衝突 |
10月 | 東京でクアッド外相会合 |
11月 | 海軍共同演習マラバール2020(クアッド4カ国で実施) |
2021年3月 | 初のクアッド首脳会合(オンライン) |
9月 | 米ワシントンでクアッド首脳会合(初の対面) |
2022年2月 | メルボルンでクアッド外相会合 |
3月 | クアッド首脳会合(オンライン) |
5月 | 東京でクアッド首脳会合 |
首相官邸ウェブサイトほかを参考に筆者作成
大きく変化した中国の位置付け
2007年の第1次クアッドを手短に振り返ると、インドはオーストラリアとともに消極的な参加者であったと位置づけられる。これは、当時のインドが現在とは異なる対中政策を採用していたためであった。
すでに05年ごろから国境問題をめぐり対中関係は悪化の兆しを見せていたが、当時のインド政府はグローバルな国際政治の舞台や、二国間の経済分野などでは積極的に中国と協力する方針であった(※1)。それゆえに対中関係を損なうことへの懸念からクアッドには消極的であり、オーストラリアに次いでインドも降りる形で第1次クアッドは消滅した。当時、インド側におけるオーストラリアへの期待の低さも、クアッドへの消極姿勢の要因のひとつであった。
17年11月の局長級会合から再始動する第2次クアッドは、中国による海洋進出の強化、それに対応するクアッド各国間の安全保障協力の強化、16年に日本政府が掲げた「自由で開かれたインド太平洋」政策などを背景としていた。この10年の間に、インドをとりまく状況も変化しており、誤解を恐れずに端的に言えば、インドにとっての中国はライバルから敵としての位置付けに変化していた(※2)。
非軍事な協力枠組みとして参加
しかし第2次クアッド当初においても、インド国内にはクアッドへの慎重論も根強く見られた。クアッド慎重論には、米国に依存すれば自国の戦略的自律性(strategic autonomy)を損ねかねないというロジックと(※3)、クアッドの協力はインドが直面する中国との国境紛争への対処には貢献しないとの考えが見られた(※4)。後者について付け加えると、インドは陸上で中国の脅威に直面しているが、クアッドやインド太平洋は海洋での協力枠組みであり、陸上での対処に海洋の枠組みは有用でなく、むしろクアッド参加によって中国との緊張を高めることによって安全保障を損ねかねないというロジックであった。当時はインド国内の専門家の間でも、クアッドは実務レベルでの協議枠組みに留まり、BRICSのような首脳レベルでの会合には至らないとの見方が有力であった。
インド太平洋をめぐる政府方針からも、対中関係への配慮を確認できる。インド政府が「自由で、開かれ、インクルーシヴな」インド太平洋政策を表明するのは18年6月のナレーンドラ・モディ(Narendra Modi)首相演説であるが(※5)、インド政府は17年末ごろからインド太平洋という言葉を使い始めており(※6)、これはクアッド再始動の時期と一致している。詳細は避けるが、インドのインド太平洋政策は非排他性(インクルーシヴ)に力点を置いており(※7)、インド政府が具体的な取り組みとして着手している「インド太平洋海洋イニシアティヴ(Indo-Pacific Oceans’ Initiative)」からも分かるように(※8)、インドのインド太平洋政策は、中国への対応を念頭に置きつつも、非軍事分野でのオープンな協力枠組みとして構想されてきた。
経済協力進展に向けた狙いも
こうした従来のインド政府の方針を踏まえて、2022年5月のクアッド首脳会談の成果を分析すると、総論としては次のように整理できよう。第1に、インドはクアッドを自国の方針に引き寄せることに成功したと言える(※9)。今回の首脳会合で発表された成果では、非軍事分野でのオープンな協力を具体化しており、これは従来からインド政府がインド太平洋政策において望んできたことであった。また、クアッドとは別の枠組みではあるが、クアッド首脳会合の場で発表された「インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework)」についても、インド政府の「インド太平洋海洋イニシアティヴ」と同様に分野ごとに参加を選択できる形であり、インド政府として参加しやすい形になったと言えるだろう。
第2に、インド側もクアッドに一歩踏み込んだとも言える。首脳会合で発表された協力分野は、表向きは依然として非軍事領域の協力に限定されているものの、海洋や宇宙での情報共有などは軍事に近い領域である(※10)。ここ数年のインド政府の動きにおいて対中関係への配慮は薄まりつつある。
インドがクアッド協力に一歩踏み込んだ背景には、第1に、ここ数年の間にインドと中国の関係悪化が進んだことがある(※11)。特に2020年の印中国境地域ガルワン渓谷における衝突は、インド側の対中世論を決定的に悪化させており(※12)、政府の対中政策にもかなりのインパクトを与えたようである。
第2に、経済政策の観点からも、クアッドやインド太平洋での協力を必要としている。インドは中国との間での巨額の貿易赤字を抱えており、2020年から実施されている包括的な経済政策「自立したインド(Atmanirbhar Bharat)」では、中国からの輸入を削減し、国内製造業を振興することが重要な主題となっている。
日本や米国へのいわば「お付き合い」として消極的に関与した第1次クアッドとは異なり、現在のインドは積極的な参加者としてクアッドやインド太平洋にコミットしている。中国に対する脅威認識の共有という観点だけでなく、経済政策としてクアッドやインド太平洋を捉えていることを強調して締めくくりとしたい。
【補論】
補論として、主に日本国外の読者に向けて、ロシア・ウクライナ戦争への対応やクアッド首脳会合をめぐるインドの政策対応が、日本でどのように受け止められているのかについて2点紹介したい。
第1に、日本国内で活発化したインドの対外戦略をめぐる言論から明らかになったことは、専門家等の一部を除けば、日本国内においてインドの対外戦略に関する理解は十分に広がっていないことであった。例えば、ある国際政治学者は、インドが中国よりもパキスタンを脅威と捉えているという誤った前提から、的外れな議論を展開していた。また、冷戦時代の非同盟主義が現在も維持されているという誤解も見られた。
第2に、近年のインド太平洋やクアッドのパートナーとしてのインドの側面を重視してきた人々の一部からは、ロシア・ウクライナ戦争をめぐるインドの対応に戸惑いの声が聞かれた。とくに、ウクライナからの避難者を支援するために国連の人道支援物資を自衛隊機でムンバイから輸送する計画がインド政府に拒否された一件は、日本国内では大きく報じられ、失望の意見やインドを非難する意見が見られた(※13)。インド外務省報道官は事務的な行き違いと釈明したが(※14)、日本側では実務レベルで合意されていたものがインド側閣僚の政治的判断によって覆されたと報道されている。
バナー写真:クアッド首脳会議を前に記念撮影に臨む日米豪印の首脳。(左から)アンソニー・アルバニージー豪首相、ジョー・バイデン米大統領、岸田文雄首相、ナレンドラ・モディ印首相=2022年5月24日、首相官邸(時事)
(※1) ^ 2010年ごろまでの印中関係については筆者による下記の整理がある。溜和敏「現代インド・中国関係の複合的状況:リベラリズムの視点からの一考察」近藤則夫編『現代インドの国際関係』(日本貿易振興機構アジア経済研究所、2012年)所収、https://ir.ide.go.jp/?action=repository_uri&item_id=42234&file_id=26&file_no=1にて全文アクセス可能。
(※2) ^ インドの対中認識についての詳細な分析として、下記を参照。伊豆山真理「インド台頭論と2000年代以降の印中関係――「経済大国としての共存」から「対抗する大国モデル」へ」堀本武功・村山真弓・三輪博樹編『これからのインド――変貌する現代世界とモディ政権』(東京大学出版会、2021年)所収。
(※3) ^ インドの戦略的自律性については、伊藤融『新興大国インドの行動原理――独自リアリズム外交のゆくえ』(慶応義塾大学出版会、2020年)が詳しい。
(※4) ^ 後者の議論の一例として下記を参照。Manoj Joshi, “Why India Should Be Wary of the Quad,” The Wire, November 13, 2017.
(※5) ^ Website of Ministry of External Affairs, Government of India, “Prime Minister’s Keynote Address at Shangri La Dialogue,” June 1, 2018.
(※6) ^ 日印政府間では2014年からしばしば使われていたが、インド政府として正式に「インド太平洋」という言葉を使いはじめたのは2017年末ごろと見られる。溜和敏「インドと日本の『インド太平洋』――2007年から2018年まで」田所昌幸編『素顔の現代インド』(慶應義塾大学出版会、2021年)所収。
(※7) ^ インドのインド太平洋政策に関する初期の整理として、下記を参照。堀本武功「「自由で開かれたインド太平洋戦略」:インドの対応は“不即不離”」nippon.com、2018年9月。
(※8) ^ 溜和敏「インドの「インド太平洋海洋イニシアティヴ」」(研究レポート) 日本国際問題研究所、2022年3月。
(※9) ^ 伊藤融「クアッドを対中経済連携に引き戻したインド:外交的成功と今後の課題」国際情報ネットワーク分析IINA、笹川平和財団、2022年6月。
(※10) ^ 長尾賢「見逃せないインドの変化 クアッド首脳会談3つの成果」Wedge ONLINE、2022年5月。
(※11) ^ インド国内でも対中関係の観点から理解されている。Harsh V. Pant, “India and the Quad: Chinese belligerence and Indian resilience” ORF Commentaries, March 20, 2022.
(※12) ^ 溜和敏「ガルワン事件後のインドの対中世論」公益財団法人日本国際フォーラム、2021年3月。
(※13) ^ 「インド閣僚レベルが自衛隊機使用を拒否」『朝日新聞』2022年4月28日。
(※14) ^ Transcript of Weekly Media Briefing by the Official Spokesperson (April 21, 2022), Ministry of External Affairs, Government of India.