JOCに「モスクワの教訓」は残っているか―東京五輪の課題(3)
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政治日程を考慮した開幕日
3月24日夜。首相公邸には、安倍首相以外に4人が集められた。森喜朗・組織委員会会長、小池百合子・東京都知事、橋本聖子・五輪担当相、菅義偉・内閣官房長官だ。森氏は国会議員を引退したとはいえ、元首相。政治主導の五輪開催を象徴する顔ぶれだった。
2020年夏季五輪について、IOCと「開催都市契約」を結んだのは東京都とJOCだ。その契約に基づいて結成された組織委員会を加え、4者が大会の当事者となっている。日本政府は大会を支援する立場であり、首相が前面に出て交渉するのは、本来ならば越権行為に当たる。
最終的に延期日程は「来年7月23日開幕、8月8日閉幕」と決まった。組織委の武藤敏郎事務総長は「来年6~7月に都議選がある。議員の任期満了は7月22日。その前に大会を開催するのは適切ではない」と記者会見で説明し、政治日程を考慮した事実を明らかにした。安倍首相の自民党総裁任期も来年9月までで、政界では五輪を花道に、という首相の意向も働いたのではないか、との指摘もある。
モスクワ五輪の挫折
スポーツと政治をめぐる問題として思い出されるのは、1980年モスクワ五輪のボイコット騒動だ。ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議するカーター米大統領の呼び掛けに応じ、日本や韓国、西ドイツ(同)などの西側諸国が不参加を決め、参加は80カ国・地域にとどまった。
JOCはその頃、文部省(同)の管轄下にある日本体育協会(現日本スポーツ協会)の中の一委員会に過ぎず、日体協を通じて受け取った強化費の国庫補助金を各競技団体に配分していた。スポーツ関係者の間では「モスクワ五輪に参加すべきだ」との意見が強かったが、最後は米国に追随する日本政府や日体協から、補助金カットをちらつかされ、JOC委員の投票で不参加が決まった。
ところが、同じ西側諸国でも英国やフランス、イタリア、スペイン、オーストラリアなどは参加に踏み切り、その多くが表彰式では五輪旗や五輪賛歌を使った。「政治とは距離を置く」とスポーツ界が独自の意思表示をしたのだ。
大会後、JOCでも政府の影響を受けない独立組織を目指すべきだという機運が高まった。そして89年、JOCは財団法人として設立許可を受け、予算権限を持つ組織として日体協からの独立を果たす。初代会長には財界から西武鉄道グループを率いる堤義明氏を迎えた。堤氏のリーダーシップのもと、選手の肖像権を使ったビジネス「がんばれ!ニッポン!キャンペーン」などで強化費を稼ぎ出し、民間主導の運営を目指した。
「政治頼み」の復活
しかし、90年代後半にはバブル経済の崩壊で企業スポーツの休廃部が相次ぎ、トップ選手たちの競技基盤が揺らぐ。その後もリーマン・ショックで再び不況に見舞われ、選手を取り巻く環境はなかなか好転しなかった。そんな中で、再び政治頼みの風潮が強まった。
分岐点となったのは2005年だ。堤氏はJOC会長を退いた後も名誉会長としてスポーツ界に影響力を発揮していた。ところが、同年3月、西武鉄道株をめぐる証券取引法違反で逮捕され、JOCはカリスマ的存在を失い、民間主導の方向性は曖昧になっていった。
代わって同年4月、日体協の会長に就任したのが森氏だ。森氏は日本ラグビー協会の会長やJOC理事も務め、他にも自民党の政治家が次々と競技団体の長に就いた。麻生太郎氏はクレー射撃とバスケット、河野洋平氏が陸上競技、山崎拓氏はソフトボール、安倍氏もアーチェリーといった具合にスポーツ界に一気に足場を築いていく。競技団体側も政治家がトップにいる方が、国からの補助金を引き出しやすいと考えるようになった。
政治主導をさらに加速させたのが、スポーツ振興くじ(通称toto)だ。01年から全国的に発売され、文部科学省所管の独立行政法人「日本スポーツ振興センター(JSC)」が運営を担った。当初は販売額が伸びなかったが、06年から発売した賞金最高6億円の「BIG」で一気に売り上げをアップさせた。
政府系組織であるJSCはスポーツ界への助成金で影響力を強め、15年度からはJOC加盟競技団体への強化費配分も一元管理するようになった。こうしてJOCの存在感は次第に薄れていった。
主張する世界のアスリートたち
JOCの山下会長は、モスクワ五輪当時、柔道男子の日本代表に選ばれていた。大会参加の議論をめぐってJOCの会議に出席し、同じく金メダル候補だったレスリングの高田裕司選手(現日本レスリング協会専務理事、JOC理事)とともに参加を訴えた場面は有名だ。しかし、英国などのように、スポーツ界の主張を通すことはできなかった。
そして今回も政治の前にスポーツ界は意思表示できなかった。山口香・JOC理事(ソウル五輪柔道女子代表)がただ一人、大会延期を訴えたが、山下会長は「みんなで力を尽くしている時にきわめて残念」と競技者側の意見に取り合おうとはしなかった。最後まで政治に追従するだけだった姿勢は、「モスクワの教訓」を知るJOC会長としては、きわめて残念というほかない。
とりわけ、海外のアスリートやオリンピック委員会が、SNSなどを通じて感染拡大の中での危険性を主張し、堂々と延期を訴えたのとは対照的だった。その代表的な動きとして、「選手の安全を犠牲にしてはならない」と発言した世界陸連会長のセバスチャン・コー氏は、モスクワ五輪時に国の要請を振り切って参加した英国の伝説的金メダリスト(中距離ランナー)だ。
五輪は肥大化を続け、もはや政治の支援なしに大会を開催するのは難しい。しかし、どんな時代においても、五輪の主役はアスリートであり、スポーツ界であるべきだ。
各国のオリンピック委員会(NOC)に求められる役割は、自国の選手を五輪に派遣するだけではない。五輪精神の価値向上、青少年の教育、トップスポーツと「みんなのスポーツ」の発展促進、スポーツ運営の人材育成、スポーツにおける差別や暴力への反対行動、世界反ドーピング規定の採択・適用、選手のための医療と健康対策――などがあり、五輪憲章にはこう記されている。
「NOC は自律性を確保しなければならない。また、五輪憲章の遵守(じゅんしゅ)を妨げる恐れのある政治的、法的、宗教的、経済的な圧力、その他のいかなる種類の圧力にも対抗しなければならない」
コロナに振り回される日程
政治日程も考慮して決まった1年延期。IOCのサイトでは「日本の関係者や首相は来年夏を越えて延期することはできないとの方針を明確に示した」とも記されている。しかし、コロナの感染拡大は今も終息の見通しが立たない。ワクチンや治療薬の開発が進まず、来年も世界的な感染が改善しない場合はどうするのか。
政治主導で動き続ける東京五輪・パラリンピックには、困難が次々と待ち受ける中、スポーツ側が主張できない閉鎖的雰囲気はやはり不健全だ。JOCには大会の当事者として、競技者の声を反映させる責任がある。そのためにも、主体性と存在感を取り戻す「自律」の気概を求めたい。
バナー写真:組織委員会の森喜朗会長(右)と談笑するJOCの山下泰裕会長(左)(時事通信)
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