安倍晋三元首相の遺産とは:安全保障政策を振り返る
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2022年7月8日、安倍晋三元総理大臣が凶弾に斃(たお)れた。安倍氏を悼む声は巷に満ちた。葬儀の行われた増上寺や、凶行の現場となった大和西大寺駅前には、多くの人が訪れた。若い人が多かった。よどんだ政治の下で、変わらない、変われない古い日本の殻を破ろうと、一人疾走した指導者だった。その姿は多くの日本人の心を打った。
安倍氏は、日本に何を残そうとしたのか。その遺産について、第二次政権の8年間の業績を外交安全保障政策を中心にまとめてみたい。
「自由で開かれたインド太平洋」構想
外交上の業績として、まず取り上げられるべきは、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想である。この構想は、瞬時にしてトランプ米大統領が踏襲した。ハワイの米太平洋軍は、インド太平洋軍に名称を変更した。オーストラリア、英国、フランス、ドイツ、欧州連合(EU)、東南アジア諸国連合(ASEAN)も次々と同様の戦略概念を打ち出した。
同構想の第一の意義は、21世紀前半の国際政治の戦略的枠組みの変貌を見事に言い当てたことである。米日・中の離間と米日・印の接近である。
現代国際政治の安定は、二つの戦略的三角形が組み合わさって実現されている。一つは、北米新大陸の米国を頂点にして、ユーラシア大陸の西端に北大西洋条約機構(NATO)、東端に日本、韓国、フィリピン、タイ、オーストラリアの同盟国を構える西側の三角形である。海洋大国系の三角形である。この三角形が取り囲むユーラシア大陸の内側には、ロシア、中国、インドの3大国が存在し、独特のダイナミズムをもった大陸国系の三角関係を構築している。
米国は、3大大陸国の関係を常に自らに有利に利用してきた。第二次世界大戦ではナチスドイツを潰すため、ナチスに侵略されたソ連を利用した。冷戦中期にはソ連と対峙するため、中ソ対立に入った中国を利用した。日本も追随した。敵の敵は味方である。米中・日中国交正常化は、デタント(緊張緩和)の時代を実現した。ただし、その副産物として、中国に1958年と62年に侵略されて対中警戒感の強いインドは、非同盟主義でありながらゆっくりとロシアに接近した。インドの兵器がかつて全てロシア製だったのはそのせいである。
今世紀に入り、米中の大国間競争の開始に伴い、インドはゆっくりとロシアから日米同盟側に旋回してきた。安倍氏は2007年8月、第一次政権時に首相としてインドを訪問した際、インド国会で「二つの海の交わり」という演説を行った。谷口智彦慶応大学教授が起草したこの演説は、太平洋地域とインド洋地域を一枚の戦略構図に書き入れ、価値観を共有するインドを西側の重要なパートナーと位置付けていた。
演説を聞いたインド国会は熱狂に包まれた。安倍氏は、この「二つの海の交わり」という構想を発展させて「自由で開かれたインド太平洋構想」を打ち出した。その中核の枠組みとして日米豪印(クアッド)を創設した。クワッドは、今や、インド太平洋地域の最重要な地政学的枠組みの一つとなりつつある。
同構想の第二の意義は、インドとの連携が民主主義国家同士の連携であるという点である。ルーズベルトとスターリンの連携はヒトラーを潰すためであり、ニクソンと毛沢東との連携はソ連に対峙するためのものであった。所詮、毒を以て毒を制すという権力政治的な発想から生まれた便宜的なものであった。これに対し、ガンジーが生み、ネルーが育てた民主国家インドとの連携は、インド太平洋地域の沿岸部から南北アメリカ大陸の太平洋沿岸部へと広がる巨大で緩やかな民主主義連合の萌芽となり得る。
開かれたインド太平洋を支えるクアッドは、米豪日印という全く歴史的、文明的背景の違う大国が、普遍的価値観を共有することで結びついた枠組みである。米国、豪州は内なる人種差別を克服し、自由と民主主義を原理とした政治体制を成熟させた。日本は早期に近代化・民主化し、第二次世界大戦での敗戦後、再び自由と民主主義を奉じて復活した国である。インドは英国の植民地時代のくびきを外し、戦後にガンジーの精神的指導の下で独立を果たした。経済規模では早晩、日本を抜いていく国である。
安倍氏は世界的指導者の一人として、自由主義的国際秩序を支える責任を迷わずに引き受けた。「世界史を振り返れば、20世紀の百年を通じて、人類社会は良い方に向かってきた。人間の尊厳は平等であり、人はみな自由であり、だからこそ話し合ってルールを作る。この価値観は、今は普遍的で地球的規模に広がりつつある」という歴史観を戦後70年談話で披露し、日本国民の強い支持を受け、アジア諸国の共感を呼んだ。
自由で開かれたインド太平洋構想は、地域秩序の権力関係の安定に関する次元にとどまらない。それは普遍的価値に基づく地球的規模の自由主義的国際秩序を作るという大戦略なのである。
集団的自衛権の行使是認にかかわる憲法解釈の変更
安倍氏は、首相として平和安全法制制定に取り組み、長年の懸案だった集団的自衛権行使を是認した。日本はサンフランシスコ平和条約、日ソ国交正常化など、あらゆる戦後の基本的国際文書の中で、日本も集団的自衛権を保有することを明記してきた。しかし、その一方で、日本国憲法9条2項が陸海空軍の保持を禁じていた。それは、冷戦開始前の日本占領初期に、GHQ(連合国軍総司令部)が近視眼的に作った日本の完全非武装条項であった。
砂川事件に関する最高裁判決(1959年)は、日本が現行憲法下でも自衛権を保持することを是認した。しかし政府は、集団的自衛権については憲法上認められていないという解釈を生み出して自らの手を縛った。米ソ対立が国内に持ち込まれた日本では、集団的自衛権を行使して日米同盟を強化したい政府自民党と、非武装中立を唱える日本社会党が激突していた。冷戦中、集団的自衛権の行使が可能か否かは、常に国家を二分する論争であった。
安倍氏の祖父である岸信介首相(当時)が60年に改定した安保条約では、米国の日本共同防衛義務(第5条)に加えて、極東条項と呼ばれる地域安全保障条項(第6条)が創設されている。その内容は、米国が日本を後方拠点として、西側に残った旧大日本帝国領(韓国、台湾)と旧米領(フィリピン)を守るというものであった。
米国は日本の軍事勢力としての再台頭を恐怖した。当時は、日本は米国という瓶の中に閉じ込めておくべき小鬼と言われていた。そのため、日本独立後の自衛隊の創設(54年)も小規模にとどめた。
冷戦が終了し、ソ連が消滅した1990年代に、北朝鮮が核兵器開発に踏み切った。米国は北朝鮮に厳しい制裁を課すとともに、第二次朝鮮戦争を危惧した。冷戦後、北海道でソ連の重圧が消えた日本に対して米国から第一次朝鮮戦争同様の支援要請が来ることが予想された。当時、橋本内閣で日米ガイドラインが改定され、小渕内閣で周辺事態法が改定され、朝鮮有事には、日本は対米軍後方支援に入ることになった。しかし集団的自衛権を行使して戦闘行為に参加することは憲法上禁止されているとの立場は変わらなかった。
安倍政権が取り組んだ集団的自衛権行使是認の憲法解釈は、日本の存立が脅かされる事態、すなわち隣家の火事が母屋に移りそうな日本周辺の事態では、本土が攻撃される前に米軍と一緒に隣国を支援して武力行使を行うことを可能とした。母屋に火が移る前に降りかかる火の粉を払うということである。それは日米同盟の抑止力を大きく上げた。
それは北太平洋における地域防衛において、日本と米国の責任が、少なくとも理屈の上では対等になったことを意味した。
防衛態勢の刷新:南方重視の統合機動防衛力整備
安倍氏は首相として、日本で初めて国家安全保障戦略(2013年)を策定し、その下で防衛大綱、中期防(ともに13年、18年)を策定した。
防衛大綱・中期防では、従来の北海道・樺太、朝鮮半島といった戦略的焦点に加えて、台湾有事を念頭に南西諸島防衛を打ち出したのが特色である。国力を巨大化させ、台湾併合を狙う中国を相手にして、広大な東シナ海海域における日本島嶼(とうしょ)防衛及び台湾有事支援は至難の業である。水陸両用機動団(3000人の旅団規模)が創設され、また、サイバー、電磁波、宇宙といった新領域にも自衛隊の活動が拡大しつつある
防衛予算は、2012年の第2次安倍政権成立当時は4兆7000億円であったが、20年の退陣時には5兆5000億円(補正を含む)となった。しかし、中国は安倍政権時代に、経済規模が日本の3倍(米国の75%)となり、軍事費が日本の5倍(25兆円)に急伸した。日本もNATO標準であるGNP2%(10兆円)の防衛予算時代に入らねばならない。今年12月の国家安保戦略改定、新防衛大綱、新中期防では、防衛予算10兆円に向けて第一歩を踏み出すことが求められている。
そもそも自衛隊は、ソ連による北海道侵略に対して数カ月間戦うことを念頭に作られ、その後の戦闘は米軍と交代することが前提となっていた。そんな自衛隊を数年にわたり中国に応戦する実力を持つようにするには、GNP2%でも足りない。
自衛隊増強の必要性を、安倍氏は十分理解していた。その遺志を継いで、日本の防衛力整備を強力に推し進めるリーダーが求められている。
バナー写真:訪日したインドのモディ首相(左)と会談前に握手する安倍晋三首相=2018年10月29日、首相官邸(時事)