
国安法施行から1年、香港の変貌: 民主派、『リンゴ日報』への攻撃から市民社会の制圧へ
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2020年6月30日、「香港国家安全維持法(国安法)」が施行された。従来の香港法とは全く異なる論理で書かれた同法の導入は、香港を未知の領域に突入させたと言っても過言ではない。それから一年余りの間、香港では衝撃的な事態が続いた。デモや集会が消え、表面上静かになった香港で、目下社会を根本的に作り替えるような、巨大な変化が進行している。
民主派の壊滅を図る
「国安法」に関連した事件の中でも香港社会に特に大きな衝撃を与えたのは、1月6日の民主派予備選挙関係者の一斉逮捕と、6月17日の民主派寄りの新聞『リンゴ日報』編集幹部らの逮捕であろう。前者は、民主派が予備選挙で候補者を絞り込む行為の結果、立法会で過半数を獲得し、政府の予算案を否決して政府をまひさせることが企図されたとして「政権転覆罪」に問われた。後者については、警察は『リンゴ日報』が2019年以降の数十篇の記事で外国の制裁を求めたことを「外国との結託罪」とし、法人としての『リンゴ日報』の資産も凍結して経営不能とさせ、6月24日に廃刊に追い込んだ。
警察が逮捕に踏み切った背景には、政権側の強い政治的意志が存在している。北京の香港マカオ弁公室の夏宝龍主任は2月22日、『リンゴ日報』創刊者の黎智英、道路占拠による民主化要求を提唱した法学者の戴耀廷、「雨傘運動」の若き指導者だった黄之鋒の三人を、特に悪質な反中分子で、懲罰が必要な者と名指ししていたのである。今や三人はいずれも「国安法」で起訴され、裁判を待つ身である。
強引にも見える容疑で、しゃにむに民主派の核心に打撃を与えたこの二つの事件が示しているのは、現在政権が民主派の殲滅(せんめつ)を図っているという事実であろう。民主派や『リンゴ日報』は、1989年の天安門事件が契機となって出現した、30年近くの歴史を持つ古株である。少なくとも返還後20年以上、その存在は認められてきた。一方、「国安法」の制定のきっかけとなったのは、言うまでもなく2019年の巨大な抗議活動であった。
この抗議活動は無名の若者・市民が主力の「リーダーのいないデモ」であった。若者は新聞よりもネット情報を頼りにしていたし、民主派の中でも主要政党はむしろ若者から嫌われていた。民主派の主力や『リンゴ日報』は今回の抗議活動の主役とは言いがたい。また、中央政府が最大のタブーとする香港独立の主張には、穏健民主派はむしろ批判的であった。それでも政権は、民主派と『リンゴ日報』に壊滅的打撃を与えることを選択した。現在、政権側の行動から、穏健派と強硬派を区別する意識は見てとれない。
民主派殲滅の意志は、今年断行された選挙制度の変更にも表れている。今年3月、北京は香港の議会である立法会と、政府の長である行政長官の選挙について、普通選挙を大幅に減らすなどして民主派が勝てない選挙方法にすると同時に、政府による国家安全情報に基づく候補者の資格審査や、親中派選挙委員からの推薦なども立候補の要件と定め、民主派の政界進出に二重三重のハードルを設けた。
事実上、北京のお墨付きのない者は、香港の全ての主要な選挙への出馬を許されなくなった。北京が今後、過去に民主派を離脱した傍流の人物や政治団体の出馬を許し、「新民主派」として迎える可能性はあるが、天安門事件以来市民の多数派が支持してきた従来の民主派はほぼ一掃されるであろう。
市民社会全体の制圧も
政府は従来、「国安法」は「ごく一部の者」にしか関係ないものと説明していた。今年6月30日までの一年で、「国安法」違反での逮捕者は117人に上ったというが、抗議活動の逮捕者が一万人を超えていることに鑑みれば、確かに数の面では限られている。
しかし、立法会議員選挙への出馬を目指していた民主派の全候補者の逮捕と、香港で発行部数最多を争う主要紙の廃刊は、決して「ごく一部の者」だけの問題ではない。予備選挙では61万人が投票したし、最後の『リンゴ日報』朝刊は100万部を完売した。民主派の支持者は香港では常に多数派であった。この弾圧は事実上、北京が香港市民の多数派との対決を覚悟したことを示す。
もともと香港において、北京は返還前から一貫して民主派の一部を取り込むことを意図した政策をとってきた。それは、香港の民意に配慮し、政治の安定を企図すると同時に、「一国二制度」の寛容性を世界や台湾に示す上でも有効であったと言える。しかし、2019年の抗議活動で、全市民規模の激しい反政府感情に直面し、民主派の分断や穏健派の取り込みに失敗した北京は、取り込み策の放棄を強いられたのである。
こうなると、弾圧がここまでに留まるとは考えがたく、残存する全ての民主派団体に脅威は及ぶ。すでに毎年「天安門事件追悼集会」を行ってきた香港市民支援愛国民主運動連合会や、「7月1日デモ」の主催団体の民間人権陣線は取り締まられるであろうと報じられている。いずれも「香港名物」であった、数万人・数十万人規模の平和な集会やデモ行進は、もう見られないかもしれない。
そうした政治団体だけでなく、7月末には会員9万人以上を抱える香港最大の教育者労組である教協が『人民日報』で非難され、香港政府が急ぎ教協との関係を断つ事態となった。弾圧を恐れた教協は8月10日解散を発表し、48年の歴史に幕を下ろすこととなった。
『人民日報』は、民主派寄りの政治活動を行ってきた教協は本質的に政治団体であると断定している。昨年のある会議で、中央政府関係者は香港の司法・教育・社会福祉の3業界を「三つの大山(処理すべき障害)」と称したとも報じられている。近年の中国大陸における共産党政権の市民社会に対する敵対的な態度を見れば、香港でも民間の様々な団体が今後攻撃される事態となっても不思議はない。
問題は、国家が社会を全面的に管理する社会主義の中国大陸と異なり、香港では歴史的にこうした市民社会の中間団体が、市民が必要とするサービスを提供してきたという点である。かつてのイギリス香港政庁は、低税率で、内外に開かれた自由な経済の「小さな政府」を志向し、教育や福祉などを民間団体に任せてきた。
こうした香港の民間に根を持つ社会団体は確かに価値観の面で多くが民主派寄りであるが、政府に代わって社会のニーズに応えてきたし、政府と市民の橋渡し役も務めてきた。民主化が実現していない香港では、こうした中間団体が果たしてきた民意のパイプとしての役割は非常に重要であった。
教協の取り締まりのようなことを続けるとなれば、香港社会の各界に政治介入して政府の統制の下に置くという、市民社会全体の制圧を行うことにならざるを得ない。植民地期から一貫して強力な存在であった自律的な市民社会を、中国大陸のように統制の下に置こうとするならば、それは決してごく少数の活動家だけの問題ではなく、香港に暮らす全ての人々の生活に影響や変化を強いることになるであろう。
ブレーキはあるか
このように、「国安法」導入からの一年間、香港の政治・社会の変化はあまりにも大きく、筆者にとっても未知の領域に入ったと言わざるを得ない。しかし、政権から見れば、「国安法」で議会内の反対派と、ほぼ唯一の反体制派新聞をともに葬り去ったのであるから、すでに大きな政治的メリットを手にしたことになる。
米国の制裁の影響も現状では劇的なものではない。政権は安定の回復を実現したと誇る一方、国家の安全の脅威の除去は未完であると事あるごとに主張している。現在の政策へのブレーキはなく、近いうちに政権が現在の方針を転換することは想像しがたい。
しかし、このままこの政策を続けられるのか。長い目で見れば政権も多くのリスクを負っていると筆者は感じる。この方向性を続ける限り、香港は米中関係の火種になり続ける。国際関係の悪化と、社会への政治の介入の増加は、特に外資にとって明らかにビジネスリスクである。また、移民の流出数の正確な統計はないが、さまざまな情報から過去1年で10万人規模の流出はすでに起きていると推測される。資金や人材の枯渇はすぐに起きなくとも、長期的な香港の競争力にとってこの状況は明らかにマイナスである。
そして、高い専門性を持つ民間団体をパージした後、政府は質の高い行政を維持できるのか。民間の活力が失われれば行政効率が下がり、コストは上昇するであろうし、人々が沈黙して民意が見えなくなったことも統治のリスクとなる。中国式の管理社会を導入することが最終的な解なのかもしれないが、革命や社会主義体制によって社会を制圧した中国大陸でできたことが、全く異なる歴史をたどってきた香港で容易に実現できるとは思えない。
中国は影響力を拡大しているものの、民主主義国を権威主義化させることまでは企図してはいないともしばしば論じられる。しかし、香港で「国家の安全」を最前面に押し出すことは、権威主義化をゴールとする社会の改造を必然的に伴う。それが香港のみならず、中国にとって受忍できないリスクを招くか否かが、政策の今後の動向を決めるであろう。
バナー写真:香港紙・リンゴ日報の最後の朝刊を支持者の前で掲げる同紙のジャーナリスト=2021年6月24日、中国・香港(AFP=時事)