識者に聞く:大学入試の英語民間試験導入は「延期」ではなく中止を
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■鳥飼玖美子:「結論ありき」の検討にならないように
英語民間試験の活用の延期は「時間稼ぎ」にはなりました。あのまま突っ走って実施していたら、延期以上の混乱を招いたでしょう。ただ、今後については、全く楽観はしていません。萩生田光一文科相の言い方では、国語・数学の記述式問題導入は「見直し」で、英語民間試験の活用は「延期」です。延期せざるを得なかったのは、試験会場が確保できなかったことが一番大きな原因でしょう。民間業者との関係もあるので簡単にやめるわけにはいかないのではないでしょうか。
下村博文氏をはじめとする歴代の元文科相らは、制度設計上の問題さえ解決すればいい——会場が足りないなら、全国の公立学校を会場にして先生を試験官にすれば地域格差は解消できる、経済的に困っている家庭には民間試験の受検料を補助すれば経済格差の問題も解消する——と考えているようです。もちろん各地の高校は反対するかもしれません。働き方改革に逆行するし、自校の生徒たちが受ける共通テストを同じ学校の教師が試験監督をしていいのかという問題もあります。でも文科省は、全国で会場さえ確保できたら、予定通り2024年度に民間試験活用を実施するつもりではないでしょうか。制度を抜本的に見直そうと思ったら、1年でできるわけがありませんから。
運用面だけではなく、民間試験を使うこと自体が問題です。そもそも、英語の「4技能」(読む・聞く•書く・話す)——特に話す力——を測るから民間業者に委託するしかないとのことでしたが、なぜ大学入試で「話す力」を測る必要があるのかは、もっと議論するべきです。「4技能」は総合的に指導すべきであって、それぞれの技能に分けて試験する必要はありませんし、大学入学のための選抜試験でなぜ、採点が極めて難しいスピーキング力を測るべきなのか、解せません。
本来は、専門家である大学英語教員がその点について文科省で意見を述べるべきですが、文科省の会議で民間試験導入を推進した教員は民間業者との関わりが深かったことがメディアで報じられました。また、慶応義塾大学元塾長の安西裕一郎氏は、下村文科相当時の中教審(中央教育審議会)会長として、民間試験活用や記述式問題導入を答申しましたが、それより以前にベネッセ本部内にある「進学基準研究機構」という一般財団法人の評議員に就任していたと報じられました。何人もの大学人が利益相反と批判されることになったのは、とても残念です。
期限を設けずに丁寧な論議を
文科省は、大学入試改革を見直すために、新たに検討委員会を設置しましたが、その人選も疑問です。例えば、テスト理論専門の南風原朝和(はえばらともかず)東大名誉教授や、高大接続・大学入試の専門家である荒井克弘大学入試センター名誉教授ら、第一人者が入っていない。以前、文科省の委員や教育学会会長などを務めていたにもかかわらずです。本気で検討するつもりではなく、結論ありきなのではないかと疑われるのも、やむを得ない気がします。
もっとも、委員の中には、両角亜希子委員(東京大学教育学研究科准教授)のように、民間試験に批判的な専門家や現場の意見も聞いて共通テストの英語試験の在り方を抜本的に検証するべきだと明確に表明している方もいます。一方で、日本私立中学校高等学校連合会会長の吉田晋(すすむ)委員(富士見丘中学高校長)は、下村文科大臣当時に中教審委員を務めた民間試験推進派です。1回目の会議から、何年もかけて決めた方針をゼロから見直すなどあり得ないと強く主張したとのことです。
しかし、民間試験導入が、いつ、どのような議論を経て決定したのかは明らかになっていません。それこそ2013年くらいから民間試験導入に反対してきた専門家は、私も含めて、何人もいたのです。いくら「危ない」と声を上げても、聞き入れられず進んでしまったという感じです。民間事業者との癒着のない専門家が、1年などという期限を設けずに、丁寧な論議をしてほしい。そうでないと、再び同じ過ちを繰り返すことになってしまいます。今後も検討会での委員たちの発言を注視しながら、抜本的な見直しを呼びかけていく必要があると考えています。
(参考記事:『日本人と英語(1):慢性的英語教育改革が招いた危機』)
■阿部公彦:「4技能」の理念を問い直す必要
英語民間試験活用の延期は、かねて指摘されていた問題点が一気に広く認識された結果としての、当然の成り行きです。ただ、現在取り沙汰されているのは、(都市部に偏る)試験会場をどうするかなど運用面の表層的な問題に集中しているように思えます。表沙汰になっていないことも含めてしっかり検討してほしい。
例えば、民間業者への試験丸投げは、入試という公的な事業なのに責任の主体があいまいになるとか、実施団体が試験対策事業を担うことになり利益誘導を生むなど、さまざまな構造的な欠陥があります。
民間試験の質を問う声も
民間事業にとってもやぶへびと言えるような状況があります。民間試験はそれなりに実績があるとされていますが、実はその質が精査されることはあまりなかった。ところが、今回入試に使うということで厳しい目で見られるようになり、いままでは大目に見られていたことが通らなくなりつつある。ベネッセのGTECには設問や採点についての批判が以前からありましたが、最近英作文の採点済み答案がNHKのニュースで取り上げられ、「この英作文にこんなに点を与えていいのか?」と採点基準の粗さが注目を集めました。英検はいままで対面式の面接を実施していましたが、文科省の方針に従った結果、入試用にはCBT (computer based testing) しか採用できなくなりました。スピーキングは面接方式だと採点基準に主観が入る可能性が指摘されているとはいえ、英検にはCBTの実績がない。これはこれで相当危険です。
もちろん、GTECや英検にもいい面はありました。受験料は安いし、気軽に受けられる。特に英検は長年親しんできたファンもいて、子どもが英語を勉強するためのインセンティブとしてはよかった。ただ、厳密な試験として考えると、ネーティブスピーカーの間からもこうした和製試験への批判は聞こえてきます。
TOEFL、TOEIC(入試からは撤退表明)、IELTS、ケンブリッジ英語検定などは、「等化」(異なる回のテストを受けた受検者の結果を比較できるように得点を調整する作業)で質を維持しているので、そちらの方がいいという見方もある。ただ、問題が全くないかといえば、そうでもない。この「等化」のためもあって過去問は一部再利用されるので開示もされないのですが、受検者を通して一部が出回る可能性はある。それを集積する人も出てくるかもしれない。こうなると、テストとしての公正さには疑問符がつかざるを得ないでしょう。また、例えばTOEFLは会場によって得点に差が出るといわれ、到着後の待ち時間の違いや隣の席との仕切りの有無など、会場選びのポイントを解説するサイトもあります。
もともとこうしたテストはあくまで「能力診断テスト」で、受検者が虚心に自分の英語力のレベルを測る目安にするには有効です。つまり、本人に診断を受けるという気持ちがないとうまく機能しません。過去問を何らかのルートで手に入れるなど、いろいろ対策をして点数を上げようとすればできてしまう。一方で入試は、限られた定員枠に入るために点数を競う「選抜試験」なので、皆が他の人より高い点数を目指す。そこに診断テストという用途の違うものを使えば、まずは良い点数を取るための対策をするでしょう。だから、対策ビジネスも横行しやすい。民間試験の得点はそうした対策に左右されやすいのです。
あまりにもずさんな政策
一番の問題は、文科省は民間委託のメリット、デメリットを比較して、メリットが勝るから進めるという議論をするべきなのに、デメリットには一切触れず、批判には一切答えてこなかったことです。「読む・聞く•書く・話す」の4技能を測ることが必要だと繰り返す政治家や財界人は、実際の理念に関してなんの理解もしていないことが明白です。単に英会話がもっとできるようになる程度の認識しかない。政策推進者としての能力が欠如していると言わざるを得ません。
そもそも、民間試験導入へのおかしな流れの発端は、文科省のごり推しを国立大学協会が受け入れてしまったことにあります。これまではメディアも含めて、民間試験を活用することでどんな問題が起きうるかを十分に把握していなかった。それがあらためて精査してみたら、あまりにずさんでみんな驚いたというわけです。「延期」になったいま、影響力のある人たちがしかるべき発言をすれば、この流れはまだ止めることができると思っています。
ですから悲観はしていません。英語入試の運用面だけではなく、民間試験ありきの4技能重視を掲げること自体が正しいのかを論議してほしい。英語は別に4つの技能に切り分けて勉強するものではありません。統合型の学習が大事なのです。そこから問い直すことが、英語教育の質を向上させるきっかけとなると思っています。
(参考記事:『日本人と英語(2):「スピーキング幻想」が生んだ大学入試 “改悪”』)
聞き手・構成=板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部)
バナー写真:大学入試センター試験で、受験生にリスニング用のICプレーヤーを配布する担当者=2020年1月18日、東京都文京区の東京大学[代表撮影](時事)