ノーベル文学賞 “狂騒曲”:川端、大江から村上春樹まで
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カズオ・イシグロは「日本人」枠か
1901年にノーベル文学賞選考が開始されて以来、「日本人」の受賞者は3人である。川端康成(1968年)、大江健三郎(94年)、カズオ・イシグロ(2017年)だ。川端の時には谷崎潤一郎、大江の時には安部公房、そしてイシグロには、村上春樹という強力なライバルがいたと思われる。谷崎、安部の場合は受賞する前に亡くなったので、死者には授与しないというノーベル委員会のルールによって受賞はかなわなかった(例外はノーベル文学賞の選考委員を長らく務めたスウェーデンの詩人エリク・カールフェルトが1931年、没後に受賞した1件のみ)。
イシグロの場合は、英語で小説を書く日系英国人作家だが、長崎に生まれて幼少期を過ごし、5歳の時に家族で渡英、後に英国籍を取得した。その背景から、「日本人作家」として遇されても不思議はない。2000年に受賞した高行健(カオ・シンジェン)はフランス在住の亡命作家で、フランス国籍だが、「中国人」作家とカウントされる(中・仏両語で創作する)。
もちろん、ノーベル文学賞の選考過程は50年間秘匿されるので、17年のイシグロの受賞時に村上春樹が候補者として挙がっていたのではないかというのは、筆者の臆測に過ぎない。しかし、川端の受賞から26年後に大江の受賞、それからイシグロまでが23年と、「日本人」の受賞が二十数年のサイクルになっているとすれば、17年の「日本人」枠の中で、イシグロと並んで村上春樹が有力候補として浮上していたとしても、決して不思議ではない。英国のブックメーカー(公認賭け屋)のノーベル文学賞予想オッズ(掛け率) も、近年、ハルキ・ムラカミへの数値は高く、イシグロよりも “上位の人気”を集めていた。
村上春樹の受賞はあるか
大江の受賞の際もそうだったが、村上春樹がノーベル文学賞を受賞するか否かを巡り、近年は“ノーベル賞狂騒曲”とも呼べるような騒ぎが、日本のメディアで繰り広げられていた。テレビ、新聞、雑誌では、受賞時の本人へのインタビューなどが難しいと思われていることから(平時でも、村上春樹に対するインタビューは難しいが、ノーベル文学賞の決定時期になると、日本を離れて海外へ避難するといわれている)、関係者への事前取材、コメントの録画取材、予定稿の記事作成など、てんやわんやの取材合戦が、ノーベル文学賞が発表される10月の木曜日の直前に展開されるのである。
しかし、もしイシグロの受賞が「日本人」への授賞であると主催者のスウェーデン・アカデミーが考えていたとすると、村上の受賞は少なくともここ十数年の間はないものと思われる。日本人への授賞サイクルは、前述のようにおよそ二十数年に1回と考えられるからだ。
今度、2040年代にサイクルが回ってきた時には、村上もかなりの高齢となり、それまで健在でいられるかどうか保証の限りではない。それに、多和田葉子や中村文則などの次代のライバルがすでに台頭してきている。
「翻訳文学賞」としてのノーベル文学賞
これまで、日本人としてノーベル文学賞にノミネートされたことが判明しているのは、受賞者を除き、賀川豊彦、谷崎潤一郎、西脇順三郎、三島由紀夫の4人である。この他、安部公房、井上靖、津島佑子が候補者として名前が挙がっていたとされ、実際に検討されていたことはほぼ間違いないだろう。それ以外にも、遠藤周作、井伏鱒二、大岡昇平、中上健次などは、候補に挙がっていたとしてもおかしくはない。
ノーベル文学賞はスウェーデン・アカデミーから選ばれた選考委員会が選考し、授賞を決定するが、これまで選考委員の中には日本語を解する人物はいなかった。選考委員が候補者の作品を直接に読んで選考するのだろうから、英・仏・独・スペイン語のような西欧言語以外での言語使用者には不利であることは言うまでもない。こうした言語に翻訳された作品しか選考の対象にならないわけで、日本人として候補に挙がった文学者は、日本人作家としては例外的に西欧言語に翻訳された作品が多いか、自分で英語などの言語で作品を書くことができる人物である。
日本人として初めてノーベル文学賞候補となった賀川豊彦は、早い時期にその作品が英訳され、キリスト者の社会運動家として欧米圏で講演を行い、教会関係者に多くの知人を持っていた。日本国内での文学者としての評価とは、必ずしも直接リンクしていないことがこのことからも分かる(彼は、現在の日本文学史の中ではすでに忘れられた存在である)。また、西脇順三郎は早くから英語による作詩を始め、英文詩集を出している。
ちなみに、三島由紀夫に関しては、後日ドナルド・キーンが興味深いエピソードを披露している。東京都知事選を舞台にした『宴のあと』をキーンの英訳で読んでいたデンマーク人の作家が、選考委員会に助言を求められた際、「三島は左翼」だから授賞はふさわしくないと言ったために三島は受賞を逃し、その結果、川端康成が日本人初の受賞者となったというのだ。三島の失意は大変大きかったといわれている。
ノーベル文学賞は、「翻訳文学賞」でもあると言える。英・仏・独・スペイン語以外でスウェーデン・アカデミーが把握できるのは、恐らくロシア語や中国語程度かと思われる。それ以外の言語で書かれた作品は、こうした言語に翻訳されない限り、検討の対象にもならないだろう。日本人以外のアジア・アフリカの言語の受賞者には、ベンガル語のタゴール、アラビア語のナギーブ・マフフーズ、トルコ語のオルハン・パムク、中国語の莫言がいる。受賞者が少ないのは、翻訳が存在しないか、極めて少ないからだろう。
波紋を呼んだボブ・ディランの受賞
2019年のノーベル文学賞は、18年分と合わせて発表される。スウェーデン・アカデミーの関係者による性的暴行スキャンダルや、機密漏えいの問題があって、18年の受賞者発表は1年間休止となり、翌年回しとなったためだ。しかし筆者は、これは16年のボブ・ディラン受賞の混乱にも一因があったのではないかと思っている。初期はともかく、近年は、小説、詩、戯曲の文学ジャンルに限定されていたノーベル文学賞を、シンガー・ソングライターであるボブ・ディランに授与するというニュースは、世界中を驚かせた。
15年のノンフィクション作家スベトラーナ・アレクシェービッチ(ベラルーシ)の場合のように、ノーベル文学賞の幅を広げたという肯定的な評価とともに、伝統的な文学の価値観を逸脱したものとして、厳しい批判、否定的な評価も聞こえたのである。ホメロスの名前まで持ち出して、ディランへの授賞の正当性を強弁する選考理由には、筆者は首をかしげたものだった。
授賞発表後に事務局が本人としばらく連絡が取れなかったことや、授賞式への欠席など、奔放なディランの言動には賛否両論があった。最終的は多数決で決定される選考の過程でも、選考委員会内部での葛藤や抗争が当然あっただろう。翌年はカズオ・イシグロが選ばれ、本来の伝統的な純文学作品の路線に立ち戻った感があるが、委員会内部ではディランへの授賞を巡る混乱が尾を引いていたのではないか。混乱はあったにせよ、2019年以降も純文学を重視する傾向が継続されるのではと筆者は考える。
アジア・アフリカ世界に注目
アジア・アフリカ世界からの受賞者はまだ少ない。今後、まだ受賞者がいない韓国や東南アジア、イラン・イラクなどの中東諸国、アフリカの現地語の文学者から選ばれることが予想される。
韓国では長年、ノーベル文学賞への期待が高まるが、これまでに有力候補とされていた詩人の高銀(コ・ウン)はセクハラ問題と高齢のため、受賞はかなり難しくなったと思える。小説家の黄晳暎(ファン・ソギョン)も有力候補の一人だろう。ベトナムのバオ・ニン、台湾の朱天文、朱天心姉妹なども、アジア圏からの候補として期待できる。
ヨーロッパ語系でも、比較的受賞者の少ないイタリア語やポルトガル語 (ブラジルポルトガル語も含む)、東欧諸国から受賞者が出る可能性はある。
ノーベル文学賞が、左右の過激主義を排し、世界的なベストセラーであってもエンターテインメント作品を排していることは、これまでの歴史から明らかだ。グレアム・グリーンが何度も候補になりながら受賞を逸したのも、アガサ・クリスティーやスティーブン・キングなどは候補にも挙がらなかったのも、このためである。
かつて、英国の首相だったウィンストン・チャーチルがノーベル文学賞を受賞した際に、スウェーデン・アカデミーの選考委員会は、多くの批判を浴び、その後反省して、現役(あるいは引退したとしても)の有力政治家を候補から外すことにしたという。フランスのアンドレ・マルローが受賞できなかったのは、そうした配慮が働いていたと思われる(マルローは、ドゴール内閣で文化相を歴任)。ペルーのバルガス・リョサが、日系人のアルベルト・フジモリを破って大統領に当選していたとしたら、2010年のノーベル文学賞受賞はなかったかもしれない。
いずれにせよ、ノーベル文学賞が普遍的なヒューマニズムを基とした「世界文学」の理念を追求するものであるということは、恐らく今後も変わらないだろう。その理念がうまく反映されたとは思えないケースも少なくはないが、西欧近代文学の枠を広げて、人類や民族や国家を超えた「世界文学」の理想に向かってまい進することを止めることはないはずだ。
バナー写真:ノーベル文学賞発表の際には、有力候補とされる村上春樹氏の受賞の報せを待つファンたちの集いが開かれる(2016年10月13日、東京都杉並区/時事)