徹底検証「東京2020」(上):米NBCの視聴者激減が五輪の将来に暗示するもの
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「みんなすべてを忘れる」の楽観
NBCユニバーサル(以下、NBC)の最高経営責任者(CEO)、ジェフ・シェル氏が、ある会合で東京五輪への見通しを語ったのは、6月14日のことだ。日本ではコロナ下で観客をどう制限するか、という議論が最終局面を迎えていた。
シェルCEOは日本の感染拡大や観客制限の問題など意に介さず、「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」と言い放った。米国での独占放映権を持つNBCはテレビやインターネットを通じ、過去最長の7000時間を放送する予定を立てていた。これに伴って、120社以上の広告主とのCM契約を締結。シェルCEOは「最も利益の高い五輪になる可能性がある」と自信をのぞかせた。
NBCが強気の姿勢に打って出たのは、あえてコロナ下だったからだ。多くの人々が外出を控え、ステイホームでテレビを見る。たとえ、時差のある日本での大会であっても、視聴者を引きつけられると考えたのだろう。
開会式は日本時間午後8時からだった。米国の西海岸では午前4時、東海岸は午前7時開始となる。それでもNBCは異例といえる午前中の生中継に踏み切った。当日は入場行進中も米国代表選手にリモートでインタビューし、その肉声を伝えた。
無観客開催となったため、選手の家族らが東京に行くことはかなわなかった。そこで、NBCは米国代表の家族や友人をフロリダ州オーランドにあるユニバーサル・リゾートに招待し、パブリックビューイングで応援する風景を放送するという手の込んだ演出で大会を盛り上げようとした。
ロンドン五輪から半減した視聴者
ところが、大会が中盤に差し掛かろうとする頃、気になるニュースが伝わってきた。経済情報を中心に配信するブルームバーグの記事だ。
「大会日程の折り返し地点に近い(7月)27日までで、NBCの全系列局を合わせた夜の時間帯の視聴者数は前回の 2016年リオデジャネイロ五輪と比べ42%少なかった」。記事はそうした事実を伝え、視聴者数の低迷を憂慮する広告主に対し、NBCが補償策の提案を行っていると報じた。
大会が閉幕すると、NBCのプライムタイム(夜間の高視聴率時間帯)における数字が発表された。ロイター通信によると、NBCの放送ネットワークとデジタルプラットフォームを合わせた平均視聴者数は1550万人。NBCは1988年ソウル五輪以降、夏季大会では連続して放映権を獲得しているが、その中で最低を記録した。ちなみに、12年ロンドン五輪は3110万人、16年リオデジャネイロ五輪は2670万人。わずか9年のうちに、半減したことになる。
なぜ、NBCの視聴者数は大きく落ち込んだのか。近年はスマートフォンやタブレットで動画を視聴する傾向が強まり、テレビを見る若者は減っていると言われる。しかし、NBCは今回、昨年から始めた「ピーコック」というサイトでも競技をストリーミング配信していた。その視聴者数もカウントされている。つまり、五輪を視聴するメディアの形態がテレビからインターネットに変わったから、という理由は通用しないようだ。
では何が原因なのか。日本との時差が関係しているのか、米国代表にスター選手がおらず、成績もさほど振るわなかったからか。コロナ関連のニュースが多く、五輪の注目度が落ちたからか。明確な理由は分からない。ただ、大勢の人々が一つのイベントを同時にテレビで視聴するという時代ではないことは確かだろう。若者の価値観は多様化し、関心の幅も広がっている。五輪であっても、かつてのように注目を集められるわけにはいかないのかもしれない。
IOCの収益構造が変わるかもしれない
NBCは14年ソチ冬季五輪から32年ブリスベン夏季五輪までの10大会で、総額約120億3000万ドル(約1兆3000億円)の巨額放映権契約を国際オリンピック委員会(IOC)と結んでいる。IOCの財政の柱となる収入源だ。
このため、五輪の開催時期や競技の時間は米国のテレビ事情が優先される。米国で人気のある競泳の決勝が、日本時間の午前中に実施されたのはその一例だ。同じくアジアでの開催となった2008年北京五輪でも同様のスケジュールが設定され、選手たちからは不満が出た。
今回、酷暑を避けるために、マラソンと競歩のコースがIOCの要請で東京から札幌に移された。この決定がなされた際、「なぜ五輪を暑い夏に開催しなければならないのか」「57年前の東京五輪のように秋に開催できないのか」といった声が持ち上がった。これにもNBC側の事情が絡んでいる。秋に開催すれば、シーズンの佳境を迎える米国内のプロスポーツとぶつかり、五輪の視聴者が減るという観測があるからだ。
しかし、米国で五輪の視聴者が減っているという現実が明らかになった。NBCの放映権料に依存する収益構造が崩れれば、IOCは財政的に危機的な状況を迎える。
NBCの苦戦だけでなく、マクドナルドなど最高位のスポンサーが五輪の協賛から撤退する動きも起きている。IOCはこれまでの商業主義にすがりつくのではなく、新たな時代を見据えた検討が必要だ。
IOCもその点に少しは気づき始めているのかもしれない。IOCは国際映像をつくる「五輪放送サービス(OBS)」という法人を01年に設立し、10年バンクーバー冬季五輪から単独で映像を制作し、各国に配信している。かつては地元の放送局が担っていたが、今後を考えれば、自前で五輪の映像を撮影し、権利を所有しておくべき、という意識がIOCにはあるのだろう。
自前の映像があれば、それを使ってどんなビジネスを展開するかはIOCによって決められる。今後はテレビ局だけでなく、世界的なIT企業なども対象となってくるのではないか。IOC自体がメディアとなり、オンラインで配信することも可能だ。16年からは「五輪チャンネル」というIOCのインターネット専門局も始まった。米国のテレビ事情に左右されない時代が近い将来、到来するかもしれない。
テレビ依存の時代が終わった先に
テレビへの依存が終わった時、IOCはきっと五輪の原点とは何かを考えるだろう。そのヒントは、今回のパラリンピックにあるのではないか。
「東京2020」という看板を掲げ、五輪とパラリンピックが続けて開催された。五輪開催都市でパラリンピックも行うという形式は、夏は1988年ソウル、冬は1992年アルベールビル大会以来、続いている。大会を運営する組織委員会も一つだ。だが、今回は人々の受ける印象が、五輪とパラリンピックでは異なったように思われる。
パラリンピックでは政治の思惑や企業の利益が前面に出る場面は少なく、競技そのものがクローズアップされた。懸命にスポーツに取り組むパラアスリートの魅力も伝わってきた。そこにこそ、五輪が立ち返るべき姿があるに違いない。
巨額の放映権料やスポンサーとの契約にがんじがらめとなり、身動きが取れなくなった巨大イベント。その暗部が今大会では浮かび上がった。コロナの感染が拡大する中、国民世論をよそに開催に突き進んだのは、象徴的な出来事だろう。
だが、五輪がこの縛りから解放されれば、真の「アスリート・ファースト(選手第一主義)」を見つめ直す機会になるはずだ。パラリンピックも五輪と協力し、スポーツの純粋性や多様な社会の大切さを気づかせる役目を担わなければならない。
バナー写真:東京五輪閉会式で「ARIGATO」の電光掲示とともに盛大に打ち上げられる花火。コロナ下にあっても各国選手は精一杯の熱戦を繰り広げたが、米NBCの平均視聴者数は大幅に落ち込んだ。(8月8日、東京・国立競技場) 時事