村上春樹英語圏デビューから30年:翻訳で読む日本文学の可能性

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河野 至恩 【Profile】

日本文学のイメージを一新した村上春樹の登場以降、多彩な作家、ジャンルの作品が英語をはじめ各国語に翻訳されている。今後、「日本文学」という枠を超えた世界で読まれる文学として、翻訳の在り方を問われる時期に来ている。

日本文学から「世界文学」へ

日本近現代文学は、翻訳で多様な姿を見せ始めている。

ある特定の日本文学や日本文化のイメージに合うかどうかという視点から自由になって、今後の日本文学は「世界文学」として価値を持つ作品としてさまざまな角度から読まれるようになるだろう。海外の読者を通じて、日本語話者が気付いていなかった意外な価値に気付かされることもあるはずだ。

「翻訳」という概念も捉え直す時期に来ている。例えば桜坂洋(さくらざか・ひろし)のライトノベル『All You Need is Kill』は、英訳出版後、ハリウッドで『Edge of Tomorrow』 として映画化された。キャラクターの属性、地理的な舞台背景は大きく変えられたが、エイリアンとの激しい戦闘で、戦死する度に出撃前にループして戻り、同じ1日を何度も体験する主人公の「設定」は忠実に「翻訳」された。興味深いのは、「ビデオゲームをプレイするプレイヤーの経験をなぞる」というオリジナルに存在するモチーフが、映画の視聴者にも伝わっていたことであった。キャラクターや場所に大きな変更を加えても、「ビデオゲーム的な物語」というモチーフが伝わったならば、作品の核心部分が伝わったといえるのだろうか。何をもって「忠実な翻訳」とするかについて考え直す必要があるのかもしれない。

世界はかつてないスピードで変貌し続けている。翻訳で文学を読む読書環境も、電子書籍の普及、翻訳テクノロジーの進歩、ソーシャルメディアの普及など、30年前とは似ても似つかないものになっている。こうした状況において、日本文学は翻訳でどのような価値を持つことができるのだろうか。翻訳文学を語る上で「誰の・どの作品を・どのように訳すか」が問われることが多いが、今後は、変わり続けるこの世界でその作品がいかなる価値を持ちうるのかという本質的な問題が、これまで以上に問われるのではないかと思う。

左から、桜坂洋(さくらざか・ひろし)のライトノベル『All You Need is Kill』、村上春樹『After Dark』、多和田葉子の『Das Bad』(『うろこもち』独語版)と全米図書賞を受賞した『The Emissary』(『献灯使』英語版)、村田沙耶香『Convenience Store Woman』(『コンビニ人間』英語版)
左から、桜坂洋(さくらざか・ひろし)のライトノベル『All You Need is Kill』、村上春樹『After Dark』、多和田葉子の『Das Bad』(『うろこもち』独語版)と全米図書賞を受賞した『The Emissary』(『献灯使』英語版)、村田沙耶香『Convenience Store Woman』(『コンビニ人間』英語版)

(2019年5月 記)

バナー写真:世界中の言語で翻訳、出版されている村上春樹の単行本(時事)

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上智大学国際教養学部准教授。1972年生まれ。ボードイン大学で物理学・宗教学を専攻。プリンストン大学大学院比較文学部博士課程修了(専攻は日本近代文学・英文学)。同大学非常勤講師、ウィスコンシン大学客員助教授などを経て現職。2012年、ライプツィヒ大学客員教授としてドイツ・ライプツィヒに滞在。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、訳書にHiroki Azuma, Otaku: Japan's Database Animals(東浩紀『動物化するポストモダン』の英訳、ジョナサン・エイブルと共訳)など。

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