徹底検証「東京2020」(下):「挙国一致」を吹き飛ばしたコロナ、その先に見えたスポーツの純粋性とは
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弁当の大量廃棄に見えたもの
TBSのニュース番組「報道特集」のスクープによって、大会組織委員会による弁当廃棄の問題が表面化したのは、五輪の開幕直後だった。開会式当日、運営に携わる人たちに準備された弁当が国立競技場で大量に捨てられていたというものだ。フードロスが世界的に問題になっている。組織委は持続可能な社会への貢献を掲げていたが、その「看板」とは裏腹な食品廃棄が実際の現場で行われていた。
組織委が20会場を調査したところ、7月3日から8月3日までの1カ月間に少なくとも13万食の運営スタッフ用弁当が捨てられ、発注数に対する廃棄率は25%にも及んだという。
ずさんな運営ぶりは、パラリンピック期間中にも問題になった。新型コロナウイルス対策として、五輪期間中に競技会場の医務室に配備されていた未使用の医療用品が処分されていた。マスク3万3000枚、消毒液380本、ガウン3420枚などが捨てられ、損失額は約500万円に上ったという。組織委は保管場所がなく、捨てることになったと説明しているが、パラリンピックでも使えるものをなぜ廃棄したのか、納得いく理由は示されていない。
さらに大会終了後には、使われなかった大量のボランティア用ユニホームなどを、希望するボランティアに追加で無料配布していたこともニュースになった。活動前に配られたものは、ポロシャツやズボン、シューズ、バッグなど一式で1人当たり約3万円相当とされる。ボランティアの辞退が相次いだのは仕方がないが、未使用品は転売される可能性もある。残ったのであれば、公式グッズショップで販売もできたはずだ。
こうした事実を並べると、組織委の「公金」に対するコスト意識の低さが浮かび上がってくる。五輪、パラリンピックがともに原則無観客になったことによって、900億円を見込んでいたチケット収入の大半が失われる。にもかかわらず、経費を少しでも切り詰めるという姿勢は感じられなかった。巨額に及ぶ運営費の中で、感覚がまひしていたのではないか。
組織委に求められる公正な報告書
組織委の資金が不足した場合はまず東京都が補てんする。それでも足りない場合は政府が支払うという決まりになっている。「開催都市契約」や立候補ファイルに示されたルールだ。
9月10日、東京都の小池百合子知事は定例の記者会見で「国などとともに協議を進めていく」と、大会の財政問題に言及した。ただ、明確な方向性は決まっておらず、「大会が終わったばかりで、これからさまざまな経費の確認などが必要になってくる。次はそういう段階」と語るにとどまった。
一方、国側の丸川珠代五輪担当相は「都の財政規模を踏まえると、都が補てんできない事態はおよそ想定し難い」と発言しており、あくまで都が穴埋めをすることが原則との姿勢を見せている。
大会経費は1年延期で2940億円が追加され、総額1兆6440億円にまで膨らんでいる。その分担内訳は、組織委が7210億円、都が7020億円、国が2210億円だ。最終的な決算で収支がどうなったかを見極めることは当然だが、それ以外にもかかった経費があることを見逃してはならない。
道路整備など、直接的な大会経費から外れているものもある。こうした「大会関連経費」を含めた場合の総額は、既に会計検査院の調査からも3兆円を超すとみられている。これらの最終的な数字も国は明らかにする責任がある。
組織委は大会の報告書を作成することになっているが、表層的な事実の羅列だけで済ませることは許されないだろう。経費の問題だけではない。国立競技場の建て替えに伴うデザインの撤回・変更や大会公式エンブレムの盗作疑惑、女性蔑視発言による森喜朗組織委会長の辞任など、数々のトラブルがあった。招致段階でも、国際オリンピック委員会(IOC)委員に対する買収が行われたのではないか、との疑惑があり、招致委員会で理事長を務めた日本オリンピック委員会・竹田恒和会長(当時)がフランス司法当局の捜査対象となった。このように報道された事実を直視し、公正な記録として残すべきだ。
日本選手の強化も政治主導
日本選手団の強化も振り返る必要がある。五輪もパラリンピックも、政治主導で競技環境の拡充が進められてきた。自国開催の大会に向けて、選手強化費は右肩上がりに増額され、東京・西が丘のナショナルトレーニングセンターの施設も充実した。
五輪での日本のメダル数は、金27、銀14、銅17の計58個。金メダル数、総メダル数ともに過去最多を記録し、金メダルの順位では米国、中国に次ぐ3位に躍進した。パラリンピックは金13、銀15、銅23の計51個で、金メダル順位は11位。総メダル数では04年アテネ大会の52個に次ぐ史上2番目の獲得数を達成した。
五輪ではスケートボードやサーフィンなど新競技の活躍もあった一方で、前評判ほどの成績を残せなかった競技も少なくない。全体のメダル数だけに踊らされず、詳細な分析が欠かせない。コロナ下では世界中の競技環境にばらつきも見られ、公平性を疑問視する声もあった。日本が地元の利を生かしたという見方もある。
今後も国の強化費が維持される保証はない。むしろ、削減の方向に進むことが想定されるだけに、スポーツ界にとっては自立の道を改めて模索する必要があるだろう。国家主導で進められた強化の過程では、競技団体による補助金の不正流用などもみられた。そうした反省も踏まえたうえで、各団体が新たな強化策を打ち立てる必要がある。
コロナがすべての思惑を奪い去った
冒頭に書いたように、東京大会の招致は2005年から動き出した。日本はバブル崩壊後、2000年代に入ってもGDPが上向かず、国の勢いに陰りが見えていた時期だ。その前年にはアテネ五輪で日本選手団が1964年東京五輪並みの活躍を見せ、改めて国がスポーツの「力」に注目し始めたのだった。
2016年大会の開催はリオデジャネイロに軍配が上がったが、20年大会は東日本大震災からの「復興五輪」という東京とはかけ離れた看板を掲げ、招致に成功した。13年のIOC総会で東京開催が決まると、日本中が五輪とパラリンピックに便乗しようとした。
政治家は国威発揚や政権浮揚にスポーツを利用し、大会の成功と日本選手団のメダルラッシュが内閣支持率のアップにつながると期待した。企業も五輪の利益にあずかろうと大会協賛に名乗りを上げた。国内スポンサーは五輪とパラリンピックを合わせて68社。海外から多くの観光客が来日し、日本が世界中から注目される。「オールジャパン」や「ワンチーム」といった言葉が叫ばれ、挙国一致的なムードが盛り上がった。しかし、コロナがすべての思惑を奪い去った。
そして、無観客の競技場にアスリートだけが残った。祝祭感が排除された大会には違和感もあったが、だからこそ見えてきたものもある。「多様性と調和」という大会ビジョンを、世界から集まった選手たちが体現したからだ。
五輪では競技の場で人種差別や性差別に抵抗する行動を起こしたり、国家の圧力に立ち向かって亡命したりする選手がいた。パラリンピックでも、さまざまな境遇の中で強い意志を持ち、自立した選手の姿が見えてきた。アスリートたちが示したのは、社会のあらゆる「壁」を取り払い、ただスポーツをしたいという自由な欲求と権利の主張だったのではないか。
国家主義や商業主義という虚飾の仮面がはぎ取られた結果、図らずも純粋なスポーツの素顔が浮かび上がった。コロナとの葛藤はまだ続く。この大会で得られた価値と教訓を今後も忘れてはならない。それこそが「遺産」となるはずだ。
バナー写真:羽田空港で保護を求め、翻訳アプリを使って警察官らと話をする陸上女子ベラルーシ代表のクリスツィナ・ツィマノウスカヤ。国家の圧力に抵抗し、大会中にポーランドへ亡命した(2021年8月1日、羽田空港) ロイター=共同