野田聖子:「男社会」の自民党で女性の政治参加を推進、総裁ポストにこだわる訳

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板倉 君枝(ニッポンドットコム) 【Profile】

安倍晋三首相と衆院当選同期の野田聖子議員は、少子化対策に精力的に取り組み、初の女性首相を目指すと公言している。体外受精で50歳で母親になってから初めて女性が社会で被る不利益を意識したという野田さんに、男性中心の風土で女性の政治参画をいかに進めるか展望を聞いた。

野田 聖子 NODA Seiko

自由民主党所属の衆議院議員。1960年生まれ。83年、上智大学外国語学部比較文化学科卒業後、帝国ホテルに入社。87年、岐阜県議会議員(当時、最年少)。93年、衆議院初当選。98年、郵政大臣。2008年、消費者行政推進担当大臣・宇宙開発担当大臣・内閣府特命担当大臣。12年、自由民主党総務会長。17年、総務大臣・女性活躍担当大臣・内閣府特命担当大臣。18年、衆議院予算委員長。現在は自由民主党 党・政治制度改革実行本部長。当選9回(岐阜1区)。

自民党の「コンテンツ」を変えなければ

自民党の野田聖子議員は、30代で衆議院初当選、その後、当時史上最年少で閣僚(=郵政相)に就任、政治家としてエリート路線を歩んできた。その一方で、長年の不妊治療を経て50歳で出産、障害を持つ息子を持つ母親として、子育てや仕事で一般女性たちが直面する悩みとも向き合ってきた。女性の政治参画の推進にも力を入れ、政治における女性の「見える化」のために、総裁候補にも名乗りを上げている。

2019年12月「世界経済フォーラム(WEF)が公表した「ジェンダー・ギャップ(男女格差)リポート」で、日本は先進国7カ国中最下位で過去最低の「121位」を記録。中でも女性の政治参画の遅れが目立ち(144位)、世界平均で女性が下院議員に占める割合25.2%に対して、日本で下院に当たる衆議院の女性議員数は全体の10.1%だ。

19年には政党に男女均等の候補者擁立を求める「政治分野における男女共同参画推進法」施行後初めての統一地方選挙、参院選が実施された。だが、罰則規定がないこともあり、女性候補・議員が大きく増える結果にはつながらなかった。同法成立に向けて尽力した一人として、野田氏は現状をどう捉えているのだろうか。

「率直に言えば、日本の政治は戦後の長い期間、自由民主党がいい意味でも悪い意味でも独占してきたので、政治を根本的に変えるには、自民党のコンテンツが変わらなければなりません」と野田氏は言う。「その意味では、新法下の選挙ではほぼ結果が出ていません(参院選で候補者の女性比率28%、自民党は15%)。与党は現職男性議員が多く、女性の新人候補を立てる余地がないという背景があります。ただ、政党の動きよりも、法律ができたことによって、メディアがこれまで以上に女性候補擁立問題を取り上げたので、ある程度の効果はあったと思います」

「これまで女性の政治参画に関しては、内閣府の男女共同参画局が主管でしたが、選挙に向けて総務省も(推進法の)PRに関わりました。その意味では、単なる女性政策ではなく、国策として浸透し始めたという感触があります。有権者リテラシーの向上に総務省が関わることにより、女性の政治参画を推進する法律の存在を国民に教える責務を国が背負ったことは画期的です」

40歳まで「男」だった

男性中心の政治は一足飛びには変わらない―その現実主義的な考え方は、長年自民党で「マイノリティー」の女性政治家として活動した体験から培ったものだ。1987年に26歳で岐阜県議会議員、93年衆議院議員となり、国政で30年近いキャリアを誇る。

「私が政界に足を踏み入れた頃、政治は男の仕事でした。政治家だった祖父(野田卯一元建設相)が私を後継者に選んだとよく言われますが、祖父は大反対でした。男ばかりの世界に大事な孫を放り込んだら、どんな目に遭わされるか分からないと心配したからです」

支援者や自民党関係者などからは、政治を仕事にするからには「まず、女を捨てなさい」と言われた。「そうした声に忠実に従って、おしゃれもやめ、スーツも選挙運動の時を別にすれば、地味に徹しました」。衆院で同期に当選した女性は田中真紀子氏(無所属で出馬、自民党が追加公認)だった。でも「真紀子さんは元総理の娘として“別格”のうえ、男性よりもパワフルで、私なんて相手にしてもらえませんでした」と言って笑う。

女性議員の仲間は誰もいない「孤独」な状況のまま、37歳で郵政大臣になった。すると「女を捨てなさい」という周囲の声が、今度は「女性として同性に嫌われないように」という声にすり替わったという。

「男にちやほやされ、子育ての苦労も知らない、自由気ままな未婚の女だというイメージを女性有権者に与えると選挙に負けるから、なんとか“調整”しなさいと言われました。25歳からずっと、男になれ、結婚するな、子どもを産むなと言われ続けていたのに…。40歳で期せずして1回目の夫と結婚、妻になった途端、女性であることを実感しましたが、それまではただの “女装政治家” だったと思います」

もともと子ども好きだということもあり、子どもが欲しい、妊娠しなければというプレッシャーを自らにかけた。

「母親になることが至上命題となり、不妊治療を始めました。子宮筋腫もあったし、40歳で女性の体の問題と初めて向き合うことになりましたが、不妊と闘う“戦友”がたくさんできました。何度も流産しているとか、仕事でなかなか妊娠できなかったとか、永田町では聞いたことのなかった体験談を聞き、社会的に女性であるとはどういうことなのか、当事者として初めて認識しました」

政治と子育ての両立のためには「無理をしない」

「女性だから活躍できないのではない。結婚して子どもを産んだら社会的に不利益を被るのです」と野田氏は強調する。「独身時代には、男性と一緒に仕事をしていても不利益を感じませんでした。でも、結婚すると一方的に女性に負荷がかけられてしまうのです。例えば結婚したら姓を変えなければならないのがその一つでしょう。政治の世界で、女性が結婚によって社会でいかに不利益を被るか、その現状を知っている人が少ないのが問題です」

野田氏自身は、現在子育ての8割を自分より時間の融通の利く夫に任せ、仕事も体調の悪い時は無理をせずに休む。午前中はテレワークをすることも多い。「仕事と子育ての両立で完璧を目指すのは無理。後輩に勧められません」。今後、女性議員を増やすためにも、政治と子育ては柔軟なアプローチで両立できると示したい意図がある。子育ては母親が担うものという固定観念を壊さなければ、女性の政治参画への敷居は低くならない。

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出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。

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