ロシアのウクライナ侵攻

プーチンが最も恐れているもの

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ロバート・パーソン 【Profile】マイケル・マクフォール 【Profile】

米国のインターネットサイトThe Journal of Democracy に2022年2月22日に公開された標記の論文(原題はWhat Putin Fears Most)を翻訳し、日本語版読者の皆さんにお届けする。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。ロシアのプーチン大統領は皆さんに、侵攻はNATO(北大西洋条約機構)のせいであると信じてもらいたいと考えている。動員された19万人に上るロシア兵や海兵ではなく、NATOの東方拡大がこの危機の主因であるとしばしば(この侵略が始まった際のロシア国民に向けた演説を含めて)主張してきた。

「ウクライナ危機は西側諸国の過ちにより引き起こされた」と主張する米国の政治学者ジョン・ミアシャイマーの2014年の『フォーリン・アフェアーズ』の挑発的な論考以来、NATO拡大に対するロシアの反動という物語がウクライナでこれまで継続してきた戦争を説明するための(正当化するためのものではないものの)主要な枠組みとなってしまった。この考えは、米国、欧州、さらにそれ以外の国々において、政治家、研究者、執筆者によって繰り返されてきた。

つまり、彼らは次のように主張する。NATOの度重なる拡大により、ロシア国境のより近くにNATO軍が迫るようになったため、ロシアの安全保障上の不安は増大し、プーチンに突然の攻撃を行わせるよう刺激した。すなわちプーチンは、2008年にジョージア(グルジア)、14年にはウクライナに武力侵攻し、かつてない大規模によることが見込まれる2度目の侵攻を行った。この説明では、ウクライナのNATO加盟問題が紛争の原因であると同時に解決ともなる。つまり加盟問題をテーブルから取り除けば、戦火は避けられることになると議論は続くのである。

だか、以上のような言説には二つの欠陥がある。一つは歴史的な誤りであり、もう一つは、プーチンの思考についてである。

まず、NATO拡大をめぐる問題は、これまでのロシアと欧米諸国の外交関係において、変数の一つではあったものの、常に両者に緊張をもたらしてきた原因とはいえない。この30年間、この問題の重要性を上下させたのは、NATO拡大の波ではなく、ユーラシアにおける民主主義の拡大の波である。非常にはっきりと、民主化が達成されたのちにロシアのNATOについての不満は急増するのである。

ジョージアとウクライナへの悲劇的な侵略と占領のため、二つの国のNATO加盟の希望についてプーチンは事実上の拒否権を手にした。なぜならばNATOはロシア軍に部分的に占領されている国の加盟を認めることは決してないからである。この事実はプーチンの現在の侵略はNATO加盟に向けられたものであるという主張を弱める。彼は事実上NATO拡大をすでに阻止しており、このことから、彼が今日のウクライナにおいて、はるかに重要なことを望んでいることを明らかにしている。つまり、ウクライナの民主主義を終焉させることと従属国への引き戻すことが目的である。

この現実は第2の誤りを浮き彫りにする。プーチンと、彼の専制的な政権において最大の脅威は、NATOではなく、(近隣国の)民主化だということだ。NATO拡大の動きが一時的に止まったとしても、民主化という脅威は魔法のように消えてなくなってしまうわけではない。NATOの拡大が止まったとしても、プーチンはウクライナやジョージアあるいは地域全体の民主主義と主権の弱体化を探る動きを止めることはない。自由な国々において、市民が自らの指導者を選び、内政・外交政策において自らの方針を決めるという民主的な権利を行使続ける限り、プーチンはそうした人々にその照準を定め続けていくだろう。

これまでの経緯

もちろんNATOとその拡大問題は米国とソ連の関係、また米ロ関係において、常に緊張の原因であったことは確かだ。この論考の筆者の一人であるマクフォールが、ジェームズ・ゲイエとともに20年ほど前、米ロ関係について書いた本「Power and Purpose」で、その一つの章につけた小見出しが「NATOは禁句の4文字言葉(Four-Letter Word)だった。歴代のクレムリン指導者はゴルバチョフもエリツィンもメドベージェフも、それぞれ程度は違ってもNATO拡大に懸念を示していた。

1949年の設立当初から、NATOは加入の基準に合致する国には広く門戸を開いてきた。だから91年のソ連崩壊後、これまでソ連の併合や征服、侵攻を受けてきた諸国が西側と安全保障面でより緊密な関係を求めても、驚くべきことではなかった。米国とNATOの同盟諸国は、それらの新しい自由社会の意向を否定しない一方で、ロシアと欧州やその他の安全保障問題について連携するよう懸命に努めてきた。それは成功したケースもあれば、うまくいかなかったケースもある。

現在のウクライナ情勢をめぐりNATOの過ちを強調する論者は、冷戦終了から30年余りの間に、モスクワによるNATO拡大の拒絶姿勢は、何度となくいろいろな方向に向きを変えているという事実を見落としている。

97年に当時のエリツィン大統領が「NATO・ロシア基本議定書」に調印することを同意した時に、両者はこの合意に包括的な協力課題を文章化して盛り込んだ。エリツィン大統領は調印式で、「非常に重要なことはロシアとNATOとの間に協議と協力の仕組みをわれわれが創出しているということである。そしてこの仕組みによって、われわれは地域の安全保障と安定に関わる主要な問題、つまり、われわれの利益に関わる課題や分野について、公平かつ平等な立場で話し合い、必要なら共同決定を行うことが可能になる」と宣言した。

2000年に大統領代行としてロンドンを訪れた際、プーチンはロシアが将来NATOに加盟する可能性を示唆する発言すらしている。彼はその時「なぜダメなのか。ロシアの国益を考え、もし平等なパートナーということであれば、その可能性を排除しないのは当然だ。ロシアは欧州文化の一部であり、ロシアが欧州の中で孤立するとは考えていない。だから、NATOを敵対視することは困難だ」などと話している。ロシアの脅威となるといわれているNATOに、なぜプーチンは加盟したいというのだろうか。

01年9月11日の米中枢同時テロ発生後、ブッシュ米大統領とプーチンは共通の敵であるテロリズムと戦うため、親密な協力関係を結んだ。その当時、プーチンはNATOとの対立ではなく、協力に目を向けている。これまでNATOが唯一、条約第5条(集団防衛)を発動したのはアフガニスタンへのNATOの介入であり、プーチンは国連安保理でこれを支持した。彼は、さらに続けてNATOを外交面で支持、これは具体的な軍事支援を伴った。

同年11月の訪米中、プーチンは(テロとの戦いについて)「われわれは異なったやり方や手段を用いるかもしれないが、それは同じ目標に向かうものであり…、どんな解決方法が見つかったとしても、それは両国と世界における利益を脅かすものではない」という現実的だが友好的な手記を発表した。また、同月行ったインタビューでは「ロシアは国際社会におけるNATOの役割を理解しており、この組織との協力を拡大する用意もある。もしわれわれが両者の関係を質的に変化させ、関係の形式を変容させるなら、NATO拡大という問題はもはや懸案でなくなり、 関連のある問題ではなくなるだろう」とまで述べている。

NATOは02年、エストニアとラトビア、リトアニアの旧ソ連圏バルト三国の加盟方針を打ち出したが、プーチン大統領はここでもほとんど反応しなかった。加盟阻止に向けた侵攻の脅しもなかった。01年末に、バルト諸国のNATO加盟に反対するのかと具体的に質問された際に、プーチンは「われわれはもちろん、(他国に)どうしろという立場にはない。彼らが安全保障を強化したいと希望する場合に特定の選択を禁止することはできない」と述べている。

この時期にプーチンは、ウクライナが将来NATOに加盟するかもしれないという問題をめぐっても同様の態度を示している。02年5月に、ウクライナとNATOの紹介の関係について見解を問われた際、彼は「ウクライナはNATOや西側諸国との全面的な関係拡大を望んでいると、私は確信している。ウクライナとNATOの協議体も創設されるなど、すでに独自の関係がある。時期がくれば、両者が決断を下すだろう。これは彼らの問題だ」と冷静に答えている。

その10年後、メドベージェフ大統領の時代に、ロシアとNATOは再び協力に向かう。リスボンで開催された2010年のNATO首脳会議で、メドベージェフは「われわれの間に距離があり、互いに要求し合う時代はもう終わった。われわれは将来を楽観的に眺めており、ロシアは、NATOと本格的なパートナーシップを(構築することに向かっており)、全ての面で関係を発展させることができる」と発言。さらに、彼は首脳会談で、ロシアとNATOのミサイル防衛協力の可能性まで言及した。NATO拡大への懸念の発言は全く出なかった。

冷戦時代から2014年のロシアのウクライナ侵攻まで、欧州におけるNATOの軍事費と兵力は一貫して削減傾向にあった。加盟国が拡大した2000年代よりも、1990年代にはより大きい軍事力をNATOは保持していた。この時期、ロシアは多額の軍事費を投じて兵器の近代化、欧州における戦力拡大を進め、NATOとロシアの間の戦力バランスはロシアがより有利なようにシフトした。

以上のようなロシアとNATOの実質を伴う協力関係の実例があるので、この30年もの間の「NATO東方拡大」が常にそして継続的にロシアを西側との対立に向かわせてきた駆動力であったのであるという議論を弱める。ロシアと西側の対立、そして14年から続くロシアのウクライナ侵攻の原因をNATO拡大のみに押し付けるのは歴史的事実からみて間違っている。それよりも、われわれはプーチンの持つ敵意の真の源泉がウクライナ、そして欧米諸国そのものにあることを理解すべきだ。

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ロバート・パーソンRobert PERSON経歴・執筆一覧を見る

米陸軍士官学校(ウエスト・ポイント)准教授。専門は国際関係論、ロシアと旧ソ連圏諸国の政治。

マイケル・マクフォールMichael McFAUL経歴・執筆一覧を見る

米スタンフォード大学教授。専門はロシア政治。2011年から14年に米国の駐ロシア大使を務めた。

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