
グレーゾーンでの戦いに備える台湾:国防報告書で「中国からの脅威」を詳述
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近年、台湾は中国が仕掛けるグレーゾーンの事態に注目するようになり、2021年には四年期国防総検討(QDR)や国防報告書で、中国からのグレーゾーンの脅威を詳述するまでになっている。1948年にジョージ・ケナンがその認識を明らかにして以降、グレーゾーン事態にはさまざまな定義がある。日本の防衛白書では、「純然たる平時でも有事でもない幅広い状況を端的に表現したもの」で、「国家間において、領土、主権、海洋を含む経済権益などについて主張の対立があり、少なくとも一方の当事者が、武力攻撃に当たらない範囲で、実力組織などを用いて、問題に関わる地域において頻繁にプレゼンスを示すことなどにより、現状の変更を試み、自国の主張・要求の受け入れを強要しようとする行為が行われる状況」を指すと定義している。台湾国防部はグレーゾーンの脅威を軍事手段と非軍事手段の2つに大別し、サラミ戦術で徐々に脅威の度合いを増して自らに有利な態勢を形成し、台湾側の戦力を消耗させるだけでなく、民心の動揺を誘い、中台の現状を改変することを企図しているとの認識を示している。
中国側が仕掛けるグレーゾーン事態
現状で「海峡両岸経済協力枠組み取り決め」(ECFA)は維持されているが、貿易面での中国の台湾に対する嫌がらせが行われている。2021年3月にパイナップル、9月にレンブとバンレイシ(いずれも果物)、22年1月にハタ(養殖魚)が相次いで輸入停止となった。
文化面では、台湾の芸能人に中台統一を念頭においた歌を歌わせるなどの統一戦線工作が頻繁に行われている。他方で、中国の「愛国的」なネットユーザーが反中的な言動を行った台湾芸能人をつるし上げる行為も頻発している。
政治面でのハラスメントとしては、21年11月には中国で台湾問題を担当する国務院台湾事務弁公室が蘇貞昌行政院長ら3人の政府要人を「台湾独立頑固分子」と名指しして、その政治責任を終生追究し「法律で懲戒する」と宣言したことや、経済支援やコロナワクチン供給を通じて台湾から対外関係国を奪う外交、国際社会における台湾の活動への妨害、台湾に対して友好的な国家に対するハラスメントが挙げられる。
中国に親近感を抱く外省人の元将官は、中国の統一戦線工作の対象にもなっている。近年では16年に習近平総書記が主催した孫文生誕150周年記念大会に参加し、起立して中華人民共和国国歌を清聴した台湾軍の元上将ら3人が批判された。21年には台湾軍退役上将が中国軍用機のTADIZ(台湾が設定している防空識別圏)進入を重視しない旨を発言した。元上将は国民党の中で中国大陸出身の老兵からなる集団(黄復興党部)の代表を務めていることから、彼らの気持ちを代弁したものと考えられるが、政府から強く批判された。TADIZへの軍用機の進入自体は国際法に違反していないが、台湾民衆がその状況に慣らされて、中国に対する警戒心を喪失させることが中国の狙いの一つであることを考えると、元上将は中国の仕掛ける世論戦・心理戦に嵌(はま)ってしまったと言えなくもない。
中国は「世論戦」の一環として、フェイクニュースも盛んに発信している。中国のニュースサイトが、台湾海峡から離れた海域での実弾射撃訓練を台湾海峡で実施と報じたことがあるが、これはその代表的な例である。また、台湾の国家安全局は、中国が18年から台湾指導者の映像や写真の変造を開始していることを明らかにした。最近のフェイク映像などは精巧で、本物と見分けや聞き分けがつかないレベルに達するものもある。悪意をもって流布されると、仕掛けられた側は大きなダメージを受けることになりかねない。
21年12月には中国中央電視台が、数百名の兵士と数十両の戦車からなる中国軍部隊が地雷や障害物を排除して3時間足らずで都市を占拠したという演習を報道した。これは、報道を通じた台湾民衆への心理戦である。海洋に関しては、21年2月に施行された「中国海警法」によって解放軍と海警の連携が強化されたことにより、中国の海上におけるグレーゾーン活用の可能性が一段と増している。
台湾側の対抗措置
中国によるグレーゾーンを利用した各種事態に対して、台湾側も対抗措置を打ち出している。国防部は2017年に中国のサイバー攻撃に対抗するために、「資通電軍指揮部」を組織し、部隊の規模も拡大させつつある。国家安全局は偽造された映像や写真が総統選挙などに悪用されることを防ぐために、その対策に携わる専門グループを立ち上げていることを明らかにしている。台湾国防部も19年5月、国防部本部にフェイクニュース対抗処理小組を立ち上げた。台湾軍も演習の様子を積極的に公開して中国側の報道に対抗している。22年1月6日、台湾軍は高雄市で歩兵と走行車両が参加した模擬市街戦の訓練を公開した。
法律面では、19年12月に「反滲透法」が成立した。同法の制定理由は、「域外敵対勢力」が台湾に密かに浸透・介入することを防ぎ、国家の安全と社会の安定を確保し、主権と自由民主の憲政秩序を維持するためとされている。「域外敵対勢力」は、「わが国と交戦している、もしくは武力で対峙している国、政治実体、団体、あるいは非平和的手段で我が国の主権に危害を加える国・政治実体・団体」と定義されている。反浸透法がグレーゾーン事態発生に対する抑止と拡大防止を狙っていることは、法の内容から明らかである。
海洋におけるグレーゾーン事態への対抗措置として、台湾は海洋委員会巡防署と海軍との連携を強化させつつある。船艇の増加・大型化はもちろんのこと、海軍のミサイルコルベット「沱江(だこう)」級をベースにした巡視艇の導入を開始した。有事の際、この巡視艇に対艦ミサイルを搭載することも可能である。
中国のパイナップル輸入停止措置の際は、日本の消費者の台湾支援により、21年には前年比8倍の輸入量を記録した。また、リトアニアが首都ビリニュスに台湾代表処の設置を認めたことから、中国がリトアニアからの輸出品の通関業務を停滞させる嫌がらせを行ったことが明らかになった。一部輸出品については、台湾企業が買い取ってリトアニアを支援する動きもみられた。しかし、これらは他国民の善意や企業努力に頼るもので、永続的な対抗措置たり得ない。環太平洋連携協定(CPTPP)への加盟や新南向政策の実施を含めた総合的な経済・貿易分野の強化も重要となってくる。
伝統作戦から統合作戦へ向かう中国軍
1990年代、中国軍内部では非軍事的手段による台湾回収について戦史研究がなされ、台湾の内紛による弱体化のモデルケースが検討されたと言われる。このときの中国軍は、依然として台湾を攻撃占領できるだけの実力を有していなかった。また、当時の中国は改革開放政策を進めるための安定した国際環境を欲しており、「一国二制度」による台湾問題解決の希望を抱いていた事情もある。天安門事件後の経済制裁からの立ち直り、97年の香港回収、99年のマカオ回収は中国にとって自信になっていた。米国との関係も現在と比較すれば良好だった。
現在の中国は、強力な経済力と軍事力を保持しているが、国際環境は理想的ではない。米国との対立は先鋭化しつつあり、インドとも国境紛争を抱える。欧州諸国との関係も悪化しつつある。ロシアとの関係は良好ではあるものの、軍事的な同盟関係を締結しているわけではない。台湾に武力侵攻したときに米国が台湾を支援するために動いたり、インドなどの周辺諸国が軍を動かしたりして、中国軍に複数の負荷がかかると、その勝利はおぼつかなくなる。
そこで改めて見直されたのが、『孫子』を地で行く「戦わずして勝つ」戦略だと考えられる。強大な経済力と軍事力を背景に、台湾に対して軍事・経済・貿易・文化・政治・外交など多岐にわたる側面から圧力を掛け続ける。その結果、台湾民衆の中国への対抗意識をくじいたり、警戒心を低下させたりして、中国の軍門に下らせることを中国指導部は狙っているのである。
このように中国がグレーゾーン事態を重視するようになったのは、中国軍の作戦形態が大きく変化してきていることにも関係がある。現在の中国軍は、陸海空の3つのドメインで戦う伝統的な統合作戦から、それらにサイバー・電磁・宇宙・認知の各領域を加えた総合的な統合作戦を運用する方向性を明確化させている。グレーゾーンを利用して台湾に圧力を加え続けることは、中国の重要な作戦の一部となっているのである。もちろん、中国軍の能力が西太平洋において米軍を凌駕し、台湾有事に米軍が介入できない、介入してもそれを跳ね返せる目算が立ったとき、中国指導部は中国軍に台湾侵攻を命じると考えておくべきである。
そのため、台湾はグレーゾーン事態への対処ととともに、武器・装備の更新と、組織の改編、変化する事態に対応した演習・訓練の実施など、総合的な国防能力の強化を怠りなく進める必要がある。現状においては、国防予算を増額し、中国大陸を直接攻撃可能な長射程ミサイルの取得や開発を進めるなど、台湾の国防体制の構築は概ね正しい方向に進んでいると考えられる。
【主な参考文献】
- 尾形誠「近代化進める解放軍と台湾軍の対応(下)」『軍事研究』【株】ジャパン・ミリタリー・レビュー、2022年1月号
- 彭群堂・李凱翎「中国大陸『灰色地帯』衝突戦略運用対我国防衛作戦之影響与因応」『空軍学術双月刊』第682期、2021年6月
- 杉浦康之『中国安全保障レポート2022 ―統合作戦能力の深化を目指す中国人民解放軍―』防衛研究所、2021年
(注)本稿は筆者の個人的見解をまとめたもので、所属機関とは関係ありません。
バナー写真:国防部での式典に出席し、昇進した将官を激励する台湾の蔡英文総統=2021年12月28日 ©Walid Berrazeg/SOPA Images ia ZUMA Press Wire/共同通信イメージズ