日本で唯一の「国際町」の今:新潟県南魚沼市から見える「国際化」の厳しい現実

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黒岩 揺光 【Profile】

コシヒカリの産地として知られる新潟県南魚沼市は、約60カ国からの留学生たちが学ぶ国際大学の所在地だ。行政は彼らを「住民」扱いしていない。豪雪地帯の「陸の孤島」で閉塞的な生活を送る多様な人材を、今こそ地域活性化に生かすべきではないのか。南魚沼を拠点に活動するライターが問題提起する。

「陸の孤島」に閉じ込められた留学生たち

そもそも、なぜこのような大学が新潟の山間部に作られたのか。

旧大和地区の人口は現在1万4000人。この小さな地区に上越新幹線の浦佐駅があり、看護師や栄養士を養成する北里大学保健衛生専門学校、県内屈指の進学校である国際情報高校、400床ある魚沼基幹病院、国際大学がある。

そして浦佐駅前には、右腕を掲げた田中角栄像が建っている。この地域は田中氏の支持母体「越山会」の大きな地盤で、多くのインフラ工事を呼び込んだ。南魚沼市の初代市長も越山会出身で、林市長は初代市長から後継者として指名され、2016年に当選した。

国際大に16ヘクタールという広大な土地があるのは、将来的に学部や高校などを建設していく構想があったからだ。しかし、日本経済のバブルがはじけて、構想は頓挫。当初は学生の半数以上が日本企業から派遣された日本人だったが、今では日本人学生は全体の1割未満。一方、全体の半分以上が日本政府による途上国支援の一環で来日した研修生で、彼らの渡航費、生活費、そして学費などを税金で賄うことになる。学費、生活費だけでも、研修生1人当たり年間360万円程度だ。年間の学費が200万円かかる私立大学ではあるが、「私設公営」などと揶揄(やゆ)されるゆえんである。

研修生の身分で来日した場合、車の運転が許されない。大学周辺は完全な車社会だ。豪雪地帯のため、冬は車以外での外出は困難になる。最寄りの駅まで徒歩40分、飲食店まで徒歩15分、コンビニまで20分。1時間に1本、駅などの主要地を巡る大学のバスが学生たちの生命線だ(週末は1日2本しか走らない)。

雪景色の国際大学周辺
雪景色の国際大学周辺

また、多くの研修生は母国の政府機関や大企業の職員で、2年の研修期間を終えれば母国へ帰ることが義務付けられているため、日本語を学ぶ余裕はない。

こうして、ほとんどの住民が車を持ち、英語ができる人が少ない南魚沼市に、日本語が話せず、運転が許されない人が大多数を占める「陸の孤島」が出来上がった。学生たちは、国際大学「IUJ(International University of Japan)」は「Isolated University of Japan(日本の孤立した大学)」だと皮肉を込めて呼ぶ。

問われても学長の名前を言える日本人の地元住民は皆無に近く、「コシヒカリ」の意味を知らずに帰国していく留学生たちも多い。

単身者用の寮は一部屋八畳間くらいの広さで、トイレとシャワー付き。共用キッチンで料理をする者もいれば、学内のカフェテリアで食べる者もいる。図書館は深夜12時まで、パソコンルームは24時間利用できるので、夜遅くまで勉強する。生活のルーティンは全てキャンパス内で完結する。

アフリカ出身の学生は「キャンパス内に引きこもる生活で精神的ストレスを抱え、人間関係に悩む人も多い」と打ち明ける。

大学から徒歩5分の所に住む40代男性は「子どもの頃はよく大学に遊びに行っていた。日本人学生の子どもたちと遊んだりした。でも今は日本語ができる人が少なくなって大学に行く機会がめっきり減った」と言う。

「陸の孤島」での閉塞状況が、学生たちの人間関係にも影響して、特定の地域出身の学生たちに対する差別的な投書を招いたとも考えられる。

「地域に溶け込みたい」留学生の意欲を生かせ

さまざまな弊害がある中で、国際町の住民たちは地域に溶け込もうと必死だ。

彼らと他の地域住民の交流を活発化させようと、私は2018年5月、「Uonuma Network Group」というフェイスブックグループを立ち上げた。現在メンバーは730人。

そこで、除雪ボランティアや災害ボランティアなどの募集を英訳して流すと、多くの外国籍住民が手を挙げた。18年7月の西日本豪雨ではナイジェリア人が自腹で広島まで1週間ボランティアに行き、19年10月の台風19号では長野市へのボランティアバスの半数以上が外国人になった。

しかし、行政も大学も彼らを「住民」として扱ってこなかったため、彼らの地域貢献への意欲を地域の活性化にうまくつなげることができない。

「外国人との共生」というと、日本人が支援者で、外国人が受益者という根強いイメージがある。言語サポートやイベント開催などを通して、国際町の住民を支援するボランティア団体はいくつかあるが、彼らの能力を生かして地域活性化につなげようとする取り組みは少ないのが現状だ。

多くの地方自治体と同様、林市長も外国人観光客を呼び込みたいと言っている。ならば、在日外国人は「支援対象者」ではなく、地域活性化の担い手としてみなしてはどうだろう。「2年しかいない」人に対し、「わざわざ説明会をしている」ではなく、「2年以上いてもらえるよう、率先して説明させてもらいたい」と林市長には発想の転換をしてほしい。

「移民政策」を取らないと公言する一方で、外国人労働力には広く門戸を開く方針に転換した日本政府。「国際化」という言葉が日常化していく中で、国内で唯一の「国際町」の現状は、外国人との共生について大きな問題提起をしている。

バナー写真:2019年6月の国際大学修了式(バナーおよび本文中写真は筆者提供)

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フリーライター。オランダのユトレヒト大学院卒。1981年新潟県南魚沼郡大和町(現南魚沼市)生まれ。国連職員、毎日新聞記者、NGO職員などを経て2018年7月に故郷の南魚沼市で住職不在になった築250年の空き寺で民宿「ホタル」を開業。また、在日外国人や外国人観光客との交流を通した地方創生などをテーマに執筆中。著書に『僕は七輪でみんなをハッピーにしたい』(U-CAN、2013年)、『国境に宿る魂』(世織書房、2010年)。

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