モディ首相2期目のインドと日印関係の将来
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2019年5月に実施されたインド総選挙で、事前の予想を覆してナレンドラ・モーディー(モディ)首相率いるインド人民党(BJP:Bharatiya Janata Party)連合が圧勝した。日本政府、経済界の反応は大歓迎だったようで、安倍晋三首相は外国首脳として真っ先にモーディー首相に祝意を伝え、外交関係者は「今後5年の日印関係は、安全保障や経済協力など最良の期間になる」と述べたと報じられた(『朝日新聞』5月24日朝刊)。
モーディーがいつまで首相を続けられるかという問題はあるが、筆者はBJP連立政権は長期政権になると予想している(中溝 2019)。本稿においては、インドのBJP連立政権と日本の関係について、日本人としてどのように関わっていけばよいか、インド研究者の立場から考えてみたい。
インドの歴代首相(1980年以降)
1980-84 | インディラ・ガーンディー | 国民会議派 |
---|---|---|
1984-89 | ラージーブ・ガーンディー | 国民会議派 |
1989-90 | V.P.シン | ジャナター・ダル |
1990-91 | チャンドラ・シェカール | ジャナター・ダル |
1991-96 | ナラシマ・ラーオ | 国民会議派 |
1996 | アトゥル・ビハーリー・ヴァージペーイー | インド人民党 |
1996-97 | デヴ・ゴウダー | ジャナター・ダル |
1997-98 | インデル・クマール・グジュラール | ジャナター・ダル |
1998-2004 | アトゥル・ビハーリー・ヴァージペーイー | インド人民党 |
2004-14 | マンモーハン・シン | 国民会議派 |
2014- | ナレンドラ・モーディー | インド人民党 |
インド人民党は宗教政党
インドとの関係を考える上で、最初にBJPの性格を把握しておくことは肝心である。BJPは、インドをヒンドゥー教徒の国にする事を目指す宗教政党である。親団体として民族義勇団(Rashtriya Swayamsevak Sangh)を擁し、民族義勇団を中心とする諸団体は、サング・パリワール(Sangh Pariwar)と総称される。
彼らが思想のよりどころとするのは、V.D.サーヴァルカルのHindutva(Hinduness:ヒンドゥー性、1923年出版)であり、この中でヒンドゥーとは、共通の民族、共通の人種、共通の文化を持ち、インドが父なる土地であるばかりでなく聖地である人々と定義されている。それ故、イスラームやキリスト教に改宗した人々は、ヒンドゥーと同じ父なる土地に生まれ、文化を共有しているにもかかわらず、聖地がインドの外にあるためヒンドゥーとはなり得ない。
モーディー首相再選後、ムスリムが襲撃される事件が相次いでいるが、これらはインドをヒンドゥー教徒の国にするという主張の極端な形での現れである。
モーディー政治:経済成長とヒンドゥー至上主義
モーディー首相は、民族義勇団出身の生え抜きであり、ヒンドゥー国家の実現を固い政治信条としている。日本では、経済改革の主導者として取り上げられることが多いが、この点だけを強調するのは偏りがある。モーディー政治は、経済成長とヒンドゥー至上主義を両輪としており、片輪だけでは動かない。今回の選挙戦でも、雇用問題解決の失敗をパキスタン空爆によって埋め合わせたが、両輪政治の象徴的な出来事と言えよう。
元々モーディーが政治家として能力を発揮したのは、宗教暴動においてであった。BJPが1984年下院選挙の大敗から大幅に議席を伸ばした89年下院選挙の後、さらなる党勢拡大のため聖地アヨーディヤを目指した山車行進(90年)を企画したのはモーディーであった。山車行進に伴う宗教暴動の死者は600名を超え、ヒンドゥーとムスリムの対立は激化した(中溝 2012: 249-257)。
極めつけは、2001年に彼がグジャラート州首相に就任した後に起こった02年グジャラート大虐殺である(中溝 2015: 219-243)。政府集計で1180名が犠牲になった大虐殺にモーディーは関与したとされ、後に法的には免責されたものの、国際社会からは指弾された。米国がモーディーに入国禁止措置を取ったことは有名である。著名な政治学者のヴァナイク・元デリー大学教授は、モーディーが首相就任後わずか3年あまりで60カ国以上を公式訪問したのは、02年大虐殺によって国際社会から押された「Pariah(不可触民)」という烙印を払拭するためだと分析している(Vanaik 2017:369)。
02年大虐殺の約9カ月後(02年12月)に行われた州議会選挙で、モーディーはヒンドゥーとムスリムの対立を煽って大勝する。権力基盤を固めた後は政策の軸を経済成長に移し、インド平均を上回る経済成長を実現して「グジャラート・モデル」を提示するまでに至った。14年総選挙の勝利は、経済成長への期待が何よりも大きく、第1期の5年間で、測定方法に疑義は出されているものの、平均7%の経済成長率を実現した。
同時に、ヒンドゥー至上主義の実践も怠らず、ムスリムなど宗教的少数派に対する抑圧の新しい戦略を編み出した。それが雌牛保護団などに代表される自警団組織による抑圧であり、02年グジャラート大虐殺のような大宗教暴動は控えられる一方で、自警団組織の活動は全国に拡大していった。先に紹介したように、彼らの活動は、第2次政権成立後、いよいよ活発になっている。
2019年8月5日に唐突に発表された、ジャムー・カシミール州の自治権を剥奪し、連邦直轄地とした決定もヒンドゥー至上主義の一環である。BJPの三大アジェンダの一つであった憲法370条の撤廃を実現し、残る二つのアジェンダ、すなわち、統一民法典の制定(ムスリム家族法の廃止)、アヨーディヤでのラーム寺院建設も今後推進することになるだろう。ムスリムに対する抑圧は苛烈さを増し、印パ関係も更に緊張していくことが懸念される。
モーディーの事情・安倍の事情
こうした性格を持つモーディー政権とどのようにつきあっていけばよいだろうか。冒頭で述べたように、両首脳は蜜月と評されるほど仲が良いようである。モーディーは首相就任後、南アジア諸国以外では初の外遊先として日本を選んだ。理由はそれほど難しくない。米国をはじめとする欧米諸国が2002年大虐殺の責任を問うなかで、日本は一切不問に付したからである。不問に付すどころか、グジャラート州に投資を続け、首相への道を開いてくれた。モーディーが恩義を感じるのは、当然であろう。
安倍としても、インドには深い思い入れがある。安倍政権がインドを重視する理由の一番は、中国包囲網を形成することであるが、これに加えて大東亜共栄圏をイデオロギー的に支える国になりうると考えていることがある。西洋列強による植民地支配の打倒という大東亜戦争のプロパガンダのもと、インド国民軍を結成してインパール作戦に日本軍と共に従軍したのはインド人であり、東京裁判でA級戦犯全員を無罪とする意見書を提出したのはインド出身のパル判事であった(※1)。
後述のように、日本の戦争がインドに間接的とはいえ甚大な被害をもたらしたにも関わらず、全ての対日請求権を放棄したのはインドであり、インドを訪れた初の首相は岸であった(堀本 2017:14-15)。安倍が07年に首相として初めて訪印した際、病身を押してパル判事の長男に会いに行ったのは、この文脈で理解できる。インド国会での演説では、「極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパール判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」と賞賛した(※2)。
日印関係をめぐる2つの神話
しかし、インドは、本当に大東亜共栄圏を支持する存在だったのか。ガーンディーやネルーは日本の帝国主義・軍国主義を厳しく批判したことで知られ(竹中 2017: 302)、実際にインド国民会議派は日中戦争では中国を支援していた。インド国民軍を率いたチャンドラ・ボースを支持した人はいたが、独立運動全体の中では少数派であり、傍流に属していたと言えよう。
「大東亜戦争を支持するインド」と並ぶ神話として、「日印間には歴史問題が存在しない」という神話がある。筆者も、中国研究者から同趣旨の事を言われた経験がある。しかし実際には、日本の戦争はインド社会に大きな損害を与えた。日本による英領インドへの軍事作戦としては、日本兵に大きな犠牲を出したが故にインパール作戦がよく知られているが、日本軍は1942年に英領ビルマを占領した後、カルカッタを含むベンガル湾沿いの英領インド・セイロンの重要都市に空爆を行なっている。
筆者がスリランカのトリンコマリーを訪れた際には、当時の日本軍による空襲が「自爆攻撃」として今もなお記憶として受け継がれていた。何よりも大きな被害は、1942年から43年にかけて起こったベンガル大飢饉であろう。これは来たるべき日本の侵攻に備えて、英国植民地政府が実施した「拒絶作戦」の結果、ベンガル地方の交通の要であった船が接収され、結果として穀物の運搬を行えずに推定300万人が餓死したとされる大飢饉である(※3)。
300万人といえば、日本が太平洋戦争で失った犠牲者数にほぼ匹敵し、間接的とはいえ日本の戦争がインド社会に途方もない犠牲を生み出したことがわかる。同じく「拒絶作戦」が実施されたオリッサ州では、農民が「我々は日本軍の侵入前に殺されなくてはならないのか」とガーンディーの弟子ミラ・ベンに窮状を訴えたことが報告されている(長崎 1989: 192 )。
これらの事実を講義で話しても、知っている学生はまずいない。おそらく、かなりの日本人が知らないのではないかと推察される。日印関係を語る際に、戦前のヴィヴェーカーナンダやタゴールとの交流について語ることは結構だが、そこまで遡るのであれば日本軍国主義がインド社会に及ぼした甚大な被害をきちんと認識することは重要だろう。
インドとのつきあい方
さてここまで踏まえた上で、ヒンドゥー至上主義が支配するインドとどのようにつきあっていくべきだろうか。2つ提案したい。第1に、首脳会談などでお題目となっている「共通の価値観を共有する」という言説を、お飾りのままにさせないことである。共通の価値観とは、自由と民主主義、人権の尊重を指すようだが、ムスリムをはじめとする宗教的少数派が迫害されている現在のインドでは、これらの価値観が遵守されているとはおよそ言えない。牝牛保護団など自警団組織によるムスリムの迫害については、インドでの報道はもちろんのこと、米国務省の信教の自由に関する年次報告書でも、かなり詳細に指摘されている点である(※4)。
安倍首相は初訪印時の格調高い演説で、「私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います」と断言している(※5)。安倍政権には、有言実行を求めたい。日本の最重要同盟国である米国は、宗教的少数派の迫害に対する懸念を示すのみならず、宗教的少数派の指導者やNGO団体と積極的に交流している。日本政府も、首脳会談の場などで人権侵害に対する懸念をきちんと伝え、対策を講じるよう促すべきである。そして、パキスタンとの関係については、自制を強く促すべきであろう。
ただ、現実には、安倍政権がモーディー政権に人権侵害に関し、何らかの働きかけを行うとは考えにくい。その時に鍵となるのは、日本とインドの市民の連帯である。モーディー政権は、インド国内で活動するNGOに対し、とりわけ政権に批判的なNGOについて海外からの資金援助を絶つ方策を実施してきた。実際に筆者の知人が運営するNGOも、この政策により活動を縮小するところまで追い込まれている。
こういう状況において、国境をまたいだ市民間の連帯は難しくなっているが、インドで人権侵害に立ち向かう人々に「あなたたちは一人ではない」とメッセージを送ることは重要である。インドに関する情報は日本語ではまだ手に入りにくいが、報道も次第に増えてきている。メディアもインドで実際に起きていることを今まで以上に日本の読者に届け、日本の読者も傍観者ではなくより積極的に知ろうとする努力が、現在、グローバルに起こっている民主主義の危機を解決する第一歩となるであろう。
第2点目は、軍事協力の拡大へ警戒心を持つことである。石油輸送のシーレーンを確保し、自由で開かれたインド太平洋を目指すという名目の下、インドを含む多国間の枠組みで軍事的な協力が拡大している。実際には中国の「真珠の首飾り」戦略に対抗するための、いわば中国封じ込め作戦の軍事化とも言える。
現在の憲法下で自衛隊の活動がどの範囲まで許容できるかは大いに議論があるところだが、現実にはなし崩し的に拡大していると言えよう。日印関係の優先分野として、経済協力と並んで軍事協力が直ちに挙げられる状況があるが、両政府の目的を慎重に見極めていく必要があるだろう。
日本とインドは、第2次世界大戦後のアジアで、民主主義の実践を誇れる国である。民主主義の危機がグローバルに拡大し、インドがその最先端を走り、日本でも表現の自由が深刻に脅かされる中で、市民が果たしうる役割は決して小さくない。よりよい世界を構築するために、日本とインドの市民が知恵を出し合って協力することが、両国が何よりも大事にしてきた自由民主主義を守る道である。
謝辞:本稿の執筆にあたっては、中里成章・東京大学名誉教授より貴重なコメントをいただいた。記して感謝申し上げる。
参考文献
日本語
- 竹中千春 2017、「第13章 権力移行期の世界と日印関係の創造的可能性」堀本武功編 『現代日印関係入門』東京大学出版会、285-309ページ
- 堀本武功 2017、「第1章 1990年代を転換期とする政治関係」堀本武功編『現代日印関係入門』東京大学出版会、13-33ページ
- 中里成章 2007、「日本軍の南方作戦とインド-ベンガルにおける拒絶作戦 (1942~43年)を中心に-」『東洋文化研究所紀要』151、149-217ページ
- —— 2011、『パル判事-インド・ナショナリズムと東京裁判』岩波新書
- 長崎暢子 1989、『インド独立-逆行の中のチャンドラ・ボース』朝日新聞社
- 中溝和弥 2012、『インド 暴力と民主主義-一党優位支配の崩壊とアイデンティティの政治』東京大学出版会
- —— 2015、「グローバル化と国内政治―グジャラート大虐殺と『テロとの戦い』」、
- 長崎暢子・堀本武功・近藤則夫編『深化するデモクラシー』〈シリーズ現代インド3〉東京大学出版会、219―243ページ
- —— 2019、「モーディーはなぜ圧勝したか-2019年インド総選挙の分析と展望」『世界』923号(2019年8月)、250-261ページ
英語
- Nakazato, Nariaki, 2016, Neonationalist Mythology in Postwar Japan : Pal’s Dissenting Judgement at the Tokyo War Crimes Tribunal, Maryland, Lexington Books
- Sabarkar, V.D. 1989, Hindutva: Who is a Hindu (6th Edition), New Delhi, Bharti Sahitya Sadan
- Vanaik, Achin, 2017, Hindutva Rising: Secular Claims, Communal Realities, New Delhi, Tulika Books
バナー写真:G20大阪サミット出席のため、関西国際空港に到着したインドのモディ首相(左)=2019年6月27日、大阪府(時事)
(※1) ^ 日本における「パル神話」創造の虚構を実証的に証明した優れた研究として、中里(2011)を参照のこと。英文の著作として、Nakazato (2016)を参照のこと。
(※2) ^ 外務省「インド国会における安倍総理大臣演説 二つの海の交わり」(2007(H19)年8月22日)(https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0822.html、2019年8月2日最終確認)
(※3) ^ 犠牲者は通常300万人とされているが、政府に任命された調査委員会は100万人から200万人と推定している。中里(2007:190)を参照のこと。
(※4) ^ US Department of State, Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor, INDIA 2018 INTERNATIONAL RELIGIOUS FREEDOM REPORT (https://www.state.gov/reports/2018-report-on-international-religious-freedom/india/ 2019年8月2日最終閲覧)
(※5) ^ 上述、外務省「インド国会における安倍総理大臣演説 二つの海の交わり」参照のこと。