菅首相と東京オリンピック・パラリンピック:瓦解した首相再選のシナリオ

政治・外交 東京2020

コロナ下にあって、東京オリンピック・パラリンピック開催に終始強い意欲を示してきた菅義偉首相。それもこれも自身の首相再選をにらんだシナリオがあったからだ。しかし、そのシナリオはパラリンピック閉幕を待たずにあっけなく崩れた。菅氏にとって何が誤算となったのか――。

五輪を政治利用しようとしたツケ

「こんなはずではなかった」……。

菅首相は今、繰り返し、そうした痛恨の思いにかられているはずだ。

菅氏は、東京オリンピック・パラリンピック(以下、オリ・パラ)の開催が「自らの政権浮揚につながる」と期待してきたのは周知の通りだ。にもかかわらず、浮揚どころか、皮肉にもパラリンピックの閉幕前々日の2021年9月3日になって自民党総裁選への不出馬、つまり首相退陣を表明する事態に追い込まれるとは――。菅氏は夢にも思っていなかったに違いない。

なぜ、こんな状況に陥ったのか。

新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収まらず、政府の対応が依然として後手後手に回っていることをはじめ、さまざまな要因はあるだろう。

だが、これは首相が露骨に五輪を政治利用しようとしてきたツケが回ってきたと言うべきではないだろうか。私にはそう思えてならない。

そもそもコロナ禍の中で開く異例のオリ・パラだった。開催することが是か非か。国民の世論も大きく分かれてきた。ただし、そうであっても、菅氏がここまで自らの政治的野心を五輪に絡めなければ、国民はもっと素直に今回の大会を受け入れることができたのではないかとも考えるのである。

一体、菅氏は五輪をどう考えてきたのか。 

昨秋の政権発足以来、菅氏は一貫して五輪とコロナ・ワクチン頼みの政治戦略を描いてきた。こんなシナリオだった。

① 東京五輪とパラリンピックが開催されさえすれば、大会は日本選手のメダルラッシュで盛り上がり、新型コロナで不満や不信が鬱積(うっせき)している世間の空気はがらりと変わる。
② しかも、9月になれば、ワクチンも一定程度、国民に行き渡り、効果も表れているに違いない。
③その余勢を駆って、閉幕後、間髪入れずに衆院を解散し、衆院選に突入する。
④衆院選で自民党が一定程度の議席を確保すれば、自民党総裁選での再選も確実になる――。

シナリオ通りに進めば、9月初旬に臨時国会が召集され、首相は解散に踏み切っていただろう。ところが、そうは問屋が卸さなかった。

下がり続けた菅内閣の支持率

五輪閉幕直後に報道各社が実施した世論調査では、「五輪を開催してよかった」と答えた人は70%前後に上ったものの、菅内閣の支持率は下がり続け、政権発足以来、最低となっている。パラリンピックについても、おそらく世論の傾向は同じだろう。

オリ・パラが政権浮揚につながらなかったのは、この数字を見ても明らかだ。「金メダルで内閣支持率はアップする」と国民を軽視してきたツケでもある。

そして、この菅首相の不人気ぶりが、自民党内で若手議員を中心に「菅首相の下では近づく衆院選は戦えない」という不安が渦巻く危機を招いたのである。

八方塞(ふさ)がりとなった菅氏は、9月に入って一時は当初の筋書きに立ち戻り、パラリンピック閉幕直後に電撃的に衆院を解散して強行突破を図ろうとした。しかし、安倍晋三前首相らにも即座に解散を反対されて、一か八かの大ばくちは一夜にして断念に追い込まれた。

政権発足の立役者だった二階俊博・自民党幹事長を交代させて人事を刷新する案も示したが、もはや、それも効果は薄いとあきらめ、万策尽きて退陣表明に至った――。 

これが今回の迷走劇の実相だ。

改めて思い出す。新型コロナの感染拡大が深刻になった2020年3月。東京五輪の1年延期は、当時の安倍首相と、大会組織委員会の会長だった森喜朗元首相との二人だけの会談で決まった。

後に森氏が語ったところによれば、会談で森氏は「2年延ばす方法もある」と進言したそうだ。だが安倍氏は「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫です」と1年延期にこだわったという。

観光業振興をリードしてきた自負

安倍氏の自民党総裁としての任期は2021年、つまり今年の9月まで。以前、当サイトに寄稿したコラム(「政治的な、あまりにも政治的な東京五輪組織委員会会長交代劇」)でも触れたように、安倍氏が「1年」に固執したのは、現職首相として五輪に臨みたかったからにほかならない。

結局、安倍氏は体調不良を理由に昨秋退陣し、個人的な願望はかなわなかった。「国産ワクチンができる」という根拠乏しき希望的予想も全く外れたのは言うまでもない。

後を継いだ菅首相はどうだったか。コロナの感染拡大への不安に対しては「安心安全な大会を」と繰り返すのみで、立ち止まることもなく強引に突き進んだ。

何のためのオリ・パラなのか。東京大会開催の意義についても、政権側の説明は次々と変わった。

当初、安倍氏がアピールしていた東日本大震災から復興した姿を世界に示す「復興五輪」のキャッチフレーズは、いつの間にか消えて、新型コロナの感染が世界中で深刻になると、安倍氏は一転して「コロナに打ち勝った証として開催する」と言い出した。

菅氏もそれを引き継いだ。ただし、菅氏にとって五輪は「自分のレガシーを残したい」というだけでなく、別のこだわりもあったことを指摘しておくべきだろう。

菅氏は首相就任前から、日本への入国ビザ発給条件の緩和をはじめ、「観光振興をリードしてきたのは私だ」という強い自負があった。「観光を日本の主要産業にしたい」と考えているようでもあった。

だから、海外から観客を迎えるオリ・パラは「観光立国」に向けた、さらなる起爆剤になると菅氏はもくろんでいたのである。

コロナ下で観光業界を支援する「GoToトラベル」は菅氏肝入りの事業だったことを思い起こそう。「コロナの感染拡大につながる」と批判を受けても、なかなか見直そうとしなかったのは記憶に新しい。

後手に回った末の大混乱

そんな菅内閣の下、東京五輪について海外からの観客受け入れを正式に断念したのは21年3月20日だった。そして、大半の会場で無観客にすると決めたのは、五輪開幕まであと15日に迫った7月8日だった。

「国内外からの観客」にこだわった一人が菅首相だった。ここでも後手に回った末の、急な方針変更によって事務局が大混乱したことも忘れてはならないだろう。

オリ・パラの開催がコロナの感染拡大にどれだけ影響したのかについては、今後、検証が必要だ。ただし、政府・コロナ対策分科会の尾身茂会長が6月2日、国会で「今のパンデミック(世界的大流行)の状況で(五輪を)やるのは普通はない」と語って、規模の縮小を求めたように、専門家の間では開催を疑問視する声が強かったのは確かだ。

それでも菅氏は「安心安全な大会にする」と語り続けるのみだった。それが逆に国民の不安を募らせたと言っていい。

さらに開会式の演出担当者が、お笑い芸人だった時代に、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を笑いのネタにしていたことが開会式直前に発覚し、大会組織委員会が解任するなど、信じられない不祥事が相次いだ。

「商業五輪」と言われ、とかく広告代理店任せで、話題性や面白さばかりが優先されてきた大会運営のあり方も厳しく問われた一幕だったと思う。

時代錯誤の成功体験

五輪開幕後、菅氏は金メダルを獲得した日本選手に電話して祝福するパフォーマンスを続けてみたものの、もはや多くの人たちも「自分の人気取りに過ぎない」と見透かしていたのではなかったろうか。

もう一つ、私には忘れられない場面がある。6月9日、国会で開かれた党首討論で、菅氏は質問されてもいないのに、前回1964年の東京五輪の思い出話を長々と語り始めた時のことだ。

「例えば東洋の魔女と言われた(日本女子)バレーの選手。回転レシーブちゅうのがありました。底知れない人間の能力というものを感じました」

菅氏はそう言った。

その記憶と思い出は私も共有する。だが、要するに菅氏は、かつての日本の成功体験が忘れられず、「高度経済成長時代の夢よもう一度」から逃れられないのだと感じたものだ。

加えて「根性を出せば力が出る」という言葉自体が、菅流「自助優先」政治の本質なのだろうとも思った。

こうした考え方が、今の時代に即していると私は思わない。

東京五輪の総括と検証を

夢よもう一度か。五輪を日本と世界が新しい時代を切り開く契機とするのか。今回、東京で再び開く意義を考えるうえで、それこそ、もっと早くから政治が議論しておくべきではなかったろうか。

残念ながら、そうした議論も政界にはほとんどなかった。東京五輪開催を主導してきた安倍氏に至っては、月刊誌「Hanada」で、「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが開催に強く反対している」と政治性、党派性を持ち出して、むしろ分断をあおった。これもまた五輪の政治利用と言うほかない。

東京オリ・パラが終わり、政界の関心は当然のように「では、菅氏の次の首相は誰か」に関心が集中している。しかし、東京五輪とは何だったのか、早急に総括する必要がある。無論、それは私たち新聞やテレビも同様だ。

2度目の東京五輪は「菅退陣」を残した――だけでは悲し過ぎる。自民党総裁選の候補者には、直ちに五輪を検証するとともに、コロナ対策を立て直すよう願ってやまない。

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