東京五輪で感じた「テレビンピック」と国民統合メディアの終焉

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テレビ放映権とオリンピック運営が密接に結びついたことで登場した造語に「テレビンピック」がある。1996年アトランタ大会で、ある日本人記者が命名して広まったとされるが、2020年東京大会においても国内メディアの扱いぶりは変わらなかった。だが、インターネットという新たなメディアが台頭し、IT技術が日進月歩で発展する現代、もはやテレビンピックは時代遅れとなりつつある――。

コロナ下でも目立った「テレビンピック」

私はスポーツにほとんど興味がない。平日の朝食時に流しているNHK-BS1「ワールドニュース」が、週末になると大リーグやゴルフの中継でなくなるのも不満である。

東京オリンピック期間中、あろうことかNHKはBS1をほとんど競技中継の生放送と録画だけのチャンネルにしてしまった。

NHKは、総合・Eテレ・BS1・BS4K・BS8Kの計5チャンネルで計1000時間以上も五輪中継を流し続けた。日割りすると毎日の放送時間は約60時間に及ぶ。これに加えて、日本での五輪放送権を共同取得したジャパンコンソーシアム(出資比率はNHK7割・日本民間放送連盟3割)の民放各社も朝から午後11時まで断続的に中継を続けた。

まさに「テレビンピック」——。こうした異常なまでに五輪に偏重した番組編成が、コロナ下で外出自粛を求められた国民に向けられた。

開会式や閉会式の視聴率は当然ながら高い。ビデオリサーチの調査によれば、NHK総合の平均世帯視聴率は関東地区でそれぞれ56.1%と46.7%で、昨年末の紅白歌合戦の40.3%を上回った。

ところが、18日間を通した大会平均世帯視聴率(関東地区)を見ると、自国開催にもかかわらず、NHK(総合+Eテレ)は前回リオデジャネイロ五輪の9.0%から7.6%まで低下し、2008年北京大会(11.5%)以来の2桁台とはならなかった。一方、民放(5局計)も6.4%→6.9%と微増にとどまった。

ちなみに、NHK総合のみが放送した1972年ミュンヘン大会の平均視聴率は31.3%を記録し、1988年ソウル大会もNHK(総合+教育)18.2%、民放(5局計)9.2%だった。

五輪中継が「国民的番組」だった時代は20世紀で終わった。日本民間放送連盟は「今回の東京五輪のテレビ放送に関わる民放全体の収支が赤字」と発表したが、驚く人は少ないだろう。すでに2012年ロンドン大会から民放の赤字収支は続いている。

「ナチ五輪」と「防疫戦争」

オリンピックが最初にテレビ放送されたのは、1936年8月の第11回ベルリン大会、いわゆる「ナチ五輪」である。

ベルリン市内の郵便局などにテレビ受信室が設置され、映像は不鮮明ながらも多くの市民が押し寄せた。テレビ観戦者は延べ16万人を上回り、オリンピックスタジアムの観客席を確保するよりテレビ受信室に入るほうが難しかったという。

もっとも、ドイツで家庭向け「国民テレビ受信機」の量産規格が決まるのは1938年であり、五輪中継が家庭で観られるようになったのは敗戦後のことだ。それゆえ、メディア史におけるナチ五輪では、レニ・リーフェンシュタール監督の「オリンピア」、あるいは「前畑がんばれ」で有名な競泳中継放送など、映画やラジオ中継にスポットが当てられてきた。

だがむしろ、ベルリン大会は「国際的な反対運動」が組織された最初のオリンピックとして注目すべきかもしれない。ナチズムのユダヤ人迫害に抗議して、「第三帝国」での開催に反対する新聞論調は国際的に少なくなかった。

新型コロナウイルスのパンデミック下で開催される東京大会に対しても、多くの海外メディアが感染拡大を懸念して中止を求める論説を掲げた。こうした反対記事を読みながら、私が連想したのは、1937年 10月5日にF・D・ローズベルト米大統領がシカゴで行なった「防疫演説(Quarantine Speech)」だった。

この演説で米大統領は、「世界的無法という伝染病」をまき散らしているファシスト国家の「隔離」を主張していた。名指しはしていないが、それが「ナチ五輪」の3カ月後に同じベルリンで防共協定を締結したドイツと日本であることは明白である。テレビンピックの起源は、「防疫戦争」ともいわれた第二次世界大戦の記憶にも連なる。

敗戦から19年後に開催された1964年東京大会は、メディア史上、衛星中継された最初の「テレビンピック」として知られる。世界45カ国で中継放映され、日本国内ではカラーテレビが普及するきっかけとなった。占領下では禁止されていた「日の丸」がはためき、「極彩色のイメージ」を目に焼き付けた国民の多くは、半世紀以上が経った今もなお、東京五輪を戦後復興から高度経済成長へ向かう輝かしい記憶として抱き続けている。

「国民的番組」から「個人的趣味の番組」へ

実際、当時のNHK調査によると、1964年東京大会の開会式をテレビで観たと答えた人は95%に達した。個別競技の視聴率では、女子バレーボール決勝(日本対ソ連)が85%を記録している。

これに対して、今回の東京五輪では競技別視聴率1位となった野球決勝日本・アメリカ戦が37.0%。ほかに30%を超えたのは、陸上男子マラソ(31.4%)とサッカー男子準決勝日本・スペイン戦(30.8%)だけだった。

もちろん、視聴率の調査主体も実施方法も異なる数字を単純に比べることはできない。しかし、かつての「東洋の魔女」と今回の「侍ジャパン」は同じ金メダル獲得シーンといっても、国民的記憶へのインパクトという意味で大きく異なる。そもそも1964年大会の20競技163種目に対して、今回は過去最多の33競技339種目にまで実施競技は肥大化・細分化しており、全国民が観るようなイベント構成になっていないのである。

国際オリンピック委員会(IOC)の最大の財源でもある米テレビ局NBCにとっても、それは自明のことだった。わざわざアメリカのテレビ事情を考慮して炎天下の8月開催になったわけだが、NBCの五輪中継でのテレビ視聴者数は過去最低を記録している。だが一方で、全競技7000時間を流したストリーミング配信の視聴時間は累計55億分と過去最高に達し、親会社NBCユニバーサルの広告収入は過去最高が見込まれている。

五輪中継はもはや、お茶の間で家族そろって観る「国民的番組」ではなく、各人がタブレットやスマートフォンでアクセスする「個人的趣味の番組」に向かっている。

IOCのバッハ会長もこうした趨勢(すうせい)は熟知していたはずであり、競技会場に観客を入れるか否かは些末な問題に過ぎなかった。むしろ、ネット時代を見据えて、スケートボード、自転車BMXフリースタイル、サーフィンなど、テレビ離れが著しい若者向けの競技種目が次々と追加されている。

趣味の細分化は、大会平均世帯視聴率にとってはマイナス要因だが、ネット配信のアクセス数にはプラスに作用する。ブロードキャスティング(放送)からナローキャスティング(ネット)への移行期において、競技種目の拡大は十分に合理的なのである。ここに浮かび上がるのは、20世紀の「国民国家」システムに取って代わる、21世紀の「帝国」システムである。

「国民国家」メディアと「帝国」メディア

ハロルド・A・イニスは『メディアの文明史』(久保秀幹訳、新曜社)で、メディアは時間(持続)性あるいは空間(伝播)性のいずれに重点を置いており、そのバイアス(偏向)によってメディアが文化に対してもつ意味が変わると論じた。

例えば、古代エジプトの石碑のような時間バイアスをもつメディアは、比較的安定した社会をもたらし、ローマ帝国のパピルスのような空間バイアスをもつメディアは、遠隔地まで権威を及ぼすが社会を不安定化させる。それは伝統指向的な「国民国家」と拡大指向的な「帝国」のモデルで対比すると理解しやすい。

時間バイアスのメディアは、歴史と伝統に対する関心を深めて民族的な政治支配を促し、中央集権的な「国民国家」システムを強化する。これに対して、空間バイアスのメディアは、版図拡大と現在への関心を高めて普遍的な政治支配を助長し、地方分権的な「帝国」システムを発展させる。

今回、パンデミック下で「テレビンピック」を強行したのは、「国民国家」システムにおいて成功した過去の総動員体制の歴史、つまり57年前の多分に美化された記憶を抱きしめる日本人高齢者である。開会式や閉会式のイベントで「歴史と伝統に対する関心」が前景化したのも当然である。こうした時間(歴史)指向的な「国民国家」の基軸メディアであれば、全国紙とテレビ局が大会の公式スポンサーに名を連ねたのも不思議ではない。

これに対して、空間(拡大)指向的な「帝国」の基軸メディアがインターネットであれば、なぜ現代日本社会のデジタル化が遅々として進まないのかも自明だろう。「国民国家」として完成した日本社会の中に、「帝国」システムの多様性や越境性を組み込むことは容易なことではないからである。

異なるバイアスのメディアへの移行には、激しい社会変動の痛みを伴うこともイニスは指摘している。口承文化から文字文化への移行に伴うヘレニズム世界の混乱、印刷術が呼び起こしたナショナリズムの結果である宗教改革と30年戦争、ラジオ・テレビ放送が始まった20世紀の二つの世界大戦を例にあげて、イニスはこう述べている。

「アレクサンドロスの戦役においてにせよ、30年戦争においてにせよ、今世紀の戦争においてにせよ、或るコミュニケーション形態に支配された或る文化から、他のコミュニケーション形態に支配された他の文化への変移にあたってそれを特徴づけている混乱は、文化上の変化が支払わねばならない代価を示している。」

東京五輪の評価については、海外観客受け入れ中止や無観客試合による経済損失、あるいは新型コロナウイルス感染拡大への悪影響という短期的な視点で論じられることが多い。しかし、長期的なメディア論的視点で見れば、東京大会は「国民国家」メディアから「帝国」メディアへの移行期を象徴するオリンピックであった。

国民国家として成功した「テレビンピック」の美しい記憶にしがみつく金メダル数で3位の日本が、首位のアメリカと2位の中国という二大帝国のデジタル覇権競争のはざまで、「支払わねばならない代価」を大きくしないことを祈るばかりである。

バナー写真:悲願の金メダルを獲得し大喜びする「侍ジャパン」の選手たち。野球決勝の日本・アメリカ戦は、全競技トップの37.0%の視聴率を記録したが、大会全体の平均世帯視聴率は前回のリオ大会を下回った。共同

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