大転換した日本の安全保障政策

神保謙氏インタビュー(前編):「台湾有事」対応と日米同盟維持に向き合った今回の「国家安全保障戦略」

政治・外交

nippon.comの竹中治堅・編集企画委員長(政策研究大学院大学教授)が神保謙・慶応義塾大学教授(国際安全保障論)にインタビューし、2022年12月に改訂された国家安全保障戦略など「安保3文書」のポイントについて聞いた。前編は、「台湾有事」対応に劇的に変化した日本の戦略とその背景について分析する。

神保 謙 JIMBO Ken

慶應義塾大学総合政策学部教授、公益財団法人国際文化会館常務理事、キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。専門は国際安全保障論、アジア太平洋の安全保障、日本の外交・安全保障。1974年生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了(政策・メディア博士)。同大学講師、准教授を経て2008年から現職。

「対中劣勢」に正面から対応

竹中 政府がこのたび策定した国家安全保障戦略と国家防衛戦略、防衛力整備計画のいわゆる「安保三文書」について、どのように読み解けばいいのかお伺いしたい。まず、今回の改訂をどう評価されているのか。

神保 日本を取り巻く安全保障環境は劇的に変化していて、それも絶えず変化を続けている。かつてであれば米国は地域全体で圧倒的な軍事的優勢を保ち、日本も中国に対して相対的な優位性があった。2005年まで日本の防衛費は中国の国防費を上回っており、海上・航空優勢を維持できる環境にあった。現在の中国は米国に対する接近阻止・領域拒否能力を高め、日本に対して恒常的に優位となってしまった。日本の安全保障戦略は根本的な転換を図る必要があることに、正面から向き合った戦略文書だと思う。

厳しい安全保障環境の核にあるのはパワーバランスの変化だ。中国の国防費は、ドル換算で日本の6倍以上で、正面装備の量と質の伸びは著しい。第4第5世代戦闘機、水上艦艇、潜水艦、ミサイルが強化され、自衛隊の装備をはるかに凌駕している。日本が対中劣勢を、戦略の前提としなければならない所以だ。

2つ目の根本的な変化は、同盟関係の在り方だ。米国の強さに依存して「ここから先は全部お任せします」という形の同盟関係は、もはや維持できなくなった。日本の防衛を可能な限り日本自身が担い、日米同盟における日本の役割を抜本的に強化していくことが求められるようになった。2013年の国家安全保障戦略とか、18年の「防衛計画の大綱」と比べても、今回の3文書は「日本がやるべき事はこれだけある」ということが中心に書いてある。

かつての日本の防衛大綱は日本自身の防衛、日米同盟、多国間協力という3つの手段を並列的に記載していた。しかし、今回の3文書は「日本がやるべきこと」を中心軸として書いている。現在の同盟を機能させるためにも、まず自分たちがしっかりするという意識を明確にしている。

対外的には「政策の大転換」アピール

3番目は、やはり防衛費の大幅増を決め、GDPの2%水準という数字を示したということだ。本格的な長期政権だった安倍政権でも実現できなかったことを、岸田政権が実現させたということは非常に重みがあると思っている。またその中で、かつては「敵基地攻撃能力」と言っていた、相手の領域内における「反撃能力」を今回の戦略で導入したことを含め、今回の国家安全保障戦略は戦後の分水嶺となるような、大きな決断だった。

岸田首相は1月の米国訪問時、ジョンズ・ホプキンス大学の演説で、日本の国会では話さないような面白いことを言っている。自分が成し遂げたことについて「1960年の日米安保条約改定、2015年の安保法制、そして今回(の国家安全保障戦略と防衛費増)」だと。やはり今回、日本の防衛政策は大転換したと本人は自覚しているということだと思う。政府は、国内的には「専守防衛は変わっていない」「日米の基本的な関係は変わっていない」と説明するが、対外的には大きく変わった点を強調している。

日米統合演習で、公道を走行して与那国空港へ向かう16式機動戦闘車両(MCB)=2023年11月18日、沖縄県与那国町(時事)
日米統合演習で公道を走行する16式機動戦闘車両(MCV)=2022年11月18日、沖縄県与那国町(時事)

「尖閣」から「台湾有事」へシフト

竹中 近年の安全保障環境の変化について簡単に振り返りたい。中国の軍事支出が日本を上回るようになったのが2006年。日本が中国に対して劣勢になったとの認識はいつ定着したのか。

神保 実際に「海空の優勢が維持できない場合に」という言葉が防衛計画の大綱に初めて入ったのは2018年だ。また、防衛省と自衛隊の能力評価というシミュレーションで、海空優勢に対する厳しい見方は10年代の前半から挙がっていた。この問題は、前回の国家安全保障戦略(13年)でも意識はされていたが、今回は本格的に向き合わざるを得なくなったということだと思う。

前回の安全保障戦略で、脅威認識として挙げられたのは4点。1点目はパワーバランスの変化で、「機会とチャレンジの双方をもたらしている」と表現された。2点目が、北東アジアに軍事力が集中しており、そこに多国間メカニズムとして制御するものが存在しないという認識。3点目が、アジアは欧州と違い多様な政治体制があることで、共通の目標を作るのが難しいという認識。最後がグレーゾーン(平時と有事の中間にある状態)だ。2010年代は、主に尖閣を起点に戦争が起きたらどうするのか。その際に米国が関心を持ってくれるのかという問題意識で、日本は米国を引き込んでいく立場だった。

しかし、台湾有事の問題が本格的に出てくると、よりハイエンドのエスカレーション管理に焦点を変えていく必要があった。尖閣まわりのグレーゾーンからローエンド型の対応であれば、海上保安庁の役割の強化と海上自衛隊との連携をシームレスに行う、というのが中心的な論点だった。だが、今回は全く規模の違う対応が自衛隊に必要になった。防衛力に関する考え方の改革が必要となった。

例えば「敵基地攻撃能力」に関する議論は、かつて想定していたのはほぼ北朝鮮だけだった。その意味では2010年代前半の計画と今回の防衛戦略の考えは全く違う。中国と本格的に向き合うための防衛力整備に変化したということだ。

習近平体制の「終身化」でリスク意識跳ね上がる

竹中 米国が台湾有事のリスクを強く意識するようになったのは、いつ頃からなのか。

神保 最も象徴的なのは米議会でのフィリップ・デービッドソン(インド太平洋軍司令官)の「2027年」という発言(21年3月)だ。しかし、中国軍の主要装備の能力は継続的に増大しており、米国に対する接近阻止・領域拒否(A2/AD)能力の拡大は長らく意識されてきた。2020年代に入ってからの問題意識は、A2/ADに加えて、台湾への強襲揚陸作戦能力が整いつつあるということだろう。

次に大きな要因は、習近平・中国国家主席の体制がもはや「終身制」のようにみなされたことだ。「世代が変われば中国は変わるかもしれない」という期待がなくなり、習近平体制のイデオロギーを重視したシナリオを想定して中国と向き合わざるを得なくなる。政治サイクルとしては次の党大会を迎える2027年に、政治的正当性を担保するために、台湾に向き合わざるを得ないという見立てもある。

日中関係に尖閣諸島をめぐる緊張関係は依然としてあるが、相対的な緊張度は低くなっていると思う。お互いどちらかの行動が急にエスカレートするなら別だが、一線を越えない形であれば危機は「制御可能」という認識になる。ところが、台湾はそのような制御が全くない場所であり、かつ何か起きた場合はそのダメージは経済面も含めて非常に大きい。これだけ大きな問題に立ち向かうためには、どうしても基盤を整えなければいけない。

台湾有事を意識した「スタンドオフ防衛能力」

竹中 中国の軍事力が日本を大きく上回り、今後もその差は埋まるどころか広がる可能性が高い。そのような状況で、日本の防衛は今後どのような考え方に立って整備していくのか。

神保 日本の抑止力がどのような力学で成り立つのかを考える必要がある。量的な「勢力均衡」による抑止は、日中間の戦力差を考えた場合、成立しない。そこで非対称な「拒否的抑止力」を目指すという方針にならざるを得ない。これは、中国が仮に力による一方的な現状変更をしようとしたとしても、この試みを阻止できるだけの能力を持つということになる。この「相手の作戦遂行を拒否する能力」は、たとえ戦力差が「5対1」でも「7対1」でもできる可能性がある。

具体的に、中国の台湾全面侵攻シナリオを考えてみる。これは中国が台湾の防空施設を破壊し、台湾海峡での海空優勢を取り、米軍に対する接近拒否を確保した上で、機甲部隊と兵員が台湾に上陸する作戦だ。ここで日本が仮に1000発以上の長射程対艦ミサイルを九州と沖縄に配備している場合、(中国の)強襲揚陸艦に攻撃できる能力を持つことになる。中国は米軍に対する接近阻止を考えていればよかったが、今後は、「遠距離からも攻撃できる」日本とも対峙する必要があるからだ。

今回の国家安全保障戦略、防衛戦略にある「スタンドオフ防衛能力」の最大のターゲットは、中国の海上艦艇となる。現在開発が進められている12式地対艦誘導弾能力向上型の射程はおおむね1500キロ以上と推定されている。この射程1500キロは、非常に重要な意味を持つ。九州の真ん中から台湾海峡の真ん中までが、おおむね1500キロの距離だからだ。

(2023年5月12日)
(後編に続く)

まとめ:nippon.com編集部・石井雅仁
バナー写真:神保謙・慶応義塾大学教授=2023年5月12日、東京・六本木

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