中国新経済の「光と影」、デジタル化加速—対外経済貿易大・西村教授に聞く

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中国は国家主導でキャッシュレス社会を推進している。現金が消え、新ビジネスが花開く半面、「監視社会」リスクもはらむ。『キャッシュレス国家 「中国新経済」の光と影』の著者、西村友作氏に最新事情と今後の課題を聞いた。

西村 友作 NISHIMURA Yūsaku

対外経済貿易大学国際経済研究院教授。1974年生まれ、2002年から北京在住。2010年に中国の経済金融系重点大学である対外経済貿易大学で経済学博士を取得し、同大学で日本人初の専任講師として採用される。副教授を経て、2018年から現職。日本銀行北京事務所客員研究員も務める。専門は中国経済・金融。

社会がひっくり返るような変化を目撃

——中国で流れている時間は、人間の7倍というドッグイヤー並みの速さといわれています。北京在住18年、インターネットをベースとする「新経済」(ニューエコノミー)を現場で目撃し、変化の激しさをどのように体感していますか。

中国では社会の変化のスピードが速いといわれていますが、本当に速い。2008年の北京オリンピック前後の変化もまた大きかったと思います。オリンピックを経験した人たちは、きちんと並ぶなどマナーが飛躍的に高まりました。

もともと経済、社会の変化が激しかったわけですが、さらに大きくギアチェンジしたのは2014年、15年ころモバイル決済が浸透し始めてからです。スマートフォン(スマホ)が急速に普及したこの4、5年、現金を持ち歩かないキャッシュレス生活が可能になるなど、まさに社会がひっくり返るような変化をこの目で見てきました。

スマホが社会のインフラとなり、モバイル決済が中国人の生活にすっかり溶け込んでいるのです。北京のレストランではテーブルにあるQRコードをスキャンするとメニューが出てきて注文でき、支払いもスマホで済む。店員は料理を運んでくるだけです。タクシーを呼ぶのも、料金の支払いもスマホ。無人コンビニや無人カラオケまであります。公共料金の支払いやお年玉、災害義援金への寄付まであらゆる場面でスマホ決済が利用され、現金を持ち歩かずにスマホ1台で生活できる社会が実現しています。キャッシュレスでは、日本より中国の方がはるかに先行しています。

決済を制する者が「中国新経済」を制す

——本書でも紹介されていますが、中国のモバイル決済額は2017年に202兆9000億元(3246兆4000億円)と、日本の名目国内総生産(GDP)の5倍以上に達しています。モバイル決済はなぜ、急拡大したのですか。

経済活動において最も必要とされるのは「信用」です。中国ではもともと信用が一部欠如していました。中国新経済の大きな特徴は、信用を担保した「決済」が起点になっていることだといえます。

中国には「害人之心不可有、防人之心不可無」(人を害する心があってはならないが、悪人を防ぐ心は無くてはならない)ということわざがあります。中国社会は性善説ではなく、性悪説で成り立っています。中国政府が発表した文書『社会信用体系建設計画要綱(2014-2020年)』にも「社会の信用意識とレベルが低く、誠実で信義を重んじる社会的気風が醸成されていない」と書かれています。

毎日の買い物や外食でもごまかされたり、偽物の製造・販売があったりしては、とても安心して暮らせません。モバイル決済をプラットホームにした中国新経済のコア(核心)は取引の安全性、つまり信用の構築なのです。経済活動に必要不可欠な信用を担保することで、モバイル決済が一気に広がったのです。まさに「決済を制する者が、中国新経済を制す」という構図です。

——中国の二大プラットフォーマーについて教えてください。

外部企業へビジネス基盤と製品やサービス、システムなどを提供して高い収益を上げる事業者がプラットフォーマーと呼ばれています。世界的には、米国のGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)が有名ですが、中国最大の電子商取引サイトを運営する「阿里巴巴集団」(アリババ)と、中国最大のチャットアプリ「微信」(ウィーチャット)を運営する「騰訊控股」(テンセント)の両社が中国の二大プラットフォーマーといわれ、さまざまな領域で激しい競争を繰り広げています。

2000年代初め、中国ではクレジットカードは普及していませんでした。そのころ、電子商取引、インターネット・ショッピングが始まりましたが、届いた商品が壊れていたり、見本と違ったりとトラブルが少なくありませんでした。こうしたネット取引の安全性、すなわち信用を担保することをテクノロジーで解決したのがアリババの第三者決済サービス「支付宝」(アリペイ)でした。購入者と販売者の間にアリペイが入り、取引の安全性に責任を持つことで、売り手のモラルハザード(不正行為)を防ぎ、利用者が安心してショッピングできる画期的な決済プロセスを開発したのです。

アリペイが導入された2004年当初は、パソコンからの注文が主体でした。それが2007年にiPhoneが登場すると、一気にスマホの時代が幕を開けます。

スマホの爆発的な普及に伴い、それまでパソコン上でしかできなかったオンライン決済機能を携帯できる、つまり持ち運べるようになりました。そこでテンセントは2013年、コミュニケーション・ツールであるウィーチャットに決済機能を組み込んだ「微信支付」(ウィーチャットペイ)のサービスを開始しました。私が北京でスマホ決済のQRコードを見かけるようになったのは翌14年ころですが、16年ころになると、レストラン、スーパー、コンビニなどだけでなく、道端の露天商を含め、ほぼすべての店舗でスマホ決済できるようになりました。北京の街角で楽器を演奏したり、歌ったりする人たちがいますが、おひねりを入れてもらう箱のそばには必ずQRコードが貼ってあります。

人口14億人近い中国で、インターネット人口は今や8億2900万人、その98.6%がスマホを使っているといわれています。そして中国のモバイル決済市場は、アリペイとウィーチャットペイの二大サービスが約9割を占めているのです。

イノベーションで社会問題を解決する

——中国の李克強首相は3月5日の政府活動報告で「大衆による起業・革新が一段と進み、1日当たりの新規設立企業数が1万8000社を超え、市場主体の総数が1億社を超えた」と述べました。

中国政府は起業、イノベーションを後押ししています。政府は政策を動員して起業がしやすい環境づくりを進めていて、それをビジネスチャンスと捉えて起業に挑む若者たちが多くいるのです。それが実際にイノベーションを起こして、経済の発展につながっています。

——日本では規制ががんじがらめで、なかなかイノベーションが生まれないといわれていますが、中国では政府だけでは解決できない社会問題が山積していて、そこにビジネスチャンスがあるという事情もあるようですが。

これは本書には書いていませんが、例えばドローンでモノを農村部に運ぶ物流ビジネスを開発することは大変有意義だと思います。中国では航空は厳しく制限されていますが、それを開放してドローンを飛ばしモノを農村部に届けてあげる。そうすれば、ドローンを運営する民間企業にとってプラスになるし、政府は道路や鉄道などのインフラ整備に過度な投資をしなくて済む、農村部の人たちは都会の人たちと同じように買い物できる。「三方よし」のビジネスモデルになるでしょう。

国家主導の「社会信用システム」構築へ

——中国のモバイル決済は金銭的には「無料」ですが、ユーザーは「個人データ」を対価として提供する仕組みです。アリババなどプラットフォーマーはユーザーから大量の個人信用情報を集めています。ビッグデータは現代の「宝の山」ともいわれていますね。

中国政府は今、「社会信用システム」の構築を進めています。これは本書で書いている「中国新経済」と密接な関係があります。アリペイやウィーチャットペイなどのモバイル決済は、第三者決済サービスと総称され、信用を担保することによって経済の取引を円滑に進めることに成功しました。

プラットフォーマーが信用を担保したことで、そこに個人信用情報が集まるようになり、それを使って新しいビジネスが生まれました。例えばアリババグループ傘下の金融サービス会社、アント・フィナンシャルの信用調査サービス「芝麻信用」(ゴマ信用)です。ゴマ信用は、アリペイの使用状況や過去の返済記録、学歴、職歴、資産状況、交友関係などの個人情報をもとに「信用スコア」(最低350点、最高950点)が算出されるサービスで、高得点のユーザーはホテル、レンタカー、シェア自転車のデポジットが不要になるなどさまざまな特典があります。ちなみに私の信用スコアは687点で、私が利用できる特典は196種類です。

国家主導の社会信用システムの中に、民間のプラットフォーマーを取り込もうという動きも始まっています。具体的には、政府系業界団体が筆頭株主の「百行征信有限公司」(バイハン・クレジット)が2018年2月、中国人民銀行から個人信用調査許可証を公布され、10月から運用を開始したばかりです。

バイハン・クレジットの株式構造は、政府系業界団体が36%、残りの64%はアリババ系、テンセント系など8社の民間信用調査会社がそれぞれ8%ずつ保有しています。中国政府が目指す社会信用システムの構築は、二大プラットフォーマーなど民間を巻き込んで個人信用情報を吸い上げるなど、国家主導の中央集権的モデルで進められようとしているのかもしれません。

プライバシーと監視社会リスク

——中国は人工知能(AI)や顔認証技術でも世界の最先端を走っています。中国の人たちは「監視社会」リスクをどのようにとらえていますか。

国家レベルではありませんが、最新の動きとしては、北京市が2018年11月、「ビジネス環境のさらなる改善の行動計画(2018-20年)」を発表しました。北京市内の常住人口の全員をカバーする「個人征信分」(個人信用スコア)を2020年末までに導入することが狙いです。

北京市が個人信用スコアをどのように取り扱うのか、現時点ではわかりません。しかし、最新テクノロジーと組み合わせれば、将来的にはいろいろな可能性が考えられます。例えば、中国の監視カメラネットワーク「天網」にはAIによる最先端の顔認証技術が搭載されています。中国メディアによると、その性能は「毎秒30億回の照合が可能」「一対一での識別制度は99.8%」だそうです。身分証番号とひもづければ、ほとんどの国民の日常行動などを監視カメラを通じて特定できるかもしれません。

日本の報道などを見ていると、英国の作家、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』(1949年刊)で描かれたような監視社会が中国に到来しているといった論調が目立ちますね。北京で中国の友人らに聞くと、もちろんプライバシーは大事だという声は多いです。一方で、監視カメラで犯罪が減るなど社会が安定するのであれば、それもいいという意見があります。つまり両論あるのです。

日本では想像できないかもしれませんが、中国では最近、犯罪組織による児童誘拐や人身売買が頻発し、大きな社会問題になっています。3歳児の誘拐の実話をもとに制作された映画『最愛の子』(原題:親愛的、2014年公開)が大ヒットしましたが、中国では年間20万人の子どもが誘拐されているとの報道もあります。一人っ子の多い北京では、幼稚園や小学校の登下校時に大勢の両親や祖父母が送り迎えし、周辺が大混雑する光景が見られます。誘拐が心配だからです。

私が大学で教えている学生たちに監視カメラについて聞くと、「誰が一番困るかといえば、犯罪をしようとしている人だ。まっとうな生活をしていれば、何の影響もない」との回答が多いのも事実です。

超学歴社会による人手不足、国際化が課題

——モバイル決済によるデリバリー・サービスなど「新経済」でも配達などで人手は必要です。中国の生産年齢人口(15〜59歳)は2011年をピークに減少し始めています。新経済システムの今後の課題について聞かせてください。

QRコード決済、高速鉄道、ネット・ショッピングと並んで中国の「新四大発明」と呼ばれた自転車のシェアリング・サービスも、乗り捨ての自転車を駐輪区域に並べ直しているのは「農民工」と呼ばれている農村からの出稼ぎ労働者たちです。この「労働集約型」のビジネスモデルは、宅配など新ビジネスの多くで採用されていますが、農民工は今後、加速度的に減少していきます。

他方、一人っ子政策の影響もあり、若年世代の高学歴化が加速しています。大学進学率は1997年の9.1%から、2017年には45.7%に急上昇し、同年の卒業生は800万人近くに達しました。中国は今、超学歴社会を迎えているのです。

科挙の文化もあって、大卒者はエリート意識が強く、就職口がなくても配達員とかはやりません。つまり労働市場はホワイトカラー市場とブルーワーカー市場で完全に分断されている状況です。農民工など若い労働力が不足していく中で、ビジネスモデルの根本的な変換が急務になっています。

中国新経済のもう一つの特徴は「内向き」だということです。中国では、情報監視システムが国家プロジェクトとして構築、運営されており、グーグルやフェイスブック、ツイッターなど海外サイトにアクセスすることを厳しく制限されています。インターネット環境は極めて閉鎖的です。

国内に巨大マーケットがあるため、サービスの多くが中国人ユーザーだけを意識した設計になっています。短期で訪れる外国人旅行者や出張者には使い勝手が悪いのです。スマホでタクシー配車やデリバリー・サービスを依頼すると、ほとんどの場合、運転手や配送スタッフから電話がかかってきて居場所を確認されるため、そもそも中国語で会話できなければ対応できません。国際化が今後の大きな課題といえます。

日本は令和を迎えキャッシュレス元年になるか

——日本は令和の時代に入り、キャッシュレス元年を迎えられるでしょうか。新経済で先行する中国との協力関係は築けるでしょうか。

日本では経済産業省が2018年4月に「キャッシュレス・ビジョン」を発表し、モバイル決済でメガバンクがQRコードの規格を統一することで合意するなど、キャッシュレス社会の実現に向けた動きが始まっています。今年10月に予定されている消費税の増税に伴う景気落ち込み対策として、キャッシュレス決済時のポイント還元も準備されています。

中国でのモバイル決済は、この数年間の実践でさまざまな経験を積み重ねてきました。本書で指摘したように、新経済には「光」の部分も「影」の部分もあります。中国の動向は、日本がキャッシュレス社会を推進していくうえで貴重な参考材料になるでしょう。

中国に住んでいると、まだまだ日本の技術が使えると実感しています。労働力不足の問題にしても、日本の得意とする自動化、機械化の技術、ノウハウが役立ちます。

私が注目しているのは、日本の優れた「おもてなし」文化です。本書にも書きましたが、中国から日本に旅行する人たちが2018年には838万人にも達し、中国人が「おもてなし」を知ったことが大きな転換点になっています。日本に行った友人たちは「なんて素晴らしい国なんだ。あんなサービスは中国にはない」と口をそろえて言います。

キャッシュレス社会の消費シーンではどんどん「無人化」が進んでいますが、その対極にある「おもてなし」を望み、おカネを払う消費者も出てきます。そこに新しいビジネスチャンスがあると思います。世界に誇れる「おもてなし」のノウハウを持った日本企業が中国の中に入っていけば、日中の新たな協力関係も生まれるのでないでしょうか。

バナー写真:インタビューに応じる中国・対外経済貿易大学の西村友作教授
本文写真:インタビューする泉宣道氏

キャッシュレス国家 「中国新経済」の光と影

西村友作(著)
発行 文藝春秋
発行日 2019年4月20日
文春新書 240ページ
定価 850円+税
ISBN 978-4-16-661213-0

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