
「不平等条約」があぶり出したIOCの権力と将来の危機:東京五輪の課題(11)
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「ヒア・ウィ・ゴーだ」と豪語するバッハ会長
観客上限を決める「5者協議」が行われたのは6月21日のことだ。IOCのトーマス・バッハ会長、国際パラリンピック委員会のアンドルー・パーソンズ会長、組織委の橋本聖子会長、東京都の小池百合子知事、政府の丸川珠代五輪担当相の5人がリモート参加を交えて顔を合わせた。
会議冒頭のあいさつで、バッハ会長は言った。「本日、みなさん方の観客上限に関する決定を聞くのを楽しみにしている」。自らが主体的にこの問題に対処するというのではなく、まるで傍観者のようなコメントだ。さらに開幕に向けてこう続けた。「ヒア・ウィ・ゴー(さあ始めるぞ)と言いたい。我々はもう準備が整っている」——。
チケットの収入は、すべて組織委に入ることになっている。一方のIOCはテレビ放映権料が主たる収入源。IOCにとって重要なのは観客の有無ではなく、大会を開催し、それが全世界に放送されることなのだ。
IOCの総収入のうち、放映権料からの収入は約7割を占める。中でも米放送大手NBCユニバーサルは、2014年ソチ冬季五輪から32年夏季五輪まで総額約120億3000万ドル(約1兆3000億円)を支払っている。
東京五輪で過去最大規模の7000時間を放送するNBCユニバーサルのジェフ・シェル最高経営責任者(CEO)は「最も利益の高い五輪になる可能性がある」と述べ、「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」と自信を見せている。コロナ下で、人々は家にいることが多いのだから、テレビの視聴率は上がるという楽観的な観測だろう。
今夏は全世界で約40億人が観戦するとみられるという。これだけの影響力をバックに、IOCはテレビだけでなく、世界規模のスポンサーの権利も握っている。すべてに巨額の契約が結ばれている以上、大会が中止や延期になれば、損害賠償が生じる可能性がある。
だからこそ、何が何でも五輪を開催しなければならない。緊急事態宣言下でも開催するのかと問われたIOCのジョン・コーツ副会長が「答えは絶対的にイエスだ」と答え、顰蹙(ひんしゅく)を買ったのには、そういう背景もある。
IOCの権力を示す「開催都市契約」
中でも、IOCの古参委員として知られるディック・パウンド氏が「仮に菅(義偉)首相が『中止』を求めたとしても、それはあくまで個人的な意見に過ぎない。大会は開催される」と週刊文春のインタビューでコメントしたのは驚きだった。
政治とスポーツは別というレベルの話ではない。世界的に感染が広がるパンデミック下であっても、開催するかどうかの決定権はIOCにあり、開催国のトップの判断には左右されないという強引な発言だった。
IOCが、東京都、日本オリンピック委員会(JOC)と結んだ「開催都市契約」がクローズアップされたのは、昨年の延期決定時だ。中止の可能性が取り沙汰される中、安倍晋三首相(当時)が契約にはない「延期」を持ちかけ、IOCを納得させた。今年も中止となった場合の賠償をめぐり、この契約が注目されることになった。
第66条「契約の解除」には、中止を決定できる権限はIOCにあるという文言があり、次のように記されている。
「理由の如何を問わず、IOC による 本大会 の中止または IOC による本契約の解除が生じた場合、開催都市、NOC(国内オリンピック委員会) および OCOG(組織委員会) は、ここにいかなる形態の補償、損害賠償またはその他の賠償またはいかなる種類の救済に対する請求および権利を放棄し、また、ここに、当該中止または解除に関するいかなる第三者からの請求、訴訟、または判断から IOC 被賠償者を補償し、無害に保つものとする。 OCOGが契約を締結している全ての相手方に本条の内容を通知するのは OCOG の責任である」
言ってみれば、東京はIOCが行うイベントのために施設や道路を整備し、場所を提供するようなものだ。立候補して五輪を開催するのだから、もし日本側から大会返上を申し出れば、IOCから巨額の賠償を求められる可能性は高い。逆にIOCは何の賠償責任も負わない。そうした関係が示された開催都市契約は、「不平等条約」とも呼ばれる。
商業主義路線で大会が肥大化
IOCが権力を拡大したのは、バッハ会長の2代前に当たるフアン・アントニオ・サマランチ会長の時代だろう。第7代会長として1980年から2001年までIOCを率いたサマランチ氏は、商業主義路線をひた走り、五輪のビジネス化を徹底して推し進めた。
84年ロサンゼルス五輪で「1業種1社」というスポンサー制度を組織委員会が導入し、税金に頼らない「民間五輪」を実施したのがきっかけだ。この大会の成功をみたサマランチ会長は、続く88年冬のカルガリー、同年夏のソウル五輪から「TOP(The Olympic Partner)」という世界規模のスポンサー制度を始めた。
IOC本部のあるスイス・ローザンヌでは、五輪のスポンサーにしてほしいという大企業の「サマランチ詣で」が続いたといわれる。多くの日本企業もその列に並んだ。93年にローザンヌに建設されたオリンピック・ミュージアムに行けば、そこには建設のために寄付をした企業名が書かれた石のブロックが積み上げられている。ブロック1個は100万ドル(約1億1000万円)とされる。
数多くの企業の支援を得て、IOCは「もうかる五輪」を肥大化させた。各国の政府や大都市も、その影響力と国威発揚に期待して次々と招致に名乗りを上げた。
IOCはもともと、創設者のピエール・ド・クーベルタン男爵をはじめ貴族階級を中心に発展してきたが、サマランチ時代からは「商売人」の要素を強めていったといえる。米紙ワシントンポストがバッハ会長を「ぼったくり男爵」とコラムで評したが、バッハ氏は貴族ではなく、ドイツの弁護士だ。
懸念される五輪運動への長期的被害
IOCと都市との関係でいえば、22年冬季五輪の招致から撤退したノルウェーの首都オスロの例が思い出される。オスロが撤退を表明したのは14年のことだが、その直後、欧米のメディアが報じたのは、IOCが要求した接待の内容だった。
米誌ニューズウィークなどが報じたところによると、オスロ側には、こんな項目の要求があったとされる。▽開会式前に国王とIOC委員が面会し、式後には王室か組織委の負担でパーティーを開く▽公道に委員専用の車線を設ける▽空港でIOC会長の歓迎レセプションを行う▽開閉会式には各種アルコールを準備し、競技期間中は会場のラウンジにワインとビールを準備する——などだ。こうしたIOCの要求にオスロは疑問を呈し、巨額負担を強いられる招致活動から撤退した。東京五輪の接待内容は明らかではないが、IOC委員は赤坂や六本木付近の五つ星ホテルに宿泊することが決まっている。このような庶民感覚から外れた待遇を受けるIOCは、将来も五輪が安泰だと考えているのだろうか。
カナダの公共放送CBCは、東京五輪1カ月前となった6月23日に「準備できたのか、できていないのか」と開催を不安視する記事をウェブサイトに載せた。その記事の中で、日本在住ジャーナリストで翻訳家のマイケル・プラストウ氏は、五輪精神を広めるオリンピック・ムーブメント(五輪運動)に長期的な被害が及ぶと指摘し、こう述べている。
「祝祭感のないパーティーになるだろう。全体における財政と宣伝の大失敗が、既に落ち込みつつある五輪招致への世界中の国々の動機を、さらに減少させることは確実だ」
橋本会長も記者会見で「祝祭感をできるだけ抑えることが課題。祝祭あふれる会場にはならないと思います」と語った。感染リスクを減らすためには、人の流れを抑制することが求められる。五輪開催を祝い、大会を盛り上げる雰囲気にはとてもなりそうにない。
東京都に発令されているまん延防止等重点措置の期限は7月11日。その翌日以降、重点措置が継続されるか、緊急事態宣言が再発令される場合、組織委は無観客開催の検討に入る。
祝祭ムードを打ち消し、人々と距離を置いた大会が、どんな価値を世界に発信できるのか。コロナ禍の暗雲の中、五輪は目的と本質を見失い、かつてない危機に直面している。
バナー写真:6月23日、組織委の橋本聖子会長と共に東京・有明体操競技場を視察するIOCのジョン・コーツ副会長 時事