人文科学の衰退とパンデミックがもたらす “知日派人材” 育成の危機
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日本語は「マイナー」な言語
米国の大学で日本研究は、文学や歴史学といった複数の専門分野をまたぐ学際的領域として長い歴史を持つ。多くの場合、東アジア研究、アジア研究、あるいは近代語学文学(Modern Languages and Literatures)といった学科の中の一プログラムとして位置付けられ、日本語、歴史や文化、社会に関するさまざまなコースを通じて、高度な専門知識が習得できるカリキュラムが組まれている。
1990年代以降の日本経済の低迷や世界経済における中国の台頭などを背景に、識者の間では米国における日本研究の衰退がパンデミック以前から指摘されている。だが、実情はもう少し複雑だ。
米学術団体「現代言語協会(Modern Language Association)」(以下MLA)は、全米の大学生・大学院生が受講している外国語についての詳細な調査結果を定期的に公表している。同調査によると、2016年の秋学期、日本語科目の受講者数の合計は6万8810人で、前回13年と比較すると3.1%の微増であった。
米高等教育における外国語の多くが受講者を減らしている中で、日本語は、韓国・朝鮮語と並び受講者を増やしているまれな言語だった。ただ、主要なヨーロッパ言語と比べて、日本語(そして、韓国・朝鮮語も)は受講者の絶対数が少ない。増加しているとはいっても、その数は、例えばスペイン語やフランス語(前者は71万2240人、後者は17万5667人)には遠く及ばないのが実情だ。米国で日本語は、依然マイナーな外国語と言える。
就職に有利な専攻分野を選びたい
MLAは2021年に実施した最新調査の結果を23年に発表する予定だ。これによって、パンデミックの日本語学習者への影響が明らかになるが、私自身は、日本語の受講者数は現在も微増し続けているのではと推測している。
私が勤務するウィリアム・アンド・メアリー大学(以下W&M大)の日本語コースは、ここ数年で着実に成長しており、それに伴って日本文学や歴史、映画に関する科目も人気だ。これらの科目には、毎学期、受け入れ可能な人数を超える受講希望者がいる。他大学の日本研究者と話していても同様の状況だ。現在の米国の若者は、幼少期から日本のポップ・カルチャーに慣れ親しんできた世代なので、大学で日本語を学び日本関連の科目を取ることは、彼らにとってごく自然な選択だ。
しかし、これが将来の日本研究者の育成につながっているか―つまり、日本語・日本文化を学ぶ学生たちが、日本語をマスターし日本研究を専攻に選ぶかは全く別の問題だ。MLAの調査は、日本語コースの受講者数が増加している一方、日本語・日本研究を専攻し学士号を取得する学生の数が2013年の899人から、16年には742人へと17.5%減少したことも伝えている。これは、日本研究のみが直面している問題としてではなく、米国の高等教育における人文科学の衰退という大きなコンテクストの中で捉える必要がある。同調査からは、他の外国語の学士号の数も軒並み減少していることが分かる。
「米芸術科学アカデミー(American Academy of Arts and Sciences)」の調査によると、英語・英文学、外国語・外国文学、歴史学、古典、言語学、哲学といった伝統的な人文系分野で授与された学士号の数は、2012年から18年にかけて27%も減少している。同時に、これらの学士号が全体に占める割合は、4.4%まで下落した。コミュニケーションやジェンダー学といった人文系全ての分野の学士号を含めても、そのシェアは10.2%にしからならない。
大学の学費が高騰する米国では、高い学費の見返りとして、専攻はより実利的で就職に直結するものをという傾向が学生および保護者の間で強まっており、文学や外国語、歴史などは、抽象的で就職には役立たないと見なされがちだ。そんな中、大学の経営者側も「ステム(STEM)教育」=科学(science)、技術(technology)、工学(engineering)、数学(mathematics)の4分野=と呼ばれる理系教育に莫大な予算を注ぎ込み、学生の呼び込みに力を入れている。前述のように、W&M大では日本語・日本文化の選択科目が人気ではあるが、これらを受講している学生の専攻は、コンピュータサイエンスやビジネスなど、やはり就職を意識したものが多く、彼らが上級の日本語まで進むことは少ない。
知日派人材育成の好機を放棄
新型コロナによるパンデミックは、人文科学を取り巻くこのような厳しい状況の中で起きた。今後、米国の日本研究はどう変わっていくのだろうか。パンデミックの影響が最も顕著に現れているのが、日本への留学だ。コロナ禍が始まった2020年春以降、留学生へのビザ発給が中止となり、今年に入るまで措置は継続された。3月以降ビザ発給が再開されているが、実際には直ちに留学が可能となるわけではない。送り出し側、受け入れ側の双方に周到な準備が必要だからだ。当の学生も留学にあたっては卒業に必要な単位数、専攻・副専攻に必要な科目の履修など考慮すべき点が非常に多く、既定のスケジュールを簡単に変更することはできない。W&M大は、慶応大学、国際教養大学の2校と交換留学の協定を結んでいるが、完全に再開するのは、今年の秋学期以降だ。
日本の文化や歴史に興味を持つ学部生・大学院生たちは、長期にわたり留学による学びと研究の機会を奪われてきた。日本で勉強することを楽しみに、あるいは、それを前提に将来のキャリアを熟考して入学してきた学生たちが、来学期こそはと期待しながら、その度に留学を断念せざるを得ない様子を目の当たりにするのは、教師としても辛かった。パンデミック以前、日本政府は「留学生30万人計画」のもと、留学生の受け入れを国策として強く推し進めてきた。それを2年以上も合理的、科学的な理由がないまま中断してしまったのは、はなはだ無責任であったと言わざるを得ない。
留学生は、将来、日本研究者となったり、日本語の翻訳・通訳に従事したり、日本企業、あるいは日本関連企業に就職したりするなど、国際社会における日本の認知度向上、理解増進に貢献してくれる可能性のある貴重な人材だ。現在、和食やアニメ、漫画に代表される日本文化が世界的なレベルで受け入れられているのは、もちろん、日本人自身の努力にもよるが、日本留学を経験した知日派の外国人たちが積極的に仲介してくれているという事実も見逃すべきではない。留学生受け入れの長期中断は、このような人材育成の好機をみすみす放棄してきた、ということだ。
外国人研究者の活動にも支障
留学生が入国できない問題はメディアでかなり注目され、日本政府の水際対策にも多くの批判があった。一方、日本を研究対象とする外国人研究者の日本入国についてはあまり知られていないし、関心も高くないのが現状のようだ。2022年6月現在、ビジネス目的であれば日本入国のためのビザ申請・取得が可能であり、外国人研究者も、国際会議への参加や大学からの招へいといった理由で日本国内に受け入れ責任者がいる場合は、ビザを取得し渡日することができる。つまり、外国人研究者の入国は理論的・法的には可能だ。
しかし、研究とは、そもそも孤独で地道な作業だ。それは、図書館やさまざまな研究機関での資料集めであり、関係者との面談であり、日本各地でのフィールドワークだ。こうした研究活動には、通常、日本国内に受け入れ責任者は存在しない。研究者自身が予定を組み、夏の長期休暇などに自身の研究費、あるいは私費で渡日することになる。この場合、彼らの入国は日本政府によって「ビジネス」目的とは認められず、単なる個人での「観光」目的とみなされる。現時点では添乗員付きのツアーに限り、米国をはじめとする98の国・地域からの観光客の受け入れが再開されている。だが、個人観光のビザ発給の再開はまだ目途が立っていない。W&M大で日本文学や日本史を専門とする米国人の同僚たちは、コロナ下で一度も渡日できておらず、研究の中断、あるいは変更を余儀なくされている。
留学生が未来の知日派なら、研究者は今まさに活躍中の知日派であり、彼らの入国を2年以上も拒否し続けていることに、害はあってもメリットは全くない。日本を研究対象としている以上、日本での調査ができなければ、彼らは、研究成果を論文や著書として発表することも、学会などで他の研究者と交流することもできない。このような状態が今後も続けば、米国をはじめとする海外の日本研究は停滞するだろう。これは、日本に関する教育の質の低下にもつながり、大学生・大学院生の日本離れを招きかねない。グローバル化が進む世界において、日本文化のより深い理解とより広い普及には、日本国内の研究者だけではなく、海外を拠点に英語、その他の言語で発表・発信・出版する研究者たちの協力と貢献が不可欠であるのは自明だ。
米国における日本に関する知は、過去何十年にもわたって、自由な往来に支えられながら、研究者一人ひとりの努力によって構築されてきた。今、それが危機にひんしている。日本にとっても憂慮すべき事態だ。一刻も早く入国制限が終了し、自由な研究活動が再開することを切に願う。これは、海外で日本について学び、研究する人々の共通の願いでもあるはずだ。
バナー写真:日本入国のため検疫施設で手続きを待つ人たち=2021年11月8日、成田空港(時事)