ノーベル文学賞 “狂騒曲”:川端、大江から村上春樹まで

文化 Books

川村 湊 【Profile】

2018年は選考委員会関係者の性的暴行スキャンダルを受け、発表が見送られたノーベル文学賞。10月には18年、19年の2年分の受賞者が発表される。果たして村上春樹の受賞はあるのか。何かと注目度が高いノーベル文学賞の傾向と「日本人」作家との関わりをその歴史から読み解く。

波紋を呼んだボブ・ディランの受賞

2019年のノーベル文学賞は、18年分と合わせて発表される。スウェーデン・アカデミーの関係者による性的暴行スキャンダルや、機密漏えいの問題があって、18年の受賞者発表は1年間休止となり、翌年回しとなったためだ。しかし筆者は、これは16年のボブ・ディラン受賞の混乱にも一因があったのではないかと思っている。初期はともかく、近年は、小説、詩、戯曲の文学ジャンルに限定されていたノーベル文学賞を、シンガー・ソングライターであるボブ・ディランに授与するというニュースは、世界中を驚かせた。

15年のノンフィクション作家スベトラーナ・アレクシェービッチ(ベラルーシ)の場合のように、ノーベル文学賞の幅を広げたという肯定的な評価とともに、伝統的な文学の価値観を逸脱したものとして、厳しい批判、否定的な評価も聞こえたのである。ホメロスの名前まで持ち出して、ディランへの授賞の正当性を強弁する選考理由には、筆者は首をかしげたものだった。

授賞発表後に事務局が本人としばらく連絡が取れなかったことや、授賞式への欠席など、奔放なディランの言動には賛否両論があった。最終的は多数決で決定される選考の過程でも、選考委員会内部での葛藤や抗争が当然あっただろう。翌年はカズオ・イシグロが選ばれ、本来の伝統的な純文学作品の路線に立ち戻った感があるが、委員会内部ではディランへの授賞を巡る混乱が尾を引いていたのではないか。混乱はあったにせよ、2019年以降も純文学を重視する傾向が継続されるのではと筆者は考える。

アジア・アフリカ世界に注目

アジア・アフリカ世界からの受賞者はまだ少ない。今後、まだ受賞者がいない韓国や東南アジア、イラン・イラクなどの中東諸国、アフリカの現地語の文学者から選ばれることが予想される。

韓国では長年、ノーベル文学賞への期待が高まるが、これまでに有力候補とされていた詩人の高銀(コ・ウン)はセクハラ問題と高齢のため、受賞はかなり難しくなったと思える。小説家の黄晳暎(ファン・ソギョン)も有力候補の一人だろう。ベトナムのバオ・ニン、台湾の朱天文、朱天心姉妹なども、アジア圏からの候補として期待できる。

ヨーロッパ語系でも、比較的受賞者の少ないイタリア語やポルトガル語 (ブラジルポルトガル語も含む)、東欧諸国から受賞者が出る可能性はある。

ノーベル文学賞が、左右の過激主義を排し、世界的なベストセラーであってもエンターテインメント作品を排していることは、これまでの歴史から明らかだ。グレアム・グリーンが何度も候補になりながら受賞を逸したのも、アガサ・クリスティーやスティーブン・キングなどは候補にも挙がらなかったのも、このためである。

かつて、英国の首相だったウィンストン・チャーチルがノーベル文学賞を受賞した際に、スウェーデン・アカデミーの選考委員会は、多くの批判を浴び、その後反省して、現役(あるいは引退したとしても)の有力政治家を候補から外すことにしたという。フランスのアンドレ・マルローが受賞できなかったのは、そうした配慮が働いていたと思われる(マルローは、ドゴール内閣で文化相を歴任)。ペルーのバルガス・リョサが、日系人のアルベルト・フジモリを破って大統領に当選していたとしたら、2010年のノーベル文学賞受賞はなかったかもしれない。

いずれにせよ、ノーベル文学賞が普遍的なヒューマニズムを基とした「世界文学」の理念を追求するものであるということは、恐らく今後も変わらないだろう。その理念がうまく反映されたとは思えないケースも少なくはないが、西欧近代文学の枠を広げて、人類や民族や国家を超えた「世界文学」の理想に向かってまい進することを止めることはないはずだ。

バナー写真:ノーベル文学賞発表の際には、有力候補とされる村上春樹氏の受賞の報せを待つファンたちの集いが開かれる(2016年10月13日、東京都杉並区/時事)

この記事につけられたキーワード

文学 村上春樹 ノーベル文学賞

川村 湊KAWAMURA Minato経歴・執筆一覧を見る

文芸評論家、法政大学名誉教授。1951年生まれ。韓国・東亜大学助教授などを経て、1999年~2017年3月まで法政大学国際文化部教授。1995年『南洋・樺太の日本文学』で平林たい子文学賞、2004年『補陀落―観音信仰への旅』で伊藤整文学賞。『村上春樹はノーベル賞をとれるのか?』(光文社新書、2016年)、『原発と原爆』(河出書房新社、2011年)など著書多数。

このシリーズの他の記事