白鵬の年寄襲名と「入日本化」から考える国籍問題
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有識者会議が示した大相撲への提言
日本相撲協会が2019年5月に設置した「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(委員長=山内昌之・東大名誉教授、歴史学者)が提言書を発表したのは、今年4月のことだ。タイトルは「大相撲の伝統と未来のために」。ここに、なぜ親方は日本国籍を持たなければならないのか、という理由が述べられている。
「師匠・親方は、力士に『我が国固有の国技』である相撲道を教える立場にある。親方ましてや部屋持年寄である師匠は、我が国固有の風土・慣習などを理解していなければならず、日本という地に、根をはって生きることが求められる」とし、「日本という地に根をはって生きることを象徴的かつ実体的に表すのが日本国籍なのである」と言い切っている。
だが、矛盾も感じられる。大相撲の目指すべき方向として「多国籍化」が挙げられているからだ。提言書によると、昭和、平成、令和の時代を通じた外国出身力士の総数は24カ国・地域から192人。モンゴルは65人、米国は37人、ブラジルは17人を数える。外国出身者が力士となる傾向は今後も続き、外国出身の親方が増えていくのは間違いない、と分析されている。
モンゴル出身の白鵬は、歴代最多の幕内優勝45回、幕内通算1093勝など、過去の名力士を上回る飛び抜けた成績を残した。力士らによる野球賭博や八百長など角界で不祥事が相次いだ頃、白鵬は「一人横綱」として大相撲の看板を背負い、東日本大震災の被災地にも赴いて信頼回復に努めた。それほどの功績があっても、日本国籍を有しない限り、親方にはなれないというわけだ。
2000年に来日した白鵬は、19年9月に日本国籍を取得した。モンゴルの後輩である鶴竜(現・鶴竜親方)や、横綱・照ノ富士、小結・逸ノ城も昨年末から今年にかけて、相次いで日本国籍となった。いずれも来日から10年以上が経過し、相撲界や日本文化にも十分なじんでいるはずだが、それだけの生活実態があっても、親方の資格が得られないのが現状だ。
年寄襲名にあたり、白鵬は「大相撲の伝統文化や相撲道の精神、協会の規則・ルール・マナー、相撲界の習わし・しきたりを守り、そこから逸脱した言動を行わないこと」などを厳守するとの誓約書にサインするよう求められた。異例の措置だという。肘打ちのようなかち上げや張り手など土俵上の振る舞いには批判もあったが、大相撲に多大な貢献をした横綱に対し、協会がそこまで求める理由は何なのか。
一方、日本人の親方がどこまで立派な教育をしているかといえば、疑問を抱かざるを得ない面もある。力士に対する暴行事件や野球賭博、新型コロナウイルス下での風俗店への立ち入りなど、数々の不祥事が起きている。日本国籍がなければ、相撲を指導する資格がないという理屈は明らかに合理性を欠く。
提言書には、「入日本化」という聞き慣れない言葉が随所にみられる。これは柔道が国際的な競技となり、日本の武道から変質したことによる「脱日本化」に相対する表現として用いられ、外国人が日本固有の大相撲の世界に入り、自己変容を起こすことを意味するそうだ。「同化」や「日本化」とは異なると記されているが、いささか分かりにくい説明だ。
大相撲の将来には二つの道があるという。一つは、いかに多国籍化しようとも、旧来の伝統を重んじ、日本の文化を継承する道。もう一つは、多国籍化の進展に応じ、外国の多元的な要素も取り入れ、新しい相撲を模索する道だ。提言書は、前者の道を進むべきとの立場を取り、外国出身力士に「入日本化」を進めていく必要があると主張している。その方向性として挙げられているのは、柔道ではなく、武道の精神性を重視した剣道のような発展だ。
他のスポーツにおける国籍の規定は
国籍をめぐる他のスポーツの例も取り上げてみたい。国際オリンピック委員会(IOC)の五輪憲章では、国籍変更について「3年ルール」と呼ばれる規定が以下のように定められている。
「(五輪など主要な国際競技会に)一つの国の代表として参加したことがあり、かつ国籍を変更した競技者または新たな国籍を取得した競技者は、以前の国を最後に代表してから少なくとも3 年が経過していることが新たな国を代表してオリンピック競技大会に参加する条件となる」
五輪出場やメダル獲得のために国籍を変更するアスリートがいる。また、それを利用してメダル数を増やそうという国もある。メダル至上主義や国家主義を背景にしたケースを想定し、むやみに国籍を変更しないよう、一定の制限を設けているのだ。
ただ、選手によって事情は異なる。スポーツとは関係なく、祖国の内戦などで難民となり、他の国に亡命する例もある。さまざまなケースに対応するため、新旧両国のオリンピック委員会の合意があれば、「3年」という期間を短縮することも可能だ。
サッカーでも、国を代表する選手には細かく条件が設けられている。選手本人だけでなく、実の両親や祖父母の出生地、選手の年齢やその国の居住年数などだ。とりわけ欧州の各国リーグでは、中南米やアジアも含め、さまざまな国からやってきた選手がプレーしており、人材の流動化が激しい。詳細に資格規定を定めなければ、サッカーでは代表チームを編成しにくくなっているようだ。
日本のプロ野球やサッカーのJリーグ、バスケットボールのBリーグでも、登録人数や出場人数について、外国選手の枠が定められている。日本の国内リーグといえども、チーム強化のためには外国からの選手補強が欠かせない。このため、チーム内での日本人選手とのバランスや、他チームも含めた戦力均衡を考えてルールが決まっている。
こうして世界のスポーツ界をみると、もはや「国籍」や「国家」という枠組みで選手を囲い込むのは難しくなっているのが分かる。
ラグビー独特の「所属協会主義」
数あるスポーツの中でも、ラグビーの代表資格は独特だ。五輪をはじめ、大半の国際競技大会の規定が「国籍主義」に基づいているのに対し、ラグビーのテストマッチ(国代表による試合)に臨む代表メンバーは、基本的に「所属協会主義」の制度で選出される。
代表選手に求められるのは①当該国で出生②両親または祖父母のうち、1人が当該国で出生③当該国に36カ月以上居住――の3条件のいずれかだ。その国の協会に所属するチームで3年以上プレーすれば、国籍に関係なく代表の資格を得ることができる。
ラグビーは、その国に住み、プレーしたという事実に重きを置く。いってみれば、その土地で長く暮らせば、ラグビーの仲間として認めるという考えだ。来年からは③の規定が「60カ月以上」に変更されるが、サッカーと同様、国際的に移籍する選手が増える中で、居住条件がより厳格化されたといえる。
テニスやゴルフなど個人競技では、団体競技以上にグローバル化が進み、国という意識は一層薄れつつあるように見える。世界ランキングを決めるツアーを転戦する中で、各国の選手たちが常に競い合い、交流しながら、それぞれが国境を越えた関係を築いている。
日米両国に国籍があったテニスの大坂なおみや、日本とフィリピンの国籍を持っていたゴルフの笹生優花は、最終的に日本国籍を選んだ。だが、それは22歳までにどちらかの国籍を選択しなければならないという、日本の国籍法に従って意思決定したに過ぎない。世界を舞台に活躍するトップアスリートにとって、スポーツをする上での国籍の壁はさほど高くはないはずだ。
多様化する日本社会の中で
大相撲が日本固有の伝統を重視する姿勢は理解できる。しかし、日本国籍を持たなければ、引退後は日本相撲協会に残れないという決まりは、外国からやって来た力士のセカンドキャリア(引退後の人生)にとっても、無責任と言わざるを得ない。このような不利益が続けば、外国からの入門者は減り、結果的に大相撲の衰退につながる恐れがある。
大相撲のあり方は、日本社会の鏡のようにも映る。今、外国からの移住者が日本で働き、日本人と結婚をして、子どもが日本で育っている。そんな社会において、大相撲のように外国の人々に「入日本化」を求めるのか、それとも多様な価値観を認め合う社会を築いていくのか。二つの道のどちらを選ぶべきだろうか。
今夏の東京五輪・パラリンピックで浮かび上がったのは、多様な生き方を理解し合うことの大切さだ。日本の文化や伝統を外国人に伝えることも確かに必要だが、外国にルーツを持つ人の考え方や祖国の慣習、宗教も尊ばなければならない。
一方、ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんは、研究のために日本国籍を手放し、米国籍を取得した人として話題になった。世界は今、そういう時代の中にあり、日本でも将来的に多重国籍を認めるかどうかの議論が必要になってくるかもしれない。
髷(まげ)を結い、まわしを締めた外国出身力士の姿から何を感じるか。日本という国はどう変わっていくべきか。九州場所の土俵を見ながら、じっくりと考えてみたい。
バナー写真:今年7月の大相撲名古屋場所の表彰式で、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)から内閣総理大臣杯を受け取る白鵬。これが最後の優勝杯の贈呈となった=共同