戦後80年の節目での「歴史戦」

2020年代の歴史認識問題―よりグローバルな認知戦の一環に変容

国際・海外 政治・外交

川島 真 【Profile】

戦後80年の今年、「歴史認識問題」は、10年前、20年前とは様相を異にしつつある。世界の大国としてふるまいたい中国は、より大きな認知戦の一環として、国際秩序そのものの「現状変更」のための「工作」を企図しているようにも見える。

変遷する歴史認識問題の核心

戦後50年の村山談話が出された1995年、戦後60年の小泉談話が出された2005年、戦後70年の安倍談話が出された2015年、歴史認識にはそれぞれの時期の特徴があった。

1990年代は、日本国内に過去に決着をつけようとする世論があったものの、韓国では民主化に伴ってさまざまな個人が歴史を語り始めていた。中国でも同様の現象が見られ始めていたが、他方で愛国主義教育などにより共産党政権が新たな正当性を確立しようとしていた。2005年、日中間では歴史認識問題が激化し、激しい反日デモなどが生じていた。中国が世界第2位の経済大国に躍進していた15年、習近平政権はロシアとの協調を深めつつも、中国やロシアが欧米先進国とともに主要戦勝国として戦後世界を創造してきたと主張し、自らが世界の主流に位置していることを内外に印象付けようとした。

2015年から10年を経た現在、歴史認識問題は新たな様相を見せている。戦後80年にあたる25年、再び歴史が注目され、日本としては諸事態に対処しなければならない。その際、この2020年代における歴史認識問題の特徴、背景を踏まえておくことが必要だ。その特徴、背景を考察するのが本稿の趣旨である。

国家や政権の正当性強化のための歴史政策

近代国家は、「国民」が共同幻想としての「わたしたち」という紐帯(ちゅうたい)を生み出し、国民を統合するための装置として国家史を創出し、それを学校教育や社会教育を通じて国民に広める。このことは現在も同様であり、新しい国家では当然「歴史」が重視される。中国でも国民統合のための歴史の物語、また中国共産党の正当性を強調する物語が創出され、教育や宣伝を通じて国民に植え付けてきた。

教育や宣伝で語られる歴史の物語は、歴史学の生み出す研究成果と同じではない。ただ、戦時下の動員体制、あるいは現在の中国のように政治が強い場合には、歴史学は政治に動員されがちになる。内外からの危機を強調して国家の安全を国策の主軸に据える習近平政権の下では、歴史学への管理が強化、徹底されている。社会科学院の歴史関係部門は統合され、また「学術性の高い」一部の歴史学者に対して「虚無主義(中国共産党による社会主義建設に何ら貢献しないもの)」だと断定して批判する傾向が強まった。

また、教育や宣伝で語られる歴史の物語は、政策の変化に応じて姿を変える。中国でも、鄧小平の時代には経済発展の歴史や20世紀前半の中華民国の時代の研究が進んだのに対し、習近平の時代になると政府よりも党を重んじる政策に連動して「中国共産党史」が重視され、中国近現代史が「党史」中心に組み替えられつつある。また、日本との関係で見れば、抗日戦争史が一層重視されるだけでなく、日中戦争の時期も1937年からではなく1931年から1945年までとされるなど教科書の叙述も変わった。なお、日中戦争の時期の国民党と共産党との協力などはほとんど重視されなくなった。これも2016年以降、中国共産党が国民党との「国共合作」によって台湾統一を目指すという方針を放棄したことに関連する。

大衆化し、分断される「歴史」と感情

以上述べてきたような近代以来の現象に加えて、昨今顕著なのが、歴史の書き手としての「大衆」の登場であり、また歴史の物語の分断化である。前者は、インターネット、SNSの普及によって、従来は限定されていた歴史の書き手が急速に多様化し、歴史学者によって描かれる歴史がむしろ少数派になった。無論、従来から郷土史家など市井に多くの歴史の語り手がいたが、昨今は歴史の書き手が激増し、状況が大きく変化したのである。

興味深いことは、SNSで語られる歴史が必ずしも単純な自己主張ではなく、何かしらの「根拠(のようなもの)」を示していることだ。これは、歴史史料がオンラインなどで容易に閲覧可能になったことにも由来する。無論、歴史学から見れば、史料批判も先行研究も踏まえていないと見なされるのだが、それでもSNSの空間では「もっともらしさ」が流布している。これは、歴史学者の専門性を相対化することにつながり、歴史をめぐる語り、議論を一層複雑にしている。

後者については、グローバル化が格差の拡大を促し、社会の分断が深まっていることと関わる。社会的分断と歴史観は往々にして深い関係にある。米国でのBLM運動や「偉人」「英雄」評価にまつわる社会運動は広く知られているが、社会的な分断が深まることで弱者、あるいは貧困層とリベラルな歴史観とが共鳴することもあれば、逆に強いナショナリズムを内包する歴史認識を抱くこともある。また、台湾のように、族群(エスニシティ)や世代などの社会的な亀裂に応じて多様な歴史観が形成されることもある。

なお、政治、国際政治の分野では、「感情」が極めて重視されるようになり、合理的な選択を行う理性的な個人というよりも、さまざまなメディアなどによって喚起された感情どうしが「共感」することが重視される時代になった。この感情が歴史とも結びつきやすいことは言うまでもない。これもまた2020年代の特徴だ。

国際的な言論空間での歴史の語り

次に国際的な言論空間に目を向けてみよう。世界的な歴史言説はやはり大国や先進国の創出する物語が優勢だった。例えば、近代での植民地支配の過程でその植民地の歴史を宗主国が近代的な歴史学に基づいて描き、その植民地元来の歴史物語にとって代わることも少なくなかった。その後、植民地が独立しても、宗主国による歴史の語りを克服して自らの歴史を描き直すことは容易ではなかった。

また、例えば国際政治史や外交史の分野では、その根拠となる外交文書を多く公開してきたのは英米をはじめとする先進国だった。彼らが公開した外交文書こそが世界の国際政治史の叙述の基礎になったのであり、外交文書を公開できていなかった開発途上国の物語は必ずしも十分に世界の国際政治史の語りに反映されてこなかった。

しかし、21世紀に入り、まさに先進国の国際社会における影響力が後退するのに伴い、歴史をめぐるナラティブも変化が生じ始めている。国力をつけたアジアやアフリカ諸国が自ら史料を蓄積し、いっそう学術的に、力強く歴史物語を描き出そうとしている。そこには国際政治史や外交史も含まれる。無論、そこには濃厚な政治性が見られ、またナショナリズムも強く存在する。だが、端緒についたばかりとはいえ、アジア、アフリカ諸国自身の歴史研究の著しい進展を基礎に、世界の歴史は新たに描き直されつつあると言えるだろう。

サンフランシスコ体制への疑義も

それでは、アジア、アフリカ諸国自身の歴史研究にはどのようにみられるのか。ここでは権威主義体制下にある国々、とりわけ地域大国、また世界の大国として振る舞おうとする国に注目したい。

中国の習近平政権は、国内では一党独裁体制を強化すべく思想統制を強化し、特に歴史を重視する。そこでは、中国共産党史が国史より重視され、学校教育や社会教育でその徹底が図られ、それに反対した歴史研究者は「虚無主義」などと批判される。大学でも胡錦濤時代から大学の文理共通必修政治科目とされた中国近現代史綱要が、習近平政権の下で党史を中心に再編された。対外的にも、従来から自らの歴史認識や領土問題についての「正しさ」を喧伝していたが、昨今ではロシアやベラルーシとともに、「正しい第二次世界大戦史」の物語を世界に伝え広めていこうとしている。戦後80年の節目として5月9日の対ドイツ勝利記念日、9月3日の対日勝利記念日などでは活発な活動が展開されるだろう。

だが、昨今見られているのは、国内、国外向け歴史政策の一元化だ。確かに、戦後70年にあたる2015年前後、中国は自らが第二次世界大戦の戦勝国であることを主張し、中国が米国、英国とともに戦後世界を創ってきたことを強調していた。それもまた、世界が多極化していく中で、中国もまた世界の一つの主要な極であることを主張しようとするものであった。その意味では、政策に連動した歴史言説はすでに2010年代に見られていた。

そして、戦後80年にあたる2025年の中国の歴史政策はまさに認知戦の一環として、より多様な領域の政策それぞれと一体化したものとして、SNSや多様な手段によって、内外に向けて発せられている。

例を一つ挙げれば、中国の提起するサンフランシスコ講和条約体制懐疑論がある。これは中国の「研究者」が主に中国国内で展開している議論で、戦後の東アジアの基礎とも言えるサンフランシスコ講和条約やそれに基づく体制は「無効」だとするものであり、戦後日本のありようはもちろん、台湾、沖縄、そして朝鮮半島などの位置付けの根幹に疑義を呈する。またサンフランシスコ講和条約は、1942年1月の連合国共同宣言に反する米国の策謀の結果だとして、現在の東アジアの米国を軸とする「かたち」の根拠を否定する。

沖縄の地位は未定、台湾はカイロ宣言に基づいて中国に返還すべきなどというその議論は、台湾統一を目指し、また米国の主導性を減じようとする中国の政策を支える物語となっている。すなわち、「現状を変更」のための認知戦の一環として発せられている歴史物語だと考えられるのだ。今後、日本を含む東アジア諸国や世界にもその議論の矛先を広げていく可能性が高い。

2025年にはさまざまな歴史をめぐる議論が国内でもなされるだろう。だが、歴史問題のありようが10年前とは(連続しながらも)変容していること、より大きな認知戦と深く関わるようになってきていることは念頭においておくべきだろう。

バナー写真:2024年10月、ロシア中部カザンでのBRICS首脳会議で言葉を交わす、習近平・中国国家主席(左)とプーチン・ロシア大統領(スプートニク=共同)。ロシアによると、習主席は5月にモスクワで開催の対ドイツ戦勝記念式典に出席する。

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    nippon.com編集企画委員。東京大学総合文化研究科教授。中曽根平和研究所研究本部長。専門はアジア政治外交史、中国外交史。1968年東京都生まれ。92年東京外国語大学中国語学科卒業。97年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学後、博士(文学)。北海道大学法学部助教授を経て現職。著書に『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会/2004年)、『近代国家への模索 1894-1925』(岩波新書 シリーズ中国近現代史2/2010年)など。

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