「人権外交」打ち出す岸田政権:米国と連携、政権イメージ刷新の狙いも

政治・外交

岸田文雄首相は自らの新政権で、自由や民主主義などの普遍的価値の擁護をより強調する姿勢を見せている。その背景や、日本独自の「人権外交」推進に向けた課題を探る。

自由、民主主義の擁護を強く打ち出す

過去15年間、世界では自由主義的価値観が弱体化し、言論、報道、信教の自由などといった人権が侵害されるケースが一気に増加してきた。一地域における人権規範の弱体化は他地域にも波及し、類似の傾向が世界各地に拡大した。日本も例外ではない。

しかし興味深いことに、この同じ15年間は日本外交が自由主義的価値への支持を打ち出してきた期間でもある。第一次安倍政権期の「自由と繁栄の弧」にはじまり、第二次安倍政権で掲げられた「自由で開かれたインド太平洋」構想は現在の岸田政権まで堅持されてきた。価値から距離を取ってきた第二次大戦後の日本外交にとって、全く新しい動きである。自由や法の支配といった自由主義的価値観を共有する国々と連携して国際秩序を維持しようとすることで、こうしたイニシアティブは自由主義規範を擁護・強化する言説の拡大に貢献してきた。その一方で、他国における自由や人権を護るための外交や支援の面では実質的な変化をもたらしていない。

これに対し岸田政権は、自由主義的価値に対してより積極的な位置づけを与えようとしているようだ。自民党総裁選時から岸田氏は、他国における人権侵害行為を非難したり制裁措置を可能にしたりする法整備も視野に入れた人権外交に力を入れると表明していた。政権発足後には「新時代リアリズム外交」を推進する意思を示し、自由や民主主義などの普遍的価値の擁護を外交の第一の柱に位置付けた。

人権担当補佐官ポストを新設

それに向けた具体的な動きも徐々に見られてきている。中核となるのは、国際人権問題担当総理大臣補佐官の新設と、中谷元・元防衛相の当該ポストへの起用である。中谷氏は、山尾志桜里衆院議員(当時)とともに人権外交を超党派で考える議員連盟を創設し、共同会長を務めてきた人物である。人権制裁法(いわゆるマグニツキー法)についても、これを日本で制定することに意欲を燃やしてきた。

政権発足から数カ月が経ち、中谷補佐官は人権外交を準備しつつある。サプライチェーンに深刻な人権侵害がないかを確認し、企業が人権保護の促進に努められるよう促すための人権デュー・ディリジェンスに関するガイドライン策定を目指し、関連省庁間会議を新設した。人権デュー・ディリジェンス導入促進に関する動きは、持続可能な開発目標(SDGs)を推進する中で2018年から日本政府が推進してきたものでもあるが、中谷氏率いる人権外交議連が尽力してきたイシューでもある。国内外の人権問題に関して議論する省庁横断型プロジェクトチームも設置した。

岸田政権はまた、米国がオーストラリア、デンマーク、ノルウェーと共同での発足を発表した「輸出管理・人権イニシアティブ」への参加も検討し、人権侵害に使用される恐れのある監視技術の輸出規制を検討するという。中国政府による人権侵害に対する抗議として22年2月の北京五輪に政府関係者の派遣を見送る一部の欧米諸国と同様、政府関係者を派遣しないことも明らかにした。22年度には外務省内に人権侵害対策担当のポストも新設するという。こうした動きは衆院選から1カ月半が経過して急速に表れてきており、今後もさらなる動きが見られるだろう。

背景には「前政権との差別化」も

岸田政権の人権外交シフトは、主に3つの要因によって促進されたと考えられる。第一は、トランプ政権で弱体化した米国民主主義の規範と制度を回復させようとするバイデン政権の動きである。バイデン政権は国際的に民主主義アジェンダを形成し、民主主義サミットでは参加各国から民主主義・人権を護るための国際的コミットメントを引き出した。また、人権分野での国際連携を重視しており、例えば、ウイグル人に対する中国政府の弾圧に対抗するものとしてカナダや欧州諸国と連携して対中制裁を実施してきた(※1)。これは日本版マグニツキー法の制定を促す契機となった。

第二に、安倍・菅政権で低下した国民の自民党に対する不信感を拭って安定した政権運営を行うために、普遍的価値へのコミットメントを示したと思われる。岸田政権が支持率を高めるためには、前の政権との差別化を図る必要がある。コロナ問題に加えて安倍・菅政権に批判が集中した問題としては、森友、加計、桜を見る会、日本学術会議などがあり、これらは政府の透明性・説明責任の低下、および市民的自由の切り崩しに関わる問題である。民主主義・人権規範へのコミットメントは、差別化を図る上で鍵となる。

ただし、自民党内保守派の動きがコミットメントの方向性を制限している。保守色が強かった安倍政権からイデオロギー色の弱い菅政権に代わると、党内保守派は首相への突き上げを強めた。この傾向は岸田政権でも続いている。保守派が共有するのはナショナリズムをベースにした対中強硬姿勢であり、その観点から彼らは、対中人権外交を推進するよう求めている。他方で、保守派の一部は岸田政権が重視する人権アジェンダが国内に向けられることを警戒している。こうして消去法的に、対外的な人権外交が選択されるに至った。これが第三の要因である。

保守派の望むままに対中強硬姿勢を人権外交として掲げることは、米中の橋渡し的役割を模索する岸田首相の求める外交姿勢ではない。自民党総裁選時から成立を目指すとしていた日本版マグニツキー法に慎重な姿勢を見せているのも、北京五輪に合わせた政府関係者派遣を巡る決断に時間が掛かったのも、こうした理由が作用したとみられる。

人権外交に適した制度構築を

対中強硬策として人権外交を推進することは、人権を擁護する上で望ましい外交ではない。人権がイデオロギー的な戦略外交のツールでしかないとみなされ、価値へのコミットメントとともに人権外交の信頼性に疑義が生じるためである。そうした可能性を排除するためには、人権外交の具体的施策を常に普遍的価値の観点から説明し、国の如何に関わらず人権問題に対して同一の基準で対処することが必要である。深刻な人権侵害に対して自動的に発動する制度として日本版マグニツキー法を制定することは、そのための望ましい方策と言えるであろう。

また、人権への対処を政府外機関やアクターに委ね、政府は当該アクターの支援に回ることも取り得る手段である。その意味で、民主主義サミットの際に日本政府が国連開発計画(UNDP)への1400万ドルの供与を約束したことは好ましい動きである。ただし、人権問題の専門機関ではないUNDPがこの分野で行う活動は、主に対象国の政府に向けたガバナンス支援であり、市民に対する支援でないことには注意が必要だ。

日本政府は、他国で政府に人権を抑圧される市民に対する支援を不得手としてきた。不当な支配を行うミャンマー国軍による国民の殺りくに接しても、外交手段を講じることができていない。報道の自由や政府の透明性向上にとって重要なメディア支援では、国営メディア支援に終始し、独立系メディアを支援できていない。政府の人権侵害を明るみに出し、これに対抗しようとして抑圧される現地NGOへの支援も欠如している。日本からの支援が政府対政府を基盤としたものとなっているためである。

主権の壁を克服して他国における人権擁護に本格的に乗り出すためには、非政府アクターを支援できる枠組みが必要である。そのためには、日本政府の外に自律的な支援機関を設置することが理想的である。日本国内にこうした機関を設置することも一案である。あるいは、アジア地域全体を包含した国際地域枠組みを形成することも一案であろう。内政不干渉原則に阻まれて国際的な人権擁護活動が困難なアジア地域において、市民社会支援を行う国際地域枠組みの形成を日本が主導できれば、世界で最も急速に深刻化するアジアの人権状況改善に資することになり、規範推進アクターとして日本の存在感が高まるであろう。

そして、人権問題に対して国内的にも国外的にも同一の基準に基づくスタンスで対応することが、規範の擁護と強化のために必要である。過去10年間における日本の民主主義弱体化も激しい。岸田政権が真の人権外交政権となることを期待したい。

バナー写真:米政府主催の民主主義サミットにオンラインで参加する岸田文雄首相=2021年12月10日未明、首相官邸[内閣報道室提供](時事)

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