“限界集落” 団地から考える移民と高齢化問題

社会 Books 暮らし

安田 浩一 【Profile】

高齢化が進み、外国人住民が増えた団地は日本社会の縮図だ。世代間、文化の摩擦はあるが、住民同士の交流促進や多文化共生の試みも進む。各地の団地を取材した筆者は、団地の活性化は日本の希望の光になり得ると言う。

「外国人の侵略」=メディアやネットがあおる言説

私は各地の団地を訪ねた。多くの団地で、外国人住民が増えていることが分かった。

関東や関西では、中国系住民が過半数に迫る団地が少なくなかった。自動車関連工場の多い東海地方では、住民の主役は日系南米人である。江戸川区(東京都)の団地にはIT関連で働くインド人住民が急増している。神奈川県の横浜市と大和市の間に広がる県営いちょう団地には、20カ国におよぶ国籍の人々が暮らしていた。

そしてやはり、多くの団地が、外国人を好まない人々の偏見にさらされていた。

だが、一部のメディアやレイシストが騒ぐほどの「被害」など、ほとんど存在しなかった。団地の内実を知らないメディアやネットの書き込み、レイシストの言説が「脅威」をあおり立て、住民の一部が疑心暗鬼に陥っている、という構図ばかりが見て取れた。つまり、日本社会の排他的な空気によって、団地では小さなトラブルが「外国人犯罪」であるかのような文脈に絡めとられてしまっているのである。

例えば芝園団地のある日本人住民は、私にこう打ち明けた。「この団地には広い中庭があるので、昔から近隣の悪ガキたちのたまり場になっているんです。そうした者たちのいたずらを、中国人の仕業だとけん伝する住民もいます。例えば、夏祭りの前夜に、盆踊りの舞台に飾られたちょうちんが壊されるという事件が起きました。目撃者もいたことで、“犯人”は団地の外に住む日本人の中学生グループだということは分かったのですが、それでも、中国人がやったに違いないといううわさが、あっという間に広がりました」

また、別の住民もこう話した。「生活習慣の違いなどからゴミ出しなどのトラブルもあったことは事実ですが、外国人だって団地生活が長くなれば、最低限のルールは覚えてくれます。いまでもメディアが『何かトラブルはないか』と聞きに来るのですが、それは昔の話だと答えると残念そうな顔をして帰っていきます」

そう、外国人に団地が「侵略されている」といった構図を欲しがる外部の人間の存在こそが、脅威を生み出しているといえよう。

“限界集落”団地の希望の光に

団地の住民にとって、より深刻なのは高齢化問題だ。

多くの団地で、日本人住民のほとんどが65歳以上、単身高齢世帯も少なくない。孤独死が相次いでいるのも団地のいまの風景だ。

住民が高齢者ばかりという理由で、かつては花形行事だった夏祭りや運動会を取りやめてしまったところも多い。自治会活動も低調で、私が足を運んだ団地のほとんどは自治会長が70代、80代の高齢者だった。

私は、こうして限界集落と化した団地を救う存在こそが、外国人だと思っている。

いまは互いの無関心、あるいは摩擦や軋轢(あつれき)を恐れたゆえの距離感によって、日本人住民と外国人住民の間には、まだ深い溝がある。

だが、前出の芝園団地では、2015年に大学生を中心に結成されたボランティア組織「芝園かけはしプロジェクト」が、多文化共生を促進するためさまざまなプログラムを企画、実施している。また18年、自治会は役員に外国人を迎え入れた。こうして住民の積極的な交流を図ることで、たそがれていた団地に活気が戻りつつある。同じような試みが各地で進行中だ。

高齢化と外国人の増加という点で言えば、団地は日本社会の縮図だ。その中からいま、暗く沈んだ団地の空気を変えようとする動きが、芽生えている。

だからこそ私は、団地こそこの国の未来であり、あるいは希望かもしれないと思っているのだ。

(2019年7月 記)

バナー写真:「Brillia多摩ニュータウン」(2013年、東京都多摩市/時事)

この記事につけられたキーワード

外国人労働者 高齢化 移民 多文化共生

安田 浩一YASUDA Kōichi経歴・執筆一覧を見る

ノンフィクションライター。事件・社会問題を主なテーマに執筆活動を続ける。1964年生まれ。ヘイトスピーチの問題について警鐘を鳴らした『ネットと愛国』(講談社)で2012年、第34回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書多数。最新刊に『地震と虐殺 1923-2024』(中央公論新社)。

このシリーズの他の記事