政治的な、あまりにも政治的な東京五輪組織委員会会長交代劇

政治・外交

五輪公式エンブレムの盗作疑惑をはじめ、何かとトラブル続きの2020東京五輪・パラリンピック。新型コロナ禍で2021年も開催が危ぶまれる中、降って湧いたのが同大会組織委員会森喜朗会長の女性蔑視発言問題。当初はIOC(国際オリンピック委員会)も日本政府も会長続投で乗り切ろうとしたが、国内外の批判の高まりなどに抗しきれず、橋本聖子新会長への交代となった。二転、三転した新会長選出までに何があったのか、その深層を探る。

五輪の開催は政治そのもの

やはり五輪の開催は、政治を抜きには語れない。いや、政治そのものだと言うべきかもしれない。改めてそれを思い知らされた2週間余の混乱劇だった。

東京五輪・パラリンピック(以下、東京五輪)組織委員会の会長だった森喜朗元首相の女性蔑視発言に端を発した会長交代騒動は、橋本聖子参院議員が五輪担当相を辞任し、自民党を離党したうえで後任に収まることで決着した。

だが、そもそもこのコロナ禍で東京五輪は本当に予定通り、2021年7月に開催できるのだろうか。数々の課題は残されたままだ。そうした今後を考えていくうえでも、菅義偉首相ら政府側や小池百合子東京都知事らが、今回、どう動いたのかを検証する必要がある。

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」

21年2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の評議会で飛び出した森氏の発言が、いかに時代錯誤で、あらゆる差別を認めていない五輪憲章の根本原則にも反していることは、もはや説明するまでもないだろう。

森発言直後の2月8日の衆院予算委員会では、菅氏も「国益にとって芳しいものではない」と語っていた。ところが森氏が辞めるべきかどうか、進退や後継人事に関して質問されると、途端に口が重くなり、「組織委という独立した法人としての判断を尊重する立場だ」と静観する姿勢を続けていた。

「加藤の乱」に端を発した根深い因縁

なぜか。五輪憲章が政治的な中立性を求めていることを意識したのは確かだ。ただし、慎重な発言の裏には、菅氏と森氏とは元々、微妙な関係にあることを押さえておくべきだろう。

森氏が首相だった2000年11月。自民党の加藤紘一元幹事長らが、野党が提出する内閣不信任決議案に同調して森内閣を倒そうと謀った「加藤の乱」をご記憶だろうか。

倒閣運動に加わった1人が、この頃、加藤派に属していた菅氏だった。乱は党執行部によって制圧され、その後、菅氏は加藤派を離れた。しかし森氏は、菅氏ら同調した議員への恨みをずっと口にしていたものだ。

それは菅氏も承知だ。ならば逆に、森氏にそれほど遠慮しなくてもいいはずだ。ところが森氏は衆院議員を引退した後も、今の自民党の最大派閥である細田派に大きな発言力を持っている。これに対して、いくつもの派閥を渡り歩いた末、現在、無派閥の菅氏には、自民党内に固い基盤がない。

新型コロナウイルス対応が後手に回り、ただでさえ内閣支持率が低迷している菅氏だ。21年9月には自民党総裁選を控える。森氏を敵に回したくないと考えたはずだ。

そんな政局事情をよそに、森氏の会長辞任を求める声は内外に強まっていった。そして森氏は辞意を固め、後任に元日本サッカー協会会長で、早稲田大学の先輩でもある川淵三郎氏の後継指名に動き出す。

菅氏が慌て始めたのは2月11日。森氏が川淵氏に就任を要請したとのニュースが瞬く間に広がった直後からだった。

川淵氏によれば、森氏から後任要請を受けて自宅に戻った後、何度も電話があったという。電話の主は組織委員会の武藤敏郎事務総長だった。川淵氏は「『辞めてくれ』とは言いにくそうだったが、暗にそういう(辞退を求める)感じだった」と証言している。菅氏の意向を武藤氏に伝えたのは加藤勝信官房長官だったという。

一方、川淵氏は、森氏に後任を要請された際、「菅首相の承諾も得たと森さんから説明された」と言う。森氏は「武藤さんも『川淵さんならいい』と言っていた」ともいう。

そこは今もやぶの中だ。ただし、組織の正式な議論を経ずに、川淵氏に禅譲すれば、「密室談合」といった批判が、この問題を放置してきた政権にも及ぶ――と菅氏が恐れたのは間違いない。

小池都知事に主導権を握られるのを嫌った菅首相

慌てたのには、もう一つ理由があった。17日に予定していた森氏や政府、都関係者らによる4者会議について、小池都知事が欠席すると表明したことだ。

森氏の蔑視発言について「私自身も絶句したし、あってはならない発言だった」と踏み込んだ小池氏は、「今、4者会議をしても、あまりポジティブな発信にはならない。私は出席することはない」と宣言した。

この小池発言について、ある都幹部は「小池さんは機を見るに敏だ。世論を見ながらうまく発言していく」と話す。小池氏の発言は「森会長降ろし」を狙ったものだとマスコミにも受け止められ、森会長辞任の流れを作っていった。

ここでも、ものを言ったのは人間関係と政治的な事情だ。

ともに五輪責任者でありながら森氏と小池氏は従来、ソリが合わない。小池氏は、森氏に象徴される古い自民党体質を激しく批判して、ここまでのし上がってきた政治家だ。

菅氏も、小池氏のようなパフォーマンス重視のスタイルを嫌い、コロナ対策でも政府批判が目立つ小池氏にいら立っていた。しかも、そんな天敵の小池氏は、いずれ国政に復帰して首相の座を狙っているのではないかと、菅氏は疑心暗鬼になっている。

ここで小池氏が主導して「森会長辞任」ともなれば、菅氏は出番を失い、主役の座は小池氏に奪われる。だから一転して後継人事にも口出しし始めたのである。

結局、その後、川淵氏は会長就任要請を辞退する。世間の批判の広がりから見れば、むしろ遅すぎた決断だったと思う。

後任橋本会長は首相の意向

政府関係者は今、「菅首相の念頭には、森氏の女性蔑視発言直後から『後継には橋本氏』があった」と口をそろえる。

本人は口にしないまでも、そうした「首相の意向」が新聞・テレビの記者にリークされ、「菅首相は男女共同参画社会実現への思いから森氏を交代させ、橋本新会長決定への流れをリードした」といった、後(のち)の一部の報道につながっていった。

だが、実相はこれまで書いてきた通りだ。結果オーライとなったのは事実だが、菅氏はその時々で自分はどうしたら政治的に有利かを考えていたに過ぎない。

橋本氏は森氏が推して参院議員となった。橋本氏は森氏を「父」と呼ぶ関係にある。このため、今後も「会長を退いても森氏の影響力が温存される」との見方が根強い。それも承知で菅氏は選んだとも言える。

新型コロナへのワクチン接種が行き渡り、その効果を示したうえで、東京五輪を予定通り7月に開催して、世間の関心を集める。それで支持率を高める以外、政権を維持する方法がない。菅首相は今、そんな状況にある。だからなにがなんでも、7月に開催する。そんな心境なのだろう。

バッハ会長との調整役は森氏が「続投」?

振り返ってみれば、2020年3月、東京開催の1年延期を決めたのは、時の首相・安倍晋三氏と森氏による2人だけの会合だった。

安倍氏の自民党総裁としての任期は21年9月までだった。安倍氏が2年ではなく、1年延期にこだわったのは、任期内に現職首相として東京五輪に臨めると考えたからである。

そんな思惑を承知で森氏も同意した。1964年の前回東京五輪。招致が決定した時の首相は、安倍氏の祖父・岸信介氏だった。にもかかわらず、開催時には既に退陣していた。祖父を敬愛してやまない安倍氏には、そうした思いもあったと言われる。

一方、森氏は安倍氏の父、晋太郎氏(元自民党幹事長)にかわいがられた。首相になって、晋三氏を官房副長官に抜擢した時、「恩返しができた」と語っていたのを思い出す。そして晋三氏は、その恩に報いるように五輪組織委の会長に森氏を推した……。そんな事情で人事は動いてきたのである。

東京五倫が今夏、開催できるかどうかは、ひとえに新型コロナウイルスの感染拡大が、どこまで収束しているかによる。コロナと五倫開催に、菅政権の命運がかかっていると言っていい。

仮に開催できない場合はどうなるか。恐らく最終判断を実質的にするのは、橋本氏ではなく、菅首相だろう。そして国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と調整するのは森氏ではないだろうか。

組織委会長という表紙は替わっても、残念ながら「政治優先」の構造は変わらないと思われる。

バナー写真:東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に就任した橋本聖子新会長(左)と小池百合子東京都知事(右) 東京都庁にて(2021/2/19) 時事

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