“超変則”な日本国会の構造:官僚の疲弊問題にもつながる課題が
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節目とも言うべき第200回国会が閉じられた。しかし、「桜を見る会」や野党議員の質問通告をめぐる官僚やその周辺の関係者を巻き込んだ問題も起こる一方、国家国民の重要課題は脇に置かれた感が強い。こうした状況は、官僚機構の疲弊問題と関連づけた場合、どのように理解すべきだろうか。以下ではまず、官僚機構の統治機構内部での役割の変化について簡単に論じ、続いて国会の構造問題について論じてみたい。実は、この2つの問題は、密接に関連した政治システム全体の課題である。
政官共棲から官邸への従属へ
日本の行政官僚制は、従来、その組織的な自律性や政策への影響力の面で先進国の中でも突出した存在であると評価されることが多かった。しかし近年は、逆に官僚による「忖度」現象が度を越したものとなっているとの批判が強まっている。著者は、戦後の早い時期に官僚が一定の主導性と影響力を行使した時代から今日の状況に至るまでの構造変化を見る時、2つの側面があると考えている。
1つは、55年体制の時代に形成された政官関係は、国会と国会議員とが最終的な決定権者であるという戦後民主主義の原則と、実態としての官僚機構の重み・有能さとが組み合わされる形で成立したことである。その中で、独占的な与党である自民党が政調会という内部組織を発達させ、族議員を生み出しながら、与党による事前審査制度の下で官僚機構との濃密な協力関係を築いた。
しかし他方で、民主的なコントロールは野党にも一定程度の影響力を与えた。俯瞰的に見れば、官僚機構は、自分たちの影響力を維持するために、与党自民党との共生関係を築く一方で、野党勢力に対しては国会での時に厳しいやり取りを担わねばならなくなったのである。戦前の政府官僚機構の影響力とは異なって、55年体制時代の官僚たちの影響力は、対与党、対野党の両面から、既に相当に条件づけられ、また制約を受けていたと言って良い。
こうした政官関係の構図は、その後1990年代に入るころから劇的に変化し始める。政治主導の強化が叫ばれるようになり、90年代後半の橋本行革、それに続く一連の公務員制度改革を通じて大きく変化した。特に、政官関係という面から見れば、幹部公務員の人事について官邸による一元的な管理体制が構築されたことが極めて大きな意味を持っている。
その結果、55年体制時代には与党との一定の共棲・共存関係の中で維持されていた官僚の影響力が決定的に弱められ、首相官邸への従属が明確になった。官邸主導の強化という形で政官関係は抜本的に再編成され、各省の組織・人事面での自律性は決定的に崩れるとともに、官邸に設置される政策会議への参画の有無が官僚としての影響力とステータスを決定づける体制へと変質してきたからである。
しかしその一方で、官僚機構と野党との関係は基本的に変化していない。野党議員は国会で政府与党を追及し、同時に官僚とも厳しいやり取りを繰り返す。むしろ、官邸に対する絶対的な従属という条件の下、国会での野党と官僚との関係は軋みを増していると考えられる。日本の国会は、政府を監視し批判する野党勢力に対して、相当な影響力を保障するルールで運用されており、結局、批判の矢面に立たされる官僚からすると、「なぜこんなことがいつまでも続くのか」という感覚に陥っているのであろう。
極めて“いびつ”な日本の国会システム
しかし、大きく捉えてみると、国会の変則性やそれがもたらす構造的な問題は、さらに大きな広がりと深さを伴っている。
日本の国会は、実は、他の先進民主国との比較から見れば極めて強い変則性を帯びている。そしてそれは、基本的に戦後の長い期間にわたった自民党による一党優位体制がもたらしたものである。
第二次世界大戦の後、日本の国会は、独特の「合理化」をした。合理化とは、議会での意思決定の仕組みを整備することを意味しており、どの国でも起こる。しかし、そのパターンにはそれぞれの特色がありうる。例えばヨーロッパの議会には一定の類似性と特色があり、その中でイギリスやドイツ、フランスなどがそれぞれの特色と相違を持っている。しかし、日本の国会の特質と変則性はレベルの異なるものである。一体、日本の国会はどのような特殊性を持つようになったのだろうか。
第1に、本会議がほとんど形骸化し、時間的にも、また討議の内容面から見ても極めて低調になってしまったことが挙げられる。ラフな数字を挙げれば、国会での本会議(衆議院)の審議時間は年間で60時間程度に過ぎず、これは英仏などに比べれば20分の1程度でしかない。本会議と委員会制度との組み合わせがどの国の議会でも基本的な形であるが、戦後日本ではこの基本形が崩壊したのである。ほぼ全ての日本人はこれに疑問を感じていないが、実は、深刻な含意を持っている。本会議が機能しないために、本来は本会議において展開されるはずの党派的な論争が委員会レベルにおいて行われることになっている。党派的な対立を超えた実務的・専門的な討議と調整が委員会という仕組みの基本であるが、国会ではそうした委員会機能はほぼ期待できない。
官僚は「質疑偏重」と「与党退出」の尻拭い役
第2の変則性は、議員間の討論がほとんど完全に消滅し、ほとんどすべてが「質疑」によって行われていることである。質疑とは質問とそれに対する回答であり、自由な意見交換ではない。また、討論がほぼ議員間のやり取りを意味するのに対して、質疑は必ずしもそうではない。実際、日本の国会では、極めて多くの場合、野党議員が質問を発し、政府の大臣あるいは官僚(場合によっては外部から招へいされた参考人)がそれに回答する形が採られている。政府提出の法案が圧倒的な比重を持ち、また政府の諸問題への追及が大きな部分を占めるためである。この構図の下では、一番難しい、またやっかいな仕事は質疑への応答という形で官僚に任されがちとなる。そして、国会答弁をめぐる種々の制度的な不都合は、この構造が維持される限り解消されない。なぜならば、政権交代のない状況の下では、それが野党議員たちにとって最も重要な制度的な武器だからである。
しかし、第3の変則性はさらに深刻な課題を日本の国会にもたらしている。それは与党が国会のプロセスから事実上「退出」してしまっていることに関連している。周知のように、55年体制下の自民党は巨大な影響力を誇っていたが、その活動はほぼ例外なく国会の「外」でおこなわれてきた。自民党政調会の部会やそこでの族議員の活発な活動は、その裏側として国会活動の極端な低迷とセットだったのである。
委員会での審査において野党と与党に割り当てられる質疑の時間は、概ね7対3と言われているが、与党の方では、その時間を使うことさえ負担であったと見られている。神経質なまでに質問にこだわる野党と、出来ればそれに関わりたくない与党と言っても良い。2000年以降の衆議院での委員会における国会議員1人当たりの発言の量をカウントしてみると、共産党議員を100とした場合、与党時の自民党議員の比率はわずかに3-5%でしかない。つまり、自民党議員たちは、国会では議論せず、既に事前審査によって党議決定した内容をそのまま国会で通して成立させることにのみ取り組んでいると言ってよい。
与野党間の、そして議員間の討論など、こうした構造の下では起こりようもない。また、委員会レベルでの実務的な検討や調整といったことも不要であって、そこに力を注ぐインセンティヴは自民党議員の中では皆無と言っても良い状態だったのである。
結局のところ、戦後国会は、こうした極めて変則的なパターンを構築し、その中で与野党がそれぞれの役回りを担い、そして官僚がその構図の中で大きな比重を占める形となっていた。そして、与党は形式的・手続的な側面を重視するばかりで実際には国会から退出し、野党の活動が前面に出てくる。結局、野党の質問に対峙させられるのが官僚であった。実にいびつな構造だった言う他はない。
困難な「国会改革」に連動した官僚の立場の難しさ
既に指摘したように、こうした独特の変則的な国会の運営パターンは、戦後の55年体制の下で、言いかえれば政権交代のない仕組みとして構築され制度化されてきた。従って、政権交代システムが日本政治の中でまだ根付いていない現状では、国会全体をめぐる基本的なあり方を修正することは容易ではない。少なくとも、なぜ、どのようにしてこうした構造問題が積み上がってしまったのかを理解し、それに対する改革案を慎重に検討する必要がある。
残念ながら、官僚の疲弊という問題は、さまざまな観点から見て構造化された難しさを抱えている。恐らく、官邸の極端な支配体制を修正し、政府内部での政官関係をよりバランスの取れたものにすることには一定の可能性があるが、こと国会に関わる問題には相当な深刻さが横たわっていると言うべきであろう。政治的リーダーたちの慧眼と決断がなければ、容易に解消できないかもしれない。
バナー写真:衆議院本会議で答弁する安倍晋三首相(壇上中央)=2019年10月8日、国会内(時事)