迷走するビットフライヤーの売却が浮き彫りにする日本の経済安全保障問題
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時価総額300兆円を超えた暗号資産
日本最大級の暗号資産取引所「bitFlyer(ビットフライヤー)」が内外企業と売却交渉を進めている。その過程で明らかになったのが、日本の経済安全保障体制の立ち遅れだ。岸田政権は経済安全保障を進め、日本のデータ主権を回復できるかが問われている。
新型コロナウイルス感染拡大に伴う世界各国の中央銀行の量的緩和政策で、内外の金融市場が活況を呈している。中でもインターネットを通じたデジタル資産である暗号資産は一時の不振を乗り越え、その資産価値を増大させている。
仮想通貨情報サイト「コインゲッコー」によると、2021年11月9日午前時点で、世界の暗号資産の時価総額は3兆ドル(約342兆円)を超え、最も取扱高の多いビットコインは過去最高の6万7000ドル(約764万円)をつけた。
日本最大級の暗号資産取引所ビットフライヤー
暗号資産は日本でも人気を集め、売買高が増えている。中でも国内でトップクラスの取引量を誇るのがビットフライヤー。マネックス証券傘下で最大口座数をうたう「コインチェック」と並ぶ日本の暗号資産取引所の雄だ。
ビットフライヤーは元ゴールドマン・サックス証券(GS)の加納祐三氏と小宮山峰史氏が共同創業者として設立した。ビットコインなど13種類の暗号資産を取り扱い、海外でも展開している。持ち株会社のビットフライヤーホールディングス(HD)社長を務めた加納氏は日本ブロックチェーン協会の設立を主導し、協会代表理事を現在務めるなど、日本の暗号資産市場で存在感を示してきた。
ビットフライヤーの大株主でもある加納氏はGSのエンジニアからトレーダーに転身した異色の経歴を持ち、平井卓也デジタル改革担当相(2020年10月当時)に「ブロックチェーンの国家戦略化」を提言するなど、業界の顔役の一人として知られる。その加納氏が20年秋頃、創業企業のイグジット(出口戦略)としてM&A(企業の合併・買収)によるビットフライヤー売却に動いた。日本の暗号資産取引会社は、資金決済に関する法(資金決済法)と内閣府令で登録制となっているが、売買は原則自由だ。
中国系フォビジャパンの素性
ビットフライヤー買収には、内外の企業が手を挙げた。関係者によると、加納氏は1000億円規模での売却を志向したものの、国内のIT金融大手などの応札額は半額にも届かなかったという。最高値を提示し優先交渉権を得たのが顧客数・取引量ともに世界最大級の中国の暗号資産取引所「フォビ」のグループ会社「フォビジャパン」だった。社長は中国福建省出身の陳海騰氏。日本の大学を卒業後、日系IT企業や中国最大のネット検索会社「百度(バイドゥ)」の日本法人代表などを経て現職にある。
本体のフォビは2013年5月、清華大学卒のコンピューター・エンジニアの李林氏が北京市で創業した。設立直後から中国最大の暗号資産取引所となり、16年のグループ全体の累計取扱高が2兆人民元(約35兆円)に上った。一時は世界のビットコイン取引高の60%を扱う世界最大の暗号資産取引所に成長した。
しかし、中国当局は17年9月、国内での暗号資産取引禁止を突如発表した。かねてインターネット主権を唱え、デジタル人民元発行を準備していた中国当局にとって、暗号資産は国家の通貨発行権の侵害とみて排除した形だ。
ただ、暗号資産取引所の海外での活動は容認し、フォビは本社をシンガポールに移転。日本や米国、韓国で18年から事業展開した。中国共産党新聞網は18年11月、北京のフォビグループ会社に党委員会を設立し、李氏があいさつする記事を載せ、規制後も続くフォビ社と中国当局の緊密な関係を示した。
データの中国移転に規制がない日本の実態
日本で暗号資産取引所の売買は自由だが、問題は買い手のフォビの本国である中国が17年と21年に定めた規制、および同時期に施行したサイバーセキュリティ法とデータセキュリティ法にある。同法は中国国内で企業が収集したデータの国内サーバーへの原則保存と海外への提供規制を義務付ける。
一方、日本にはデータの海外移転に規制はない。つまり、ビットフライヤーをフォビが買収した場合、データを中国に持ち出すことを防げないことになる。
ビットフライヤーとフォビの売却交渉前後、トランプ米大統領(当時)は、中国企業バイトダンスが動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」の情報を中国共産党に提供した疑いがあるとして、米系企業へ売却するよう大統領令を出した。その後、バイデン大統領は命令を取り消したが、ティックトックへの調査は継続している。個人情報の収集を国是とする中国への警戒を解いていない。
これに対し、日本政府はビットフライヤー売却交渉で規制に動くことはなかった。金融庁内で、規制する法律がないと容認する“融和派”と、外為法を援用して規制すべきだと反対する“強硬派”に割れたためだ。
告発されていたフォビの内部統制の不備
フォビジャパンについて、金融庁は内部統制に不備があるとして調査対象としていた。複数のフォビ従業員が本人確認の不備などを金融庁に内部告発していたためだ。
だが、フォビジャパンの前身は、日本の暗号資産取引所「ビットトレード」で、フォビグループが2018年9月に完全子会社化したものだ。既に外資による買収事例があり、貿易など中国との経済関係への配慮もあってか、金融庁は結局、ビットフライヤーとフォビの交渉を黙認した。日本人の暗号資産利用者の個人情報が中国に流出する恐れが強まった。
結論から言うと、フォビとビットフライヤーの売却交渉は不調に終わった。皮肉なことに、その原因は中国当局だった。価格交渉の過程で、中国当局はフォビを調査した。中国は20年からマネーロンダリングと詐欺の防止を掲げ、暗号資産取引所への締め付けを強化していた。フォビは中国当局の調査終了まで、交渉中断を望んだ。しかし、ビットフライヤーは応じず、両者の売却交渉は流れた。
中国は21年9月、海外も含む暗号資産取引と採掘(マイニング)の全面禁止を発表した。フォビなどは中国本土のアカウントを凍結するとしている。中国当局のデータ主権によって、日本の暗号資産利用者の個人情報流出リスクが高まり、その中国当局の暗号資産規制によって、結果的にリスクが解消された形だ。後に露呈されたのは、日本のデータ主権のもろさだった。
ビットフライヤーはその後、日本勢や外資と交渉したが、暗号資産市況の回復により、価格で折り合わなかった。こうした経緯が幸いし、懸念される利用者のデータの海外移転は起きていない。
ビットフライヤー広報は取材に対し、「何も話せない」と答え、対応を拒んだ。フォビジャパンは「必要があれば回答する」としたが、期限までに回答はなかった。
経済安全保障の新たな取り組み
10月31日投開票の総選挙で与党自民党は単独過半数を維持し、首相就任直後の解散に打って出た岸田文雄首相は賭けに勝利した。今後は自身の政策を進めることになるが、その目玉の一つが経済安全保障推進法の策定だ。経済安保は先端技術の流出防止や海外からのサイバー攻撃への対応などを骨子とし、従来の安全保障が外交・軍事面を中心としていたものを経済面にも広げる狙いがある。
岸田首相が党政調会長時に創設した「新国際秩序創造戦略本部」は21年5月、中間取りまとめを公表した。重要産業として、①エネルギー、②情報通信、③交通・海上物流、④金融、⑤医療の5分野を挙げ、「戦略的自律性の確保」と「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」を目指すとした。
同戦略本部の狙いをかみ砕いて言えば、外国への過度な依存状況を改善し、日本の存在感と優位性を海外で高めようというものだ。背景には国際政治を巡る米中対立と、経済覇権を拡大する中国への警戒感があることは言うまでもない。
岸田首相が新設した経済安全保障担当相に就けた小林鷹之衆院議員は、同本部の事務局長を務めた。岸田首相の経済安保への本気度がうかがえる。
だが、ビットフライヤー売却交渉で明らかになったように、日本政府の経済安保への意識と対応はお寒い限りだ。
金融庁と政府機関で情報交換会
2021年度の新聞協会賞を受賞した朝日新聞の「LINE(ライン)の個人情報管理問題のスクープと関連情報」は、無料通信アプリ「LINE」が利用者の画像や動画を韓国内に置いたサーバーに保管し、中国の業務委託先から個人情報へアクセスしていたことを伝えた。LINEは海外サーバーへの情報保管を利用者に十分に説明しておらず、管理がずさんだったことを認め、韓国から日本国内サーバーへの移管を表明した。
この朝日報道の約7年前、雑誌「FACTA」は韓国の国家情報院がLINEを傍受し、集めたデータを欧州で保管しており、日本政府も把握していると伝えていた。LINEが韓国のサーバーにデータを保管していることを日本政府がつかみながら、現在まで放置していたということだ。
ビットフライヤー売却問題を機に、日本政府もようやく経済安保への対応を強めている。その最たるものの一つが、金融庁と某政府機関の情報交換会の創設だ。
外国への個人情報データ移管リスクを共通課題として認識した両者は、今年から定期的に持ち回り会議を開いている。某政府機関は近年、企業の技術や研究成果、個人情報流出など経済安全保障への取り組みに力を入れており、ビットフライヤー売却問題をきっかけに、金融庁との交流に踏み切った。
欧州では「デジタル主権」が主要な政治課題として急浮上しており、情報管理は国益との認識が強まっている。岸田政権が進める経済安保は、現在のところ、技術の海外流出に力点が置かれがちだ。個人情報の管理やサーバー設置場所の制限、果ては外資規制に至るまで、現状では日本がデータ主権を自ら放棄しているに等しい。これもまた、コロナ禍で浮き彫りにされた「デジタル弱者」である日本の実態なのかもしれない。
バナー写真:PIXTA