ロシアのウクライナ侵攻

仲介者としてのトルコ:北欧2カ国のNATO加盟申請了承後も変わらぬ存在感

国際・海外

スウェーデン、フィンランドのNATO加盟に難色を示していたトルコが、最終的に加盟承認に転じた。ロシアはこの対応への非難を控えており、ウクライナ戦争におけるトルコの仲介者としての地位が、今後あらためて注目される。

注目を集めた3月の仲介外交

ロシアのウクライナ侵攻を受け、トルコの外交に注目が集まっている。まず、トルコの存在感が示されたのが、ウクライナ侵攻直後から展開された仲介外交であった。トルコはロシアおよびウクライナ双方と緊密な関係を保っているNATO(北大西洋条約機構)加盟国であり、ロシアの行為を非難する一方で、ロシアを国際社会から排除することには反対であった。そのため、トルコ政府は当初から積極的に各国に働きかけを行い、3月10日にロシアのウクライナ侵攻後初となる両国の外相会談をイスタンブールで実現させた。

この外相会談のためにレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は約15回、メヴルット・チャブシュオール外相に至っては約40回の会合を関係国の政策決定者たちと実施した。その後も3月29日に政府高官の会合をイスタンブールで実施するなど、仲介者として存在感を見せている。さらに、ウラジミール・プーチン大統領とウォロディミル・ゼレンスキー大統領の会合が実現した場合、会合場所はトルコが望ましいとの意見がある。

北欧2カ国のNATO加盟申請に反対

この問題に対するトルコの重要性の異なる側面がクローズアップされたのが5月後半であった。それはフィンランドとスウェーデンという北欧の2カ国がロシアのウクライナ侵攻を受け、ロシアに対する脅威認識を増大させ、自国の防衛のためにNATO加盟を申請したことであった。NATOの加盟には加盟国の全会一致での承認が必要とされる。そうした中、両国の加盟に反対したのがトルコであった。

その背景には、トルコが非合法武装組織と認定しているクルディスタン労働者党(PKK)の関係者がスウェーデンで活動していることがあった。また、両国は2019年10月のトルコの北シリア越境攻撃、いわゆる「平和の泉」作戦に際し、トルコに対して武器輸出の禁止を決定した(両国だけではなく、ドイツや英国も同様の措置をとった)。トルコはこの両国の立場がトルコの安全保障を脅かすとして、両国のNATO加盟申請に反対したのであった。

トルコにとって重いPKK問題

トルコ政府にとって、PKKは軽んじられない問題である。PKKは1984年からトルコ政府と抗争を始めており、これまでに何度か停戦があったものの40年近くにわたり両者は戦闘状態にある。2016年までに双方合わせて3万人から4万人が死亡していると言われており、国際危機グループ(International Crisis Group)の調べによると15年7月から22年6月末までに6030人が亡くなっている。ここ7年間では、圧倒的にPKKの兵士の死亡数が多いものの、トルコ人兵士も1331人死亡している。トルコ人兵士が殉職すると、新聞やニュースメディアに顔写真や家族が悲しみに暮れる姿が映し出される。国民はそうした報道を見て、PKKに対する怒りの感情を醸成させてきた。

PKKは左翼思想の中にクルド人の独立を結び付ける考えを持ち、1970年代後半にアブドゥッラー・オジャランを中心に結成された。当初は武装闘争によるクルド人の独立と国家建設を志向してきたが、その後クルド人の自治の確保に目標を変え、武装闘争と政治闘争の両方を展開してきた。その中で、欧州はPKKにとって重要な地域であった。なぜなら、クルド人ディアスポラの支援が期待できたからである。

PKKがトルコ政府と抗争を始めた直後の1985年3月にはPKKのヨーロッパ支部である「クルディスタン人民自由戦線(ERNK)」がドイツで設立された。その後、PKKの活動は80年代後半から90年代前半にネットワークの急速な拡大により活発化した。ドイツ以外にオランダ、フランス、デンマーク、スウェーデンに広がりを見せた。99年にオジャランがトルコ政府に逮捕され、武装闘争が弱体化する中でも、政治闘争の一環として欧州でのPKKの活動は継続された。現在スウェーデンに約10万人、フィンランドに約1万5000人 のクルド人が居住していると言われる。もちろん、クルド人の多くがPKK関係者および支持者ではない点は強調しておきたい。

2009年と同じ決着に

トルコ政府にとって北欧2カ国のNATO加盟申請をすんなり承認できない主な背景は、論じたようにPKKがスウェーデン、フィンランド両国で活動していることが大きい。今回のトルコ政府の対応と類似した事例は過去にもあった。それは、2009年に当時デンマークの首相を務めていたアナス・フォー・ラスムセンがNATO事務総長に立候補にした際にトルコが反対した事例である。

デンマークには約3万人のクルド人が居住しており、やはりPKKの関連団体が活動していた。とりわけトルコはデンマークの親PKKテレビ局、Roj-TVを問題視してきた。そのため、ラスムセンの事務総長立候補に、トルコは最終的には認めたものの、当初反対の姿勢を見せた。翌2010年9月にデンマーク政府はRoj-TVの活動を禁止。トルコはこの時の成功を参考とし、今回のフィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請に対応したように見える。

さらに、トルコの政権与党が来年6月に予定されている大統領選挙・議会選挙で苦戦が予想されていることも、今回の対応の背景にあった。例えば、世論調査会社Metropollによると、エルドアン大統領の支持率は2022年6月時点で約44%で、現状、大統領選挙では野党の候補に勝つのが難しいと分析されている。議会選挙でも公正発展党は第1党の座を維持すると予想されているが、その得票率は30%前後とみられ、連立が不可避な状況である。

2000年代以降、トルコの選挙に最もインパクトを与えてきたのは経済状況であった。公正発展党は2010年代前半まで高い経済成長を維持し、それを得票に繋げてきた。しかし、近年は経済状況の悪化により、得票率にも陰りが見えている。

経済に次いでインパクトを与えているのが安全保障である。例えば、2015年11月の議会選挙(同年6月の議会選挙で単独過半数の政党がなく、与党および野党が連立に失敗したために実施された再選挙)前の10月10日に、首都のアンカラでイスラーム国(IS)絡みのテロが起き、103人が死亡した。これはトルコ共和国史上最悪のテロによる死亡者数であった。そのため、翌月の選挙は安全保障が中心争点となり、安全保障政策で実績のある与党の公正発展党が圧勝することとなった。

経済状況の悪化に歯止めがかからない中で、公正発展党は15年11月の選挙のように安全保障に光を当てることも検討していると見られる。そのように考えると、北欧2カ国のNATO加盟問題をクルド問題に転換することは来年の選挙対策としても有効と考えられる。

当初、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請を承認しない姿勢を見せていたトルコは、6月28日にNATO首脳会議が開催されたスペインのマドリードで、エルドアン大統領がスウェーデンのマグダレナ・アンデション首相、フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長と話し合い、最終的に両国のNATO加盟を承認した。エルドアン大統領は、「両国から望むものが得られた」と述べており、PKKの規制やトルコに対する制裁の撤廃などで両国から妥協が得られたようである。この結末は2009年のラスムセンのNATO事務総長選出の際とほぼ同じであった。

トルコ非難を控えるロシア

トルコがすったもんだの末に北欧2カ国のNATO加盟を了承したことで、ロシアとの関係が悪化し、仲介者としてトルコの役割に疑問が呈される可能性もあったが、今のところロシアはトルコを強く非難していない。この問題に関して、トルコは引き続き仲介者の役割を担っていくと見られる。

一方で、来年の選挙を控え、トルコ政府はより内政に力を入れていくことも予想される。今後もトルコが効果的な仲介を果たせるのか、トルコの内政の動きと関連させながら注視していく必要があるだろう。

バナー写真:トルコのイスタンブールで行われたロシアとウクライナの停戦協議=2022年3月29日、トルコ大統領府提供(AFP=時事)

トルコ NATO ウクライナ侵攻