香害:甘い香りが引き起こす新たな空気公害

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人工的な香りを加えた化粧品や柔軟剤が人気を集めるにつれて、香りつき製品に含まれる化学物質によって頭痛や吐き気を訴える人が増えている。香りブームの裏でひそかに進行する空気公害に潜むリスクを探る。

この10年ほど、マンションなどで隣の家の洗濯物から流れてくるニオイで体調不良になったという声を多く聞くようになった。それ以外にも、満員電車の中に充満するニオイや職場の同僚のニオイに苦しんでいるといった声もある。それらの多くは、洗濯後に衣類に付着した柔軟剤のニオイが主な原因と推定される(本稿では、人体に悪影響を及ぼしうる香りを片仮名で “ニオイ” と表記する)。

柔軟剤だけでなく、香り付き合成洗剤、消臭・除菌スプレー、制汗剤、芳香剤など、主に香りつき製品のニオイによってもたらされる健康被害や不快感は目下、「香害」と呼ばれている。

2000年代に入って、化学物質過敏症、慢性疲労症候群、自己免疫疾患など、半世紀前にはあまり見かけなかった疾患で苦しむ人が増えている。それらの中には化学物質との関連を疑われている疾患もあるが、人工的に生成された化合物があまりにも多いので原因物質の特定も因果関係の証明も難しい。そのため、健康被害ばかりか、「神経質すぎる」「なまけ物」など、いわれのない中傷に苦しめられている人もいるという。「香害」も同じように、家庭用品から揮発した化学物質が空気を汚染し、それを吸い込んで起こる健康被害であると考えられるが、香りと健康被害の因果関係や発症のメカニズムを科学的に証明することは現時点では難しく、社会的な認知は十分に得られていないのが現状だ。

国民生活センターにも被害を訴える相談が

香害の被害者数はまだ定かではない。2020年、国民生活センターは、柔軟剤のニオイによって健康被害を訴える相談が2014年以降928件(78%が30~60歳女性)寄せられたと報告している。公的な機関に製品の事故事例として被害を訴える人は、実際の被害者のごく一部である。

日本消費者連盟など7団体でつくる「香害をなくす連絡会」は、2019年12月~20年3月に香り付き製品の被害についてインターネットで公開アンケートを実施し、9332人から回答を得た。連絡会メンバーからのアナウンスを通じて、香害問題への関心が高い人や実際に健康被害を受けている人が答えているという点で、一定のバイアスがかかった調査ではあるが、7000人もの人がニオイが原因で「具合が悪くなった」と答えたのは注目に値する。

被害があると答えたのは女性の85%、男性の56%で、年代順に見ると30代が87%、40代が83%、50代が78%、60代以上が66%だった。被害があると答えた人の20%が、その苦しみが原因で離職・不登校に追い込まれたという。女性の被害の割合が高いのは、性的役割分担によって炊事・洗濯などの家事労働を女性が担っているケースが多いことと関係している可能性もある。

香害で問題となるのは、特定の製品のニオイで体調不良を起こしたと訴えても、香りは「好みの問題」「遺伝子の問題」などの理由で相手にされないケースが多いことだ。2020年、朝日新聞はニオイに対する健康被害について、香害は深刻だとする医師の声を紹介する一方で、「柔軟剤を嫌だと思うのは遺伝子が決める体質による」という専門家のコメントを掲載した。このような見解が一人歩きすることを筆者は危惧する。

単なる不快感ではなく、多くの人が健康被害を訴える現状を鑑みれば、もはや個々人の感性や遺伝子の問題と片付けることはできないのではないか。化学物質過敏症(CS)研究の第一人者である東海大学医学部の坂部貢教授は、香害被害の特徴的所見は化学物質による嗅覚過敏症状であるとしている。香害被害者の多くがCSを発症している可能性が高い。

マイクロカプセルがもたらす環境汚染

2000年前後から日本では、メーカーが競って身近な生活用品に人工的な香りを添加した製品を販売するようになった。それ以前にも香り付きの商品はあったが、米国から輸入された柔軟剤「ダウニー」がブームになったことが引き金となり、国内メーカーも「より華やか」で「濃厚な甘い」香りの商品開発に熱を入れるようになったのだ。テレビCMで連日のように香りつき製品の宣伝合戦が繰り広げられ、こうした商品の販売量が10年前の1.5倍までになった。そもそも清潔志向が強い日本人は、体臭や不快なニオイを撃退するためとなれば、多少高くても新しい香りつき商品を購入する。こうしてブームは一段と熱を帯びていった。

その結果、数々の有害物質の混ざったニオイで香害が発生した。さらに被害を深刻化させたのが、柔軟剤などに含まれるマイクロカプセルだ。メーカーが、「はじける香り」「香りが長持ち」「ナノ消臭成分」などとうたう機能は、ウレタン樹脂やメラミン樹脂でできた微小カプセルに香りや消臭成分を閉じ込める技術開発によって初めて可能となった。

「香りが長持ち」するのは、衣類に付着した無数の微小カプセルが、摩擦などのたびに時間をずらして壊れるためだ。環境中で破壊された微小プラスチック片、マイクロカプセル素材の合成樹脂モノマー(単分子)、消臭成分や香料などが拡散され、人々が知らず知らずに人工化学物質を吸入し、香害が引き起こされている可能性がある。こうした実態を踏まえ、一部のメーカーがマイクロカプセルを安全な素材に変更し始めるなどの動きもあるが、「より多くのカプセルを衣類に付着させ」「より長く香りを維持する」ための技術開発は今も続いている。また消費者の多くは、製品に添加されたバラやラベンダーの甘い香りが、複数の化学物質から合成された人工的なニオイであるのも知らない。

目下、市民団体が行政に要求しているのは、柔軟剤やルームフレグランスなどから出る揮発性有機化合物(VOC)を測定し、吸入毒性試験を行うことだ。さらに柔軟剤などへのマイクロカプセル類の使用禁止、学校や公共機関などにおける香料自粛などである。一部の地方自治体が「香りのエチケット」を呼びかけるポスターを作成し始めたが、市民に周囲への配慮を求めるものであり、メーカーに対す注意喚起や、ましてや規制に踏み込む内容とは程遠い。

「香りのエチケット」を呼びかける札幌市(左)と埼玉県のポスター。2020年6月時点でこうしたポスターなどを作成した自治体は51あり、その数は増えている。
「香りのエチケット」を呼びかける札幌市(左)と埼玉県のポスター。2020年6月時点でこうしたポスターなどを作成した自治体は51あり、その数は増えている。

21世紀の空気公害に早急な対策を

香害の原因製品にはさまざまな種類があるが、最も大きな被害をもたらすのは柔軟剤だろう。マイクロカプセルに閉じ込められた香り成分、消臭成分に加えて、洗濯物をふんわり仕上げる界面活性剤などさまざまな人工化学物質が含まれているからだ。

最近では指で触れるとカプセルがはじけて香りが飛びだす絵本まで販売されている。鼻から吸い込んだマイクロサイズやナノサイズのカプセルが肺まで到達し、人の細胞の隙間をすり抜け、血流に乗り人体を汚染する可能性もあり、医学的調査・研究が行われるべきだ。

第2次世界大戦後、日本がめざましい経済発展を遂げる過程で、有機水銀汚染による水俣病や、ポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシンによる食品公害であるカネミ油症など悲惨な公害を経験してきた。そうした過去の公害は、健康被害が出始めてから、公害として認定されるまでに長い時間を要し、公害と認定された後も、納得のいく被害者救済には至らないケースも少なからずあった。

「因果関係が証明されていないから香害は存在しない」として、20世紀の公害と同じ過ちを繰り返してはならない。被害が広がる前に早急に手を打つべきだ。嗅覚は生き物にとって危険を察知する重要な感覚である。全体からみればまだ少数かもしれないが、ニオイによる健康被害を訴える人は、私たちの生存を脅かす新たな外敵の襲来に警鐘を鳴らしてくれていると言っても過言ではない。

バナー画像=人工的な香りを添加した柔軟剤を洗濯で使うと、目に見えない有害物質が空中にたくさん浮遊するイメージ・イラスト(作成:安富沙織)

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