アベノマスクのお金で買えた病院船とは

政治・外交

ニューヨーク市で新型コロナ感染者が急増し、医療崩壊の危機にさらされた時に急きょ派遣されたのが米国海軍の病院船コンフォート。国内でも「アベノマスク」にかけるお金があるなら病院船を造った方がいいのでは、と注目されたが、日本人にはあまりなじみのない病院船とはどんな船なのか。軍事評論家の岡部いさく氏が解説する。

感染症対策への有効性

中国・武漢で新型コロナウイルス感染症が猛威をふるっていた2020年2月、日本ではまだわずかの感染者しか出ていなかったが、感染拡大に備えて診察や治療機能を持つ病院船の配備が必要との議論が持ち上がった。加藤勝信厚労相が国会で「加速的な検討」の意向を示し、河野太郎防衛相も海上自衛隊に議論を指示したことを明らかにした(肩書は当時)。

病院船については、11年の東日本大震災の後も救急態勢を拡充する手段として議論されたが、今回は、11年当時とは文脈が異なり、救急医療態勢の充実よりも、感染症対策の一つとして採り上げられることとなった。特に政府の全世帯へのマスク配布に対する様々な批判から、マスク配布の予算があるならば、病院船建造の方がより効果的ではないか、とする見解もあった。

では果たして病院船は、感染症対策の医療施設として有効なものとなるのだろうか。日本が病院船を保有した場合、どんな役に立つのだろうか。検討してみよう。

病院船とは医療設備を持ち、医療スタッフを乗せ、洋上を移動して、傷病者の手当てや看護を任務とする船である。世界ではいくつかの国の機関やNGOが病院船を保有している。狭義には軍隊が保有し、1949年のジュネーブ条約と77年の追加議定書による保護対象となるものを指すことが多い。この後者の病院船としては、米国軍の軍事海上輸送コマンド(Military Sealift Command:MSC)が保有、運用しているマーシーとコンフォートの2隻や、中国人民解放海軍の920型岱山島、別名「和平箱舟」が名高い。

米国のマーシーとコンフォート、2隻の「マーシー級」は世界最大の病院船で、満載排水量6万9360トン、全長272.6m、幅32.2mという大きさである。中国の「和平箱舟」も満載排水量1万4200トン、全長178mという大きさを持つ。

2018年6月、東京港の岸壁に停泊する病院船マーシー。全長272.6mの巨大な船体(撮影筆者)
2018年6月、東京港の岸壁に停泊する病院船マーシー。全長272.6mの巨大な船体(撮影筆者)

マーシーはそもそも75年に民間のタンカーとして建造され、84年から病院船に改修する工事が始まり、86年に就役した。改修には1隻当たり約2億ドルを要したといわれる。日本円では2隻でおよそ400億円、「アベノマスク」の費用(追加配布分も含めると約500億円といわれる)より少ない。

そのため、「病院船の方がマスク配布よりも安価だ」という議論が生じたのだろう。しかし、米国海軍がこの2隻の調達に要した費用として5億5000万ドル(約578億円)という数字もある。2億ドルは直接の改装経費だけを示している可能性もあり、単純に2隻で400億円とはいえないようである。

米国の病院船は外科的な手術や治療に重点

元がタンカーだけに、船内のスペースは広く、重篤者用100床、中等症者用400床、軽傷者用500床の計1000床のベッドを有する。この1000床という病床数は、日本国内の病院の規模ではベスト15に入るものだ。さらに1000人の傷病者に限定的な手当を施す能力を持つ。

医療施設としては手術室8室、処置室、手術準備室、検査室、血液保管庫などがあり、医療従事者は最大時には海軍と民間それぞれ約60人の医師と、看護師約1000人が乗り組み、1日24時間の医療体制を30日間にわたって継続することができる。

傷病者の受け入れは主にヘリコプターで行い、中央部の甲板にはヘリコプターの発着スポット2カ所と格納庫がある。搭載している小型搬送艇を使って、舷側のドアから傷病者を運び入れることもできる。ヘリコプターで運び込まれた傷病者は、ストレッチャーのまま斜路を通って処置室、手術準備室へと運ばれ、手術室で処置を受け、病室へと移る。そのためにもちろん船内にはエレベーターが設けられている。傷病者は船内で平均5日間治療を受けた後に米国本土などの、より充実した病院に移送することが想定されている。

(上左)病院船マーシーの中央部のヘリコプター発着甲板。奥が船尾方向で、ヘリコプター2機を収める格納庫がある (上右)マーシー船内の応急処置室。ヘリコプターでマーシーに輸送された患者は、エレベーターでまずここに運ばれ、診察と応急処置を受ける (下右)血液バンク。保存血液の状態で保管されている (下左)手術室 (撮影筆者)
(上左)病院船マーシーの中央部のヘリコプター発着甲板。奥が船尾方向で、ヘリコプター2機を収める格納庫がある (上右)マーシー船内の応急処置室。ヘリコプターでマーシーに輸送された患者は、エレベーターでまずここに運ばれ、診察と応急処置を受ける (下右)血液バンク。保存血液の状態で保管されている (下左)手術室 (撮影筆者)

マーシー船内の手術室に装備されている手術用ロボット「ダヴィンチ」。医師は楽な姿勢で精密な手術を行うことができる(撮影筆者)
マーシー船内の手術室に装備されている手術用ロボット「ダヴィンチ」。医師は楽な姿勢で精密な手術を行うことができる(撮影筆者)

このようにマーシー級は非常に充実した大規模な医療能力を持つが、その能力は外科的な処置や治療に重点が置かれている。外地で戦うことを基本とする米国軍にとっては、陸上に十分な医療施設が得られない場合に備えて、洋上を航行して展開し、船上近くの海域で野戦病院よりも充実した医療を行う病院船が必要とされた。

特に公海上で活動すれば、陸上の病院のように当該国の許可や承認を受けなくて済むという利点もある。実際に1991年の湾岸戦争には、マーシーとコンフォートの2隻ともペルシャ湾に展開し、コンフォートは米国軍とイラク人の傷病者約8700人を、マーシーは多国籍軍の傷病者700人を治療している。

マーシー級の病院船は2005年に米国・メキシコ湾岸地域を襲ったハリケーン・カトリーナや、10年のハイチ地震など、自然災害の救援や医療活動にも従事した。

戦闘や災害時の救急医療など、外科的な処置には高い能力を持つマーシー級の病院船だが、感染症対策の隔離病室はなく、検査設備もウイルス感染症を念頭に置いたものではない。感染症を発症した患者の治療や隔離には必ずしも適してはいないのだ。

コロナ対策で派遣された病院船の実態

2020年3月18日、米トランプ大統領はコロナウイルス感染症の流行で多くの患者と死者を出していたニューヨーク市にコンフォート、ロサンゼルス市にマーシーをそれぞれ派遣するとした。

海軍予備役の医師や看護師など医療スタッフの招集や資材の積み込みといった準備に約1週間を要し、両船がそれぞれ展開先に到着したのは3月末となった。当初の構想では、病院船はコロナウイルス患者以外の傷病者の治療にあたり、陸上の病院がコロナウイルス患者の手当てに専念して、医療負荷を軽減するというものであった。

病院船コンフォート内でのコロナウィルスPCR検査 写真:USDoD(米国国防省)
病院船コンフォート内でのコロナウィルスPCR検査 写真:USDoD(米国国防省)

しかし事態は思惑通りには進まなかった。市民が外出を控えたため、交通事故などによる外傷患者は減り、病院船が陸上の病院を肩代わりする必要は少なく、両船の大きな医療能力は発揮されなかった。しかもロサンゼルスに停泊していたマーシーの乗員から7人のコロナウイルス感染者まで出てしまい、感染者が陸上施設に隔離されるという本末転倒な状況まで生じた。

結局、両船ともに4月末には患者の受け入れを停止し、5月初めには母港に帰還している。およそ1カ月半弱の活動期間で、それぞれ800人ほどの医療スタッフが乗り組みながら、マーシーは一般の内科治療や外傷治療の患者77人を治療し、コンフォートは182人を治療したに過ぎなかった。

このように2隻の病院船の両都市への展開は大いに喧伝(けんでん)されながら、実際の効果はほとんどないままに終わった。感染症への対応に適した設備や医療スタッフのない病院船では、感染症の流行に対する有効性はごく限られたものでしかないことが証明されたのである。米国連邦政府がコロナウイルス感染症に直接対処する姿勢を具体的に示したという、いくばくかの政治的効果はあったのかもしれないが。

米国海軍病院船マーシーの全容 写真:USDoD(米国国防省)
米国海軍病院船マーシーの全容 写真:USDoD(米国国防省)

病院船保有の課題とは

病院船を未知の感染症に対応できるものとするには、かなり特殊な装備や設備が必要であり、病院船をそれに特化させるには、災害救援などの救急救命や外傷治療への対応能力との両立が困難になるだろう。また感染症のエキスパートを病院船に乗り組ませるには、陸上の病院や医療施設から専門家を引き剥がしてくることとなり、かえって医療体制の逼迫(ひっぱく)を招くこととなる。

たとえ病院船2隻の改装費がマスク配布より多少安価で済むとしても、病院船ではマスク配布のような感染予防の啓発効果すらなく、感染症対策としての病院船の建造は上策とはなりそうもない。

もちろん東日本大震災やその後の熊本地震や台風、豪雨などの災害に対する医療態勢の強化や補完として、日本でも病院船が活躍する局面はありうるかもしれない。しかし病院船が港に停泊して活動するには、まず港湾が病院船の入港と停泊が可能な状態になければならず、救急車などが病院船の停泊している岸壁に到着できなければならない。

東日本大震災では港湾も大きな被害を受け、大型の艦船が着岸しての救助活動は多くの場所で不可能であった。さらに悪天候や海の状況が悪ければ、病院船の被災地への接近や入港は困難となり、ヘリコプターやボートによる患者の輸送もできないことになる。病院船の活動にはさまざまな制約があるのである。

医療スタッフの確保も課題となる。平時から数百人の医療スタッフを病院船に配置するわけにいかず、災害や感染症流行などの “有事” に招集することになるが、スタッフを派遣する側となる医療施設の人員不足を招くことにもなりかねない。

病院船マーシー内の応急処置訓練用のダミー人形。コンピューターによりさまざまな症状や反応をシミュレートできる。外傷の位置や程度を示すためのプラスティック製の傷口も載せることができる(撮影筆者)
病院船マーシー内の応急処置訓練用のダミー人形。コンピューターによりさまざまな症状や反応をシミュレートできる。外傷の位置や程度を示すためのプラスティック製の傷口も載せることができる(撮影筆者)

病院船そのものも、災害時に即応できるようにするには、平時から基幹乗員を配して、出動待機態勢を維持しなければならず、そのための人員や経費も必要となる。定期的に整備や修理、設備の改良も必要となるので、その期間に災害が起これば、病院船は活動できないことになる。

人道的・平和的なシンボルとしての活用法

簡単にこのように考えても、病院船は建造だけでなく、維持や運用にさまざまな労力と経費が必要であることが分かる。そのための出費を惜しまないのであれば、病院船の建造も選択肢の一つとなる。しかしそれだけの予算があるならば、医療従事者の増員や医療態勢の充実、病院の増設や機能強化、ドクターヘリなど患者輸送態勢の拡充など、他にもっとやるべきことがある、という議論も当然起こってくることだろう。

しかし実は病院船には、自国の災害救援や医療支援の他にも、別の使い道がある。米国は2004年のスマトラ沖地震の災害救援を契機として、「パシフィック・パートナーシップ」と銘打って、毎年太平洋~南シナ海地域での民生支援活動を行っており、太平洋の島嶼(とうしょ)諸国や南シナ海周辺諸国で、学校や病院など社会インフラストラクチュアの建設支援や、公衆衛生の改善などとともに、医療も含め、幅広い活動を行っている。

太平洋配備の病院船マーシーも08年から15年、18年とこの活動に参加している。「パシフィック・パートナーシップ」でのマーシーは、さすがに1000床の病院機能をフルに活用することはないが、患者の治療や分娩などの医療支援を行い、乗り組みの医療スタッフも米国軍だけでなく、NGO(非政府組織)も含めた民間の医師や看護師、豪州など同盟国の人員も加わっている。

2018年の「パシフィック・パートナーシップ」には米国海軍だけでなく、豪州海軍も参加した。写真は医療活動の指揮スタッフに加わっていた、豪州海軍タミー・トーマス軍医中佐(撮影筆者)
2018年の「パシフィック・パートナーシップ」には米国海軍だけでなく、豪州海軍も参加した。写真は医療活動の指揮スタッフに加わっていた、豪州海軍タミー・トーマス軍医中佐(撮影筆者)

「パシフィック・パートナーシップ」には米国海軍の補給艦や輸送艦、日本や豪州といった同盟国の艦船も参加するが、補給艦や輸送艦が灰色の「軍艦」の姿をしているのに対し、白い船体に赤十字を描くマーシーの姿は、この活動があくまでも平和的で人道的な意図で行われていることを強く印象付けることになる。マーシーは米国のプレゼンスを、軍事的な戦力という「ハード」な形ではなく、人道的・平和的な「ソフト」な形として示しており、この印象は他の種類の艦船ではなかなか与えることの難しいものである。

国民のコンセンサスがカギ

世界の海軍には病院船としての機能を持つが、病院船とは名乗れないものもある。英国海軍(「英国補助船隊Royal Fleet Auxiliary」が運用する)のアーガスは、自衛のための軽微な武装を持つため、ジュネーブ条約の保護対象としての病院船の資格を持たず、英国海軍は「初期応急治療船」と呼んでいる。それに対し、マーシーは巨大ではあるものの、一切武装を持たず、名実ともに病院船である。

中国海軍の岱山島も正真正銘の病院船で、600床の病院設備を持ち、全長178mの大きな船体を白く塗装し、赤十字を描いており、米国のマーシー級を意識した大きさと機能を持っている。中国が傷病兵を治療するための病院船を必要とするような外地での戦闘を行うとすると、真っ先に考えられるケースは台湾への侵攻であり、その意味では「和平箱舟」と称する岱山島の存在は気にかかるところではある。しかし米国のマーシー同様、岱山島もしばしば外国に派遣され、医療支援活動に従事しており、中国も病院船が「ソフト」なプレゼンスの誇示に役立つと考えていることを示している。

もし日本が海上自衛隊であれ、あるいは他の政府機関であれ、病院船を保有して、災害時には救援や医療支援に就くこととして、平時にはインド洋から太平洋での民生支援・医療支援に従事させるとすれば、それは日本の平和的なプレゼンスを顕示し、各地域の国々との関係を強化し、「自由で開かれたインド~太平洋」という理念の推進に役立つことになるだろう。さらに「パシフィック・パートナーシップ」を通じて、米国や豪州など同盟国・友好国との協力関係をさらに深めることにもなる。

日本国民が、またその代表である国会と政府が、そういった用途の病院船に予算と人員を注ぎこむ価値があり、国内の医療態勢や防災体制の充実や強化よりも優先するべきであると考えるのであれば、日本の病院船保有の可能性は開かれるであろう。

バナー写真:2020年4月30日、コロナウィルス対応策として展開したニューヨークを去る病院船コンフォート。その巨大な医療能力は十分に活かされないまま、竜頭蛇尾の展開となった 写真:USDoD(米国国防省)

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