日本の断層:世代間ギャップの現在

「夫婦別姓」とはいかなる問題か? ──認識の世代間ギャップを超えるために

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世代間で「賛成」「反対」の傾向が比較的はっきり分かれ、法改正が実現しないままにある「選択的夫婦別姓」導入。筆者は、この問題に対する不十分な理解や誤解が、世代間における認識のギャップにもつながっていると指摘する。

夫婦同姓の強制

2024年4月にNHKが実施した「選択的夫婦別姓」に関する世論調査によれば、「賛成」が62%、「反対」が27%という結果であった。年代別でみれば、60代以下の年代はいずれも「賛成」が70%を超え、「反対」を大きく上回った。一方、70歳以上は「賛成」が48%、「反対」が40%であった。近年実施されたその他の多くの調査においても同様に、夫婦別姓をめぐる世代間の意識のギャップが明らかにされている。

こうした世代間のギャップの背景には、多様な家族像を受け入れる価値観の浸透や、女性が婚姻・出産後も就労を継続する共働き世帯が増加したことなどがあるだろう。

近年、日本では多様化する家族への注目が高まり、しばしば事実婚がその象徴の一つとして取り上げられることが多い。

事実婚を選ぶ人は、法律婚に否定的なために事実婚を選ぶ、といったように、一般的には、事実婚は法律婚と対になる言葉だと考えられている。しかし、日本ではこのイメージは必ずしも正しいとは言えない。

もちろん、法律婚を拒むために事実婚を選択するカップルも一定数いるものの、日本の事実婚カップルの多くは夫婦別姓をその理由としており、もし夫婦別姓の選択が認められるならば法律婚をしたいと考えている当事者が多いことに特徴がある。夫婦が姓のあり方を自由に選択できる国では、姓のみを理由に事実婚を選択するということはほとんどない。その意味で、日本の事実婚は多様な選択肢を排除する法制度ゆえに生じている面が強い。

結婚した夫婦が必ず同じ姓を名乗らねばならないと法律で規定しているのは、世界的に見ても今や日本だけである。「結婚後も自分の姓を変更したくない」と考える二人が出会って結婚しようとしても、それが許されない社会なのである。民法では、男女いずれかの姓を協議のうえ決める旨が定められているが、結婚した夫婦の約95%が夫の姓を選択しているという現状にある。

「夫婦別姓」が社会問題としてさまざまな場面で語られるようになった一方で、この問題が多くの人に正確に理解されているとは言い難いというのが私の実感である。問題に対する不十分な理解や誤解が、世代間における認識のギャップにもつながっているように思う。以下では、私がこれまで事実婚当事者に実施した調査に基づき、夫婦別姓問題がいかなる問題であるのか、と同時に、“いかなる問題ではないのか”について、これまで見過ごされがちであった論点に焦点を当てながら検討していくことにしたい。

「夫婦別姓」という言葉

少々奇妙な表現になってしまうが、「夫婦別姓」のために事実婚を選択している人たちの多くは「夫婦別姓」を望んでいるわけではない。これまで行った調査で気付かされるのは、選択的夫婦別姓制度を望む人々の多くが、「別々の姓にしたい」と考えているのではなく、「自分の姓を変えずに結婚したい」と考えているということである。

「別姓」という名称が生み出すミスリードの効果に注意しなければならない。

仕事やアイデンティティ、家族の事情などさまざまな理由から婚姻改姓を望まない人が増加傾向にある。しかし、たまたまそのような二人が出会い結婚を望んだとしても日本の制度では法律上の結婚が許されない。 

現在「選択的夫婦別姓制度」として議論されているのは、「同姓か別姓か」、そのどちらが正しいのか、どちらが平等なのか、どちらが個人を尊重するものなのか、といったことではない。あくまで結婚をする際に、「一方が姓を変える」という強制に対して、双方が姓を継続的に名乗ることも選択肢として認めるべきか否かということである。まずこの点を強調しておきたい。

旧姓の通称使用をめぐって

一方が婚姻改姓を余儀なくされる日本では、1990年代から婚姻後も職場で旧姓を通称使用することを認める企業が増えてきた。

2021年に最高裁が民法の夫婦同姓規定を合憲と判断した際にその理由の一つとして、「旧姓の通称使用」がすでに日本社会では広く認められていることを挙げたことは記憶に新しい。近年、選択的夫婦別姓制度に対する批判や不要論では、この「旧姓の通称使用で十分事足りる」という論調が支配的になっている。

しかし、旧姓の通称使用が認められた歴史的経緯を考えればこれは驚きに値する主張である。旧姓の通称使用の権利は、当事者たちが夫婦別姓の選択肢がない日本社会において、ある種の妥協案として勝ち取った権利だからである。それにもかかわらず、現在では、選択的夫婦別姓に反対する人々が「旧姓の通称使用の広がり」を根拠に持ち出す。逆手に取っているといってもよいだろう。

そもそも、旧姓の通称使用が広く浸透してきているといわれるものの、現実にはおよそ半数の企業では認められていない。たとえ認められていたとしても、職務や書類のすべてで認められているわけではないことも多い。姓をめぐって職場で困難な状況に陥ったり、不利益を被る女性が多くいるのである。

夫婦別姓は「働く女性」のため?

旧姓の通称使用や選択的夫婦別姓制度の必要性については、「女性の社会進出」や「女性活躍」といった言葉とひもづけて語られる傾向が強い。たしかに、この問題が社会で注目されるようになった背景には、女性の就労率が上がり共働き夫婦が増加したこと、それにともない、婚姻改姓をめぐり困難を抱える女性の存在が顕在化したことがある。

しかし、夫婦同姓の強制を「女性も働くのが当然となった現代には不都合だ」というロジックでのみ批判することにも注意が必要だ。婚姻姓の問題を「働く女性」のみに関わる問題だと考えるべきではない。

私が話を聞いた事実婚当事者には、専業主婦やパートタイマーの女性たちも多くいた。彼女たちは必ずしも仕事のために改姓を拒んでいるのではない。それゆえ、「働く女性に必要だから」という論理だけで夫婦別姓が必要だと語られてしまう風潮にもどかしさを感じたり、悲痛な思いを抱いていたりする。

姓や名前に対する個々の心情は実にさまざまであり、仕事における好不都合だけで語られるべきものではない。姓の問題を「働く女性の問題」のみに矮小(わいしょう)化すべきではないのである。

意図せざるプライバシーの開示

しばしば夫婦別姓の問題は「夫婦が姓を同じにするか、別々にするか」という二者間の選択の問題としてのみ理解されてしまう傾向がある。しかし、この問題はこうしたミニマムな次元に還元されるものではない。

まず、女性の多くは改姓により否応なく結婚したことを対外的に示すことになる。もし後に離婚して元の姓に戻ることになれば、離婚したことも示すことになる。約95%の女性が夫側の姓に改姓する現状では、離婚原因が夫側にあったとしても、プライバシーの開示を強いられるのはほとんどが女性側である。プライバシーの尊重が厳しく言われる時代であるにもかかわらず、本人が意図せずとも女性のみが個人情報の開示を強いられる現状がある。

さらに、同姓を強制する現行の制度は親の離婚を経験する子どもにも重くのしかかる。離婚後に8割以上の子どもが母親に引き取られる状況で、子どもの多くも改姓を強いられる。親の離婚や再婚による子どもの姓変更は「一戸籍同一氏」を原則とする現行法ゆえに生じている。

それ以外にも国際結婚や事実婚などすでに親と子が異なる名字を持つ家族は現実に数多く存在している(そもそも国際結婚では原則「別姓」である)。姓についての選択肢を用意することが多様な境遇の子どもの福祉や利益に大いに寄与しうるにもかかわらず、この点は無視され続けている。今なお、夫婦別姓批判の理由としてたびたび持ち出されるのが「子どもがかわいそう」であるが、むしろ画一的な姓のあり方しか認めない現状で不利益や偏見にさらされる子どもが多くいるのである。

夫婦別姓問題の枠組みを問いなおす

以上述べてきたように、選択的夫婦別姓制度の是非をめぐる議論では、この問題をいかなる問題として枠づけるかという「フレーミング」も重要になるだろう。

繰り返しになるが、選択的夫婦別姓制度の論点は、「同姓か別姓か」ではなく「強制的同姓」の賛否を問うものであり、この枠組みこそが議論の前提とされなければならない。「夫婦別姓も認めるべきか」と問うのではなく、「夫婦同姓の強制は是か非か」と問うことが重要なのである。

当然ながら、姓の選択をめぐる問題の主な当事者はこれから結婚しようと考える若年世代であり、まず若年層の要望や意識が政治にしっかり反映されることが重要である。

とはいえ、同時に、この問題の当事者が若年世代や事実婚カップルだけの問題でないという点にも留意しなければならない。事実婚を選択するということは簡単なことではなく大きな覚悟がいる決断であり、致し方なく一方が改姓をして法律婚をしたという潜在的な当事者は、数字では決して表れないものの、数多く存在しているからである。

世代間ギャップを超えるためにも、現に生じているさまざまな問題の現状や多様な当事者の存在がもっと社会に知られる必要がある。姓をめぐって困難や生きづらさを抱える人々の多様な声に耳を傾け、姓の選択肢を増やすことで社会にもたらされるメリットを考えていかなければならない。

バナー写真:夫婦別姓を求めた集団提訴で、東京地裁に向かう原告ら=2024年3月8日(共同)

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