日本で黒人として生きること―私たちの多様な声を届けたい

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セーラ・アラビ 【Profile】

米国発の「ブラック・ライブズ・マター」(黒人の命も大切だ)運動は世界的な広がりを見せ、日本にも波及した。自分たちの声に耳を傾けてほしいと願う彼らの思いは切実だ。日本在住の黒人たちの体験談を共有することで、「差別・迫害に怒る黒人」のイメージを超えた多様性が見えてくる。

日本で顕著なステレオタイプ

ほとんど忘れ去られた歴史の1ページだが、日本がかつて黒人を鼓舞し、パワーを与える存在だったことがある。19世紀末に急速に近代化した明治日本は、1904~05年の日露戦争で勝利を収めた。米公民権運動の指導者、W・E・B・デュボイス(1868~1963)などの著名な黒人の知識人たちは、非白人の国である日本の勝利が白人優位の神話を打ち砕いてくれたと信じた。そして、日本人を自分たちと同類の「有色人種」とみなし、国境を越えた日本人との団結という構想を描いたのである。20世紀初頭に広まったパン・アフリカ主義の指導者、マーカス・ガーベイ(1887~1940)は、自分たちの首を押さえつけていた白人優位の “ひざ” をどけてくれた日本は、黒人が進むべき道を示す手本になり得ると考えた。

しかし現在の日本は、もはや人種差別を乗り越えて目指すべき「ユートピア」ではない。植民地支配の過去を巡る和解が進まず、国内のマイノリティーが抱える問題には無関心で、黒人へのステレオタイプは日常的に目に付く。テレビなどに登場する黒人タレントはおどけているか筋骨隆々としたキャラクターばかりだ。数年前、バラエティー番組で日本人コメディアンの黒塗りメイクが物議をかもしたことは記憶に新しいが、最近ではNHKのニュース解説動画が問題になった。「ブラック・ライブズ・マター」デモ参加者のアニメ描写がステレオタイプで配慮に欠けると批判されたのだ。白人がテレビで笑いを誘う役回りを演じることも珍しくはないが、黒人と比べると、専門家や教育者などの立場や、理想的な容姿の持ち主として登場することの方が多い。

黒人を褒めているつもりで、無神経でぶしつけな振る舞いに及ぶ場面も目にする。黒人女性の髪や体に触れようとしたり、体つきが「エロチック」「セクシー」だなどと露骨な発言をする日本人を見ると、礼節を重んじる国民性はどこへ消えたのかと思ってしまう。

日本における人種的ステレオタイプや白い肌を好む傾向によって最も社会的・心理的影響を受けているのは、黒人と日本人を親に持つ「ハーフ」だろう。完全な日本人として受け入れてもらえないアイデンティティー問題は全ての「ハーフ」に共通しているが、彼らの場合、濃い肌の色が見た目の「よそ者感」を際立たせてしまう。そのために、自分の本質的な能力・美しさ・実力を認めてもらうための闘いと同時に、黒人へのステレオタイプとの闘いを強いられる。黒人は知性よりも肉体的能力が評価され、多様なロールモデルが存在しない日本社会で、若い黒人ハーフが活躍する場がスポーツ・芸能の分野にほぼ限られているのも不思議ではない。

「黒人であること」の多様さ

文化には国による優劣の階層があるという考え方が日本には根強い。明治維新以降の日本人思想家たちは、西洋文明を頂点とする文明の階層論を論じていた。その代表的存在である福沢諭吉は、日本はこの階層構造で上昇し、先進国の仲間入りを果たさねばならないと強く説いた。西洋文化優位への信奉は今日に至るまで日本社会に浸透している。同じ日本在住の黒人でも、欧米出身で特に英語を流ちょうに話す場合には、文化的に優位だとみなされる。つまり、北米、ヨーロッパやオーストラリア出身なら、肌の色よりも個人的な資質で認められる可能性がある。一方で、日本よりも「文化的に劣った」途上国出身の黒人は、潜在的な偏見の目で見られ、日常生活でさまざまな不利益を被ることが多い。

ナイジェリア系米国人アーティストのアマラチ・ヌオスが2017年に制作した短編ドキュメンタリー『Black in Tokyo』は、YouTubeで100万回以上再生された。その主なテーマの1つは、「黒人であること」の多様さだ。アマラチは19年2月の「黒人歴史月間」(米国では毎年2月が黒人の歴史と功績に敬意を示す月間)に東京で開催した写真展・映画上映会で、「黒人をひとくくりにしない」ことが大切だと訴えた。アマラチは、黒人の多様な体験をきちんと伝えるには自分たちが自らのストーリーを積極的に発信しなければならないと考え、黒人のためのPR・広告会社「Melanin Unscripted」(メラニン・アンスクリプテッド)を立ち上げた。「日本では、黒人としての私のアイデンティティーや文化、体験を共有できる場がなかなか見つかりません。黒人以外の誰かの力をあてにするよりも、思い切って自分の力で作り出すしかないと思ったのです」

BEJのランゾは、黒人は矛盾した課題に直面していると言う。「人にはそれぞれ個性があるように、黒人と言っても一様ではないと訴えたい。でも同時に、負の偏見を打ち破り、黒人全体のイメージをよくしなければという重い責任感に縛られているのです」。日本で暮らす黒人は何を感じているのか。ともすれば黒人たちの体験を一般化してしまいがちだが、その声に耳を傾ければ、その多様さに驚かされるだろう。そして、彼らのストーリーはまだ語られ始めたばかりなのだ。 

バナー写真:大阪で行われた「ブラック・ライブズ・マター」抗議デモ行進(© Rodney Smith) 

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ナイジェリア系ドイツ人ライター/写真家。東京在住。これまでいくつもの世界的ブランドと提携して作品を発表し、ファッション、人種、アフリカと日本の文化交流など多様なテーマの展覧会でキュレーターを務めた。文化学園大学修士。研究テーマは女性写真家の「まなざし」。

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