中国がTPP加入を申請:アジア太平洋に波紋、日本車への「勝利宣言」か

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中国が2021年9月、環太平洋連携協定(TPP)への加入を申請した。自由な経済活動とは一線を画す中国の加入申請はアジア太平洋広域に波紋を広げ、TPPに関心を持つ台湾、韓国なども相次いで申請に動き出した。中国の申請は外交的揺さぶりとの見方が多いが、関税を撤廃しても自国産業が日本車などに勝てると判断した「勝利宣言」だとの分析も出ている。米国離脱後のTPPを主導してきた日本はどのように対応するのか。

中南海主導で申請、各国に衝撃

TPPは日本とオーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなどアジア太平洋地域の11カ国が合意した自由貿易協定(FTA)だ。域内の人口は5億人を超え、合計国内総生産(GDP)は11兆ドル超(約1250兆円)と世界全体の1割近くに上る。2015年に米国を含む12カ国で合意したものの、17年に発足したトランプ前政権が離脱を宣言。瓦解の危機が迫る中、日本などが尽力し、「包括的・先進的環太平洋連携協定(CPTPP)」として米国を除いた形で18年に合意、発効した。

その特徴は、高水準の貿易自由化と最先端の権利、データ保護ルールの策定にある。参加国は工業品・農産品などの関税を原則的に撤廃することが必要になるだけではなく、知的財産権の保護や国有企業、労働といった分野でも高いレベルのルールの順守が求められる。米通商代表部(USTR)で離脱前の交渉を主導したマイケル・フロマン代表=当時=は交渉終盤だった15年、経済力を増す中国に対して「経済、投資の自由化を迫る戦略的な枠組みだ」と位置付けていた。

「中国包囲網」との見方も根強いTPP。この枠組みに21年9月16日、中国政府が正式に参加を申請し、日本をはじめとするTPPメンバー国や米国の関係者に衝撃が広がった。日本政府で通商交渉を担当する幹部職員は「中国政府内で(通商交渉を所管する)商務部、外交部が申請直前まで詳細を把握していなかった。(習近平国家主席を中心とした指導部を指す)中南海が主導し、申請に踏み切ったようだ」と分析する。

TPPメンバー国の外交官も「申請は通常であれば、寄託国(幹事役)ニュージーランド(NZ)国内で行うのが普通だが、中国政府は北京でNZの外交官に書類を手渡した」と、慌ただしく手続きが進められた可能性を示唆している。

TPPの経緯

2010年3月 米国、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなど8カ国がTPP交渉を開始
2013年3月 安倍政権、交渉参加を表明
7月 日本、交渉参加
2015年10月 12カ国が大筋合意
2016年2月 12カ国が署名
2017年1月 トランプ米政権が発足、TPP離脱表明
3月 米国除く11カ国が閣僚会合
2018年1月 11カ国がCPTPPに最終合意
3月 署名式
12月 発効
2021年6月 英国が加入交渉開始
9月16日 中国が加入申請
9月22日 台湾が加入申請
12月 韓国が加入手続き開始

台湾けん制、「人権の米」のいぬ間に…

それでは、中国はなぜ、このタイミングでTPP加入を申請したのか。

通商交渉の専門家が口をそろえて指摘するのは、台湾の加入に対するけん制だ。半導体受託製造で世界首位TSMC(台湾積体電路製造)を擁する台湾はTPPに加入すれば、関税が引き下げられ、域内のサプライチェーン(供給網)の優遇対象になる。

半導体世界大手のTSMCの工場建設予定地(手前)=熊本県菊陽町(共同通信社ヘリから)
半導体世界大手のTSMCの工場建設予定地(手前)=熊本県菊陽町(共同通信社ヘリから)

また、台湾製半導体やそれを組み込んだ自動車のエンジン制御部品などが「メイド・イン・TPP」と認定されれば、日本の自動車メーカーなども輸出が容易になるだけに、台湾加入を歓迎する声は目立っていた。21年春頃から台湾のTPP加入論が一部で盛り上がる中、「『一つの中国』を掲げる習主席は台湾の単独加入を阻もうと先手を打った」とメンバー国の外交官は分析している。

第二には、経済と先端技術の両面で覇権を争う米国をけん制する狙いとされる。米国では21年に「国際協調への復帰」をうたった民主党のバイデン政権が発足し、日本をはじめTPPメンバー国には「米国のTPP再加入」を期待する声が根強い。

バイデン政権にとってTPP復帰は優先度が極めて低いが、将来的に復帰に動く場合には新疆ウイグル地域の人権侵害などを問題視しているだけに、「労働分野のルールの厳格化で再交渉を求める公算が大きい」(経済産業省関係者)とみられている。中国としては、米国が労働や人権に関わる条項の厳格化を口にする前に、加入申請を済ませ、さらに申請を通じて米国やTPPメンバー国に揺さぶりを掛けたとの見方が目立つ。

「外圧」で国内改革の思惑も

もっとも、中国がTPPに関心を示したのは、この数年間に限った話ではない。申請が突発的判断ではなく、長期的戦略に基づいた可能性も高そうだ。

2015年3月、7月にそれぞれハワイで開かれたTPP首席交渉官会合と閣僚会合は同年10月の大筋合意に向けた重要な協議の節目となった。そのハワイ会合の会場周辺で目立ったのが、交渉12カ国の交渉官や業界団体関係者と個別に接触を試みるジャケット姿のアジア系の男性たちだった。

交渉参加国の業界団体関係者は当時、「彼らは中国の官僚だ。将来の参加を視野に入れ、TPPの内容を調べている」と証言している。通商分野の専門家の間では「中国は2010年代、米国も加わった元々のTPP交渉の時から、参加に関心を示してきた」(元USTR幹部)との見方が大勢だ。

中国情勢に詳しい国際通貨基金(IMF)分析担当者は「中国の改革派官僚たちは市場メカニズムや自由な経済ルールの必要性を理解しており、(TPPなどの)協定や交渉を通じた『外圧』を使って国内改革を進めようとしている」と語っている。

関税撤廃への自信か

経産省で通商交渉、政策に関わったオウルズコンサルティンググループの羽生田慶介代表取締役CEO(最高経営責任者)は、中国の対外経済政策が新たなステージに入った可能性を挙げる。

羽生田氏が指摘するのは「関税撤廃に対する中国の自信」だ。日本ではこれまで、「中国は日本車の完成車に対する関税をゼロにする準備ができておらず、TPP加入の障害になる」との見方が多かったが、羽生田氏によると「状況が変わった可能性がある」という。

羽生田氏は、「中国がTPPに加入できるようになるとしても少なくとも3~5年は先になる」と指摘。その上で、電気自動車(EV)の国際的な普及が加速し、中国のEV、関連電池メーカーの成長が著しいことから、「中国政府は3~5年後の市場を見込んだ場合、『日本車、特にEVは怖くない』と判断した可能性がある」と説明する。

TPP加入申請は、いわば日本の自動車産業への「勝利宣言」に相当し、これは他のTPP加入国の工業品・農産品に対しても一定程度当てはまる可能性があるようだ。

もっとも、羽生田氏も国有企業優遇措置の解消や知的財産権の厳格な保護といった非関税分野のルールについては「中国が(数年内に)遵守することは難しい」と強調している。ただ、TPPの「水準の高さ」には、日本が農産品などの関税撤廃を免れ、ベトナムも厳格な国有企業ルールの即時適用を免れるなど事実上の抜け道がないわけではない。

中国が加入協議を本格化した段階で、「国有企業ルールの即時適用を免除されるならば、工業品や農産品の関税を撤廃する」などと持ちかけた場合、14億人超の巨大市場に魅せられるTPPメンバー国も出てくる可能性がありそうだ。

マレーシアやシンガポールなどは既に中国の参加を歓迎する意向を表明。大阪商工会議所の尾崎裕会頭(大阪ガス相談役)は中国の申請直後に「歓迎すべきことだ」と記者会見で語っている。

TPPも対外政策のカードに

新型コロナウイルス危機の中で中国が国際的な影響力を拡大し、米中間の摩擦は激化する一方だ。米国が同盟国や友好国の囲い込みを進める中、米中に地理的に挟まれた日本は対外経済政策の舵取りが一層、難しくなってきた。

岸田政権は2月下旬にも通常国会にサプライチェーンの強靱化や基盤インフラの強化、先端技術の開発・情報漏えい対策強化などを軸とした経済安全保障推進法案を提出する。政府は法案の内容について「特定の国を意識したものではない」(小林鷹之経済安全保障担当相)と強調するが、経済安保体制の拡充が中国を脅威と位置付けたものであるのは周知の事実だ。

日本のアジア太平洋戦略の基盤であるTPPも対外政策のカードとなる。政府は昨年9月、台湾の加入申請に早々と「歓迎」を表明した一方、台湾に先立つ中国の申請には「極めて高いレベルを満たす用意があるのかどうか、見極める必要がある」(内閣官房幹部)などと慎重な姿勢を崩していない。貿易報復措置をめぐり中国と摩擦を抱えるオーストラリアなどと共に、当面は中国のTPP加入に難色を示す―。こうした構え自体が、さまざまな対中経済・外交交渉のテコとして使えそうだ。

バナー写真:2018年3月、TPP署名式を前に写真撮影に応じる各国閣僚(共同)

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