新型肺炎と世界秩序:中国方式の投げかける問い
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新型肺炎の突きつける課題
世界に拡がりつつある新型コロナウイルスによる肺炎は、世界秩序や国家のあり方などについて大きな課題を突きつけている(※1)。
第一に、感染症対策はグローバル・ガバナンスの主要課題でありながら、世界保健機関(WHO)のイニシアティブには疑義が呈され、国際協力が進むどころか、むしろ国家が前面に出た対処がなされているところが少なくない。統合の進んだ欧州連合(EU)のシェンゲン協定加盟国でさえ、国境を封鎖している国がある。グローバル・ガバナンスや地域統合という20世紀末から今世紀初頭にかけて進んだ事象は、ここにきて再び「国家」が前面に出る時代に突入することになるのだろうか。
第二に、感染症はリベラル・デモクラシーにとっても強敵だ。憲法で保障された基本的人権を一時的にであれ制約しなければならないし、デュー・プロセスを意識した対処では事態に迅速に対処できないという面もあるからだ。法に基づきながら非常事態宣言などをし、有権者に理解を求めながら事態に対処する必要があるが、この対応が個々の国の政権基盤に関わる以上、対応が科学的というよりも政治的になってしまう面もある。また、新型肺炎が広がる中で、アメリカで富裕層は外出せず、デリバリーサービスで日用品を受け取るようになると、街にはデリバリーサービスに従事する低所得者層の姿が目立つようになったという。結果、有色人種が特に目立つことになった。このように、先進国では社会の亀裂、分断がむしろ可視化される面もあった。
第三に、世界経済の面から見ても、一国ごとに自立的経済単位となるというよりも、世界的な分業を視野にグローバルなサプライチェーンを形成してきた昨今の世界経済の在り方それ自体が危機に瀕している。モノについてはヒトよりは動いているものの、航空機の往来が制限され、モノの往来にはヒトの移動もともなうことから、従来ほどの規模では行えず、かなり抑制されてしまった。グローバル化という世界史的な動きが止まり、この領域でも、各国家の自立的な、保護主義的な傾向が復活するのだろうか。
中国の投げかける問い
このような問いを一層深刻にしているのが中国の存在だろう。中国は国際組織に対しても、また一帯一路においても、まさに「国旗」を掲げながら関わっている。アメリカについては、エボラ出血熱対策に並々ならぬ意欲を示したオバマ政権から、アメリカファーストをうたうトランプ政権へと大きくグローバル・ガバナンスに対する姿勢が変化したが、中国は基本的に「国家」の重要性を下げず、むしろそれを高めながら世界と関わってきた。
2019年末に武漢、湖北省から新型肺炎が拡大する過程では国際社会が中国を支援していると主張し、国内での感染拡大が一段落すると、今度は中国自らが世界を支援するというように、感染症対策を利用しながらためらいなく国威発揚を継続している。新型コロナウイルスの命名をめぐっても、COVID-19というWHOの決めた名を重視し、中国や武漢を冠した命名には強く反発する。
国内の対処の面でも、当初湖北省、武漢市レベルで対応していた段階では情報の隠蔽(いんぺい)や足並みの乱れがあったが、1月20日に中央政府が処理に乗り出してからは武漢市の封鎖、交通手段の運行停止、人の移動制限など一連の措置を一気に実施した。都市の封鎖には軍隊組織や民兵、人の移動管理にはデジタル端末や、かつて単位と言われた企業組織、そして居住空間の隣組とも言える尺区の居民委員会などが動員された。数カ月客員教授などとして海外にいる中国人研究者たちも、所属大学に一日の行動を報告し、自宅待機を義務付けられ、東京にいながらも人に会うのを避ける生活を送ることを余儀なくされた。
他方、感染者を収容する病院が急ピッチで建設され、また大量の検査が行われて、感染者は新造の「病院」で隔離された。情報も厳格に管理され、初期的な段階で「正しい」情報を上げながらも地方政府や党に罰せられた医師の名誉を回復しつつ、一方では感染症対策について反政府的な言論を行なった知識人を摘発し、情報の管理統制、「宣伝」を強化している。これらの強硬な対処は一定の成果を上げている。感染症対策の観点からも合理的な政策だとさえ言われている。それだけに、結果だけを見れば、この新型肺炎に対する中国方式での取り組みが適切だと見なされる可能性もある。
そして、国内で特定の商品の物流が滞っていることはあっても、中国と諸外国との国際貿易量にはそれほど影響がなく、サプライチェーン上の大きな問題は生じていない、と中国は主張している。
回復段階における中国方式の課題
新型肺炎は中国発の感染症だが、2月中旬以降は次第に新たな感染者は減少し、3月になると次第に原状回復が目指されるようになった。湖北省武漢市でも3月中旬には新規感染者が「ゼロ」になったとしている。1月末には李克強首相が武漢入りしたが、3月10日には習近平国家主席が武漢に赴き、回復基調にあることを内外に印象付けようとした。前述のように、中国は自らの問題対処方式と成果を肯定し、また時間軸の面で他国よりも進んでいることを利用して、内外に自らの正しさを主張し、大国として対外援助を行うなどして、ダメージを受けた威信の回復・向上をはかるだろう。
中国国内では、特に初動段階において多くの問題があり、習近平政権は批判にさらされたが、回復過程では批判した知識人を摘発しつつ、初期的な問題を覆い隠すように国家や党の行為をさかのぼって正当化している。同時に、感染症対策が世界的に賞賛されているかのような印象を内外に宣伝してもいる。また、この新型肺炎自体が武漢発ではなく、むしろ外国から持ち込まれたものであるような印象をも与えようとしたのだった。
他方、中国が対処の過程でこれだけの人員と組織を動員できること、個々人の行動を相当程度に管理できることを内外に示すことができたことは、習近平政権にとって収穫であっただろう。確かに、新型肺炎への対処の失敗により、習近平政権がダメージを受け、経済発展もスローダウンし、2021年の共産党建党100周年に向けての目標達成も困難になるなど政権存続そのものを問題視することもできる。だが目下のところ、中国は従来以上に自らの「正しさ」を主張し、一層社会の管理統制を強化していく方向に進んでいるようにも見える。
中国が事態の鎮静化・回復の成果を喧伝すればするほど、次のリスクに自身が直面するかもしれない。中国の人々は国内で感染が広がる中で、「安全な」外国へと脱出した。今度は、世界中に感染が拡大し、習近平が「安全」だという中国へと帰国しようとしている。彼らの中には少なからず感染者がおり、第2の感染拡大が懸念される。また、感染者数などの統計にも操作があるとすれば、実は中国政府は事態を正確に把握できていない可能性もあり、政府として移動制限などを完全に解除し、「勝利」を宣言するのは難しくなる。
しかし、それでも中国政府は自らの政策の正しさを訴え続けるだろう。その際、その正しさと「不都合な現実」との均衡が崩れないようにすることが習近平政権には求められる。本当のことを話した医師の発言を最終的に認めざるを得なかったように、「不都合な現実」が政権の作る正しさを上回ると、政権としても対処せざるを得なくなるからだ。
対外関係と日中関係
新型肺炎は世界的には感染拡大過程にあるが、これから次第に収束段階に入る。2次的拡大がなければ、中国は収束段階の最先端にいる、という認識もあながち間違いではないのかもしれない。だからこそ、一面では諸外国に支援を行なって、イタリアの事例にあるように、諸外国から「感謝」されていると内外に宣伝し、同時にこの地球規模の感染症流行の原因が「中国の初期的措置の誤りにあるのではない」という印象を与えるように努力するであろう。
重要なのはその先である。中国は今後、2次的な感染拡大がなければ国内では非常事態を解除し、対外的には感染が一段落して落ち着いた国々との関係正常化を図っていくであろう。目下のところ、この病気が中国発であったがために、2次的感染拡大の恐れはあるにしても、周辺の諸国・地域では感染が次第に収束局面に向かうかもしれない。そうなれば、中国はおそらく周辺諸国、一帯一路諸国との関係を、欧米諸国に先駆けて「正常化」し、人的物的交流が原状回復した「ブロック的な空間」を作り出していくだろう。それは、中国が仕掛ける新たなディカップリングにもなろう。
日本やシンガポールは、感染拡大を比較的抑制できている。この両国においても今後感染が拡大していく可能性もあるが、もし収束に向かうことができた場合、関係正常化対象の筆頭候補となっていくかもしれない。この関係正常化と習近平訪日を関連付けけていく可能性もある。関係正常化に際しても、領土問題や安全保障面では一層強硬な姿勢を崩さないということは言うまでもない。新型肺炎の感染拡大によりリベラル・デモクラシーがダメージを受ける中、関係正常化の過程で日本などがどのように中国と関わるのか、これも二国間関係だけでなく、地域や世界の秩序のあり方を考える上での大きな挑戦となるだろう。
(2020年3月20日記)
バナー写真:新型コロナウイルスの感染が広がって以来初めて湖北省武漢市入りし、重症患者を受け入れる「火神山医院」を視察する習近平国家主席(右)=2020年3月10日(新華社/アフロ)
(※1) ^ 新型肺炎に対する中国の具体的な取り組みなどについては、以下を参照。川島真「新型肺炎への中国指導部の対応」(NHK視点・論点、2020年3月9日)。